ロボットの悲しみ コミュニケーションをめぐる人とロボットの生態学

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  • 新曜社 (2014年8月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788514041

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ロボットの悲しみ コミュニケーションをめぐる人とロボットの生態学の感想・レビュー・書評

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  • ロボットの居場所はどこになるんだろう。

  • おばあちゃんが小さなロボットを抱っこして、花見をしている。ロボットに「きれいだね」と話しかけるおばあちゃんに、何かうしろめたいような悲しみを感じる。
    おばあちゃんはロボットを心あるものとして話しかけているが、本当にロボットはそれにこたえられているのか・・・
    弱いロボット。ロボットは人間を助けるもの。しかし、ごみ箱ロボットはごみのところまで行くが、自分ではごみを入れられない。ごみのところで、人間が思わず拾っていごみロボットに入れてやる。ロボットとしては人間を助けてはいない。ロボットを助けることでそのロボットの役目が果たせる。弱いロボット、これからはそんなロボットが必要なのだろう。

  • 専門の方が「無理かもしれない」ということほど絶望することはないなと思います。

    研究すればするほど研究対象への限界を感じるなんて悲しすぎます。

  • 資料ID: W0178939
    請求記号: 007.13||R 55
    配架場所:1F電動書架A

  •  大きな期待を背負い、ヒトらしさを志向しながらヒトにはなりきれない、ロボットの現状。それを率直に受け止めて、人とロボットとの関わりやロボットの生態学的なポジションについて議論を進める。

     人間の代わりに働くロボットと、機械のように既定のシステムに従う人間。ロボットの采配に従うしかできない人間の弱さが、そこには浮き彫りとなって表われているかのようで、痛々しい。そこにあるのは、一方向的で、なにかが成熟することもない関係性だ。ソーシャルなロボットの今後を考えるうえで、こうした関係を乗り越えるにはどうしたらいいのか。
     この本では、その答えとして、次のような趣旨でまとまっている。すなわち、何にも依存せずに働けるロボットよりも、積極的に周囲に依存し互いに支え合えるような「弱い」ロボットにこそ、人とロボットの共生の道は拓けている、というように。
     全体として同じ方向を向いてはいても、それぞれの筆者のアプローチは様々で面白い。
     特に、社会的ロボットというとつい1対1の対話を思い浮かべるけれど、三項関係を基軸にすべきであるという提言が、新鮮に感じられた。

  • 一生懸命お掃除するルンバをかわいいと言う人を見ても普通だと思うが、
    ハービーを抱いてお花見をし、語りかける人を見るとなんだか痛々しく感じる。
    それはなぜなのか。

    ひとつ、ロボットは間違えない。
    間違えないから、他者を必要としない。
    つまりロボットは「私」を必要としない、「私」を無価値にする存在=ロボットだからだ。

    ひとつ、人はロボットの構造を知っている。
    それ「らしい」動作で私たちと関わりを持ったとしても、
    それが作り手の作為の結果であることを知っている。
    ロボットのウソを知っているからだ。

    この「ロボットと私」との関係は、人がロボットに向き合えば向き合うほどから回ってしまう。
    だから空しい。痛々しく見える。
    ならば、これからロボットとどうつきあっていけば良いのか。
    「ルンバと私」に痛々しさを感じないのはなぜなのか。
    進化していくロボットを今後どう位置づけていけば良いのか。
    本書はその答えを探す一助となるだろう。

  • 請求番号 548.3/Oka
    資料ID 50077120
    配架場所 図書館1F学生選書コーナー 

  • 紹介されているロボットがなかなか興味深い。

  • 人とロボットのコミュニケーションについて筆者らの研究紹介を軸に考察している本。

    タイトルの「ロボットの悲しみ」は、ロボットは悲しさを感じるか?という意味ではなく、ロボットとコミュニケーションを図る人間を、第三者的な立場からみる研究者が感じる「悲しみ」であるように思う。

    ロボットと研究の紹介では、最近ではメジャーになったルンバを巡るコミュニケーションの考察から、バンダイのプリモ、自閉症療育ロボットのキーポン、さらには生き物のペットと何が違うのかという視点で、犬や猫についても子供の成長記録とともに考えを巡らせている。

    ルンバについていうと、ルンバはそもそもコミュニケーションロボットではないのだが、ルンバが自分で完璧に掃除をできない「弱い」存在であるが故に、ルンバのために部屋を片付ける動機が生まれ、結果として掃除が成されるという話がある。
    本書ではさらに、人とロボット以外に「掃除」という第三項があるからこそ、一緒に掃除をするという人とロボットのコミュニケーションが生まれるといった話へと展開している。

    プリモの話では、高齢者へ数ヶ月間ロボットを預けそのコミュニケーションを観察するという研究について紹介していて、そのなかのエピソードとして、模造品であるとわかっていながらコミュニケーションを続ける心理とロボットの位置づけ

    本書で繰り返し登場するエピソードの一つに、ぬいぐるみロボットをもって公園で花見をするおばあちゃんの話がある。
    おばあちゃんが発する、「きれいだねぇ・・・」という言葉に対し、ロボットが応答する。
    それを通りがかったロボット研究者たる筆者がみたときに感じた、「痛々しさ」「申し訳なさ」は、ロボットしか話し相手がいない悲しみでもあり、それをプレゼントした家族の悲しみでもあり、コミュニケーションといいながら、単に定型的な応答を返すロボットしか作れない現在のロボット開発者の悲しみであると筆者はいう。

    個人的な感想としては、犬型ロボットAIBOを使ったロボット競技会に参加しているときに感じたことに近いものがった。
    そのときに出会ったAIBOを本物のペットのように可愛がるAIBOオーナーの話を他の人への話題に出すと、その関係に違和感を覚えるという人もいれば、未来的だと評する人もいた。

    私自身はペットとロボットの差はそれほど大きくないと思っているが、生き物に語りかけることと、ロボットに語りかけることは違うと感じる人は多いようである。

    また、生き物のようなロボットを作るという目標と、現状の研究との間の絶望的な谷間、表面だけをまねて空虚に感じるものを社会に出すことへの罪悪感は、おそらくロボット研究者に共通するのではないか。
    本書からは、そのなかでもキーポンのような目的に特化したロボットや、ルンバのように第三項をうまく使ったロボットであれば、現状の技術でも人とロボットの間によいコミュニケーションが築けるのでは、というメッセージを感じた。

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