- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784788514577
作品紹介・あらすじ
◆震災による死に人々はどう向き合うか
霊を乗せて走るタクシー タクシードライバーの幽霊体験、その真相とは? わが子は記憶のなかで生きていると慰霊碑を抱きしめる遺族、700体もの遺体を土中から掘り起こして改葬した葬儀社、津波のデッドラインを走る消防団員、骨組みだけが残った防災庁舎を震災遺構として保存するかなど、被災地の生と死の現場に迫るノンフィクション。亡くなった肉親や津波犠牲者の存在をたしかに感じるという、目にみえない霊性の世界に迫ります。
新曜社ホームページ『呼び覚まされる霊性の震災学』
→http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1457-7.htm
感想・レビュー・書評
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何年も前に新聞で紹介されていたのを読み、ぜひ読みたいと思っていたものの読んでいなかったので、東日本大震災から10年という節目で手にとりました。
被災地の当時のリアルな現状が伝わってきて、様々なことを感じた一冊となりました。
特に仮埋葬をテーマに扱った論文。
恥ずかしながら、そのような事実があったということさえしっかり理解していなかったので、衝撃的でもあり考えさせられる内容でした。
学生さんたちが非常に丁寧に取材をして書かれたのだろうなということがどの論文からも伝わって来たことも印象的でした。 -
最初に強く主張したいのだが本書は名著である。
東北学院大学の学生たちがゼミ教官である編者の指導の下、東北の震災から5年を経た街で行ったフィールドワークの記録。
福島第一原発周辺の避難地域で繁殖する野生動物を「駆除」する猟友会。
作業が追い付かず震災直後に土葬せざるを得なったご遺体の掘り起こしと再火葬を続ける葬祭業者。
津波で遺骨ごと流されてしまった先祖の墓と慰霊碑との関係をめぐる葛藤。
当然ながら日本人の伝統的な死生観が様々な形で問い直される。
印象に残るのは、震災から5年、という月日が流れることで被災地の人々の考え方が移り変わり、整理されていく過程だ。例えば津波によって流された船、市庁舎などのいわゆる「震災遺構」保存についての町民の意見(記録として残すべき、つらい思い出だから壊すべき)にも変化がみられる。
速報性に踊らされて無責任なことをいくらでも発信できてしまう現代において、そしてそういうことに無自覚な人ほど「あいつはX年前にああ言ったこう言った、証拠見つけた」とあげつらいがちな中で、「これほど辛い思いをしても考え方は時間とともにかわるのだ」ということを知るだけでも価値がある。
おそらく各方面で引用され、また強い印象を残すのはタクシードライバーたちが語る「幽霊現象」だろう。震災後、多くの運転手たちが「季節外れの厚着」をしたお客さんを乗せ、他愛のない会話の後後ろ座席を見ると誰も乗っていない、という経験をしたという。それらは淡々と無賃乗車記録として残されている。
著者(学生)は、これらについて一切のオカルト的な印象論を排し、タクシーという密室の特性、そこでの会話が思わぬ癒しとなる可能性(カウンセリング的文脈)、あるいは認知科学の知見も援用しながら「無念の死を遂げた人の思いや記憶を何らかの形で届けたい、継承したい」というまさに「弔い」の感情の根源について考察していく。
やっと復興に目が向き始めた時期にあえて過去の記憶を繰り返し尋ねて回るフィールドワークは学生たちにとっても大変なチャレンジだったようだ。その多くが被災者であり、また遺族でもあるゼミ生自身によるあとがきは、それ自体深い感動に満ちている。
読んでいて辛いが、読後により大きな温かさを感じる本。これを送り出してくれた先生と学生たちにはお礼を言いたい。 -
ずっと読みたいと思っていた本 ゼミでまとめたというのだからおどろき。被災地に通ってる身からして、本に載せられないようなさまざまな苦労があったはず。タブー視されがちな死や遺体や、そして怪訝に思われるような霊、そして自分もあちこちで目にした石碑や、研究でもよくある震災遺構の議論。いろんな要素を踏まえた綿密なフィールドワーク、頭が下がります。
遺体の埋葬については、知らないことが多かった。
狩猟の「マイナー・サブシステンス」についても初めて知った。
タクシー運転手と客との関係の特殊性も
遺族の想いを受け止める石碑も
そして、悲しみは個別のもので、量的に判断してはならないこと。 -
知らなかった。
震災の影でいろんなことが起きていることを。
マスコミが取り上げるメジャーなところとは違う様々な視点での考察を丁寧に書いてありました。
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やっぱり学部生の論文なので
読み物としては甘い。
もっと本格的なルポが読んでみたいな。
科学が絡まない論文はどうもこじつけや
論理の飛躍があったりして
そういうとこがやや気持ち悪い。
内容はそれぞれ興味深いので
余計もったいない。
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少し前に、東北学院大学の学生がタクシードライバーから幽霊現象について調査を行い、その結果を卒論にしたといったニュースをみた。
それは、東北学院大学社会学ゼミの4年生たちが取り組んだプロジェクトの一部であった。
本書は、そのプロジェクトの成果。
特に日本社会ではタブー視されることが多い「死者」に対し、震災の当事者たちはどのように向き合わなければならなかったかを、綿密なフィールドワークを通じて明らかにするのが、このプロジェクトの目的・
本書の概要を知るには、章立てをみるのが一番早いと思われる。
第一章 死者たちが通う町 タクシードライバーの幽霊現象
第二章 生ける死者の記憶を抱く 追悼 / 教訓を侵犯する慰霊碑
第三章 震災遺構の「当事者性を超えて」20年間の県有化の意義
第四章 埋め墓 / 詣り墓を架橋する 両墓制が導く墓守りたちの追慕
第五章 共感の反作用 被災者の社会的孤立と平等の死
第六章 672ご遺体の掘り起こし 葬儀業者の感情管理と関係性
第七章 津波のデッドラインに飛び込む 消防団の合理的選択
第八章 原発避難区域で殺傷し続ける 猟友会のマイナー・サブシステンス
ニュースになったのは、本書の第一章にあたる部分。石巻市内のタクシードライバーたちが遭遇した幽霊現象についての聞き取りレポーになっている。
復興とともに再び走り出したタクシーが、出遭う多くの幽霊現象。その多くが、実際にタクシーに客として幽霊を乗せる。そのときメーターを実車にして走り出すという客観的な記録が残されている。
タクシー運転手のなかには、身内や親しい人を亡くしたドライバーも、幸い身近には被害のなかったドライバーもいる。
それは、多分思い込みだ、非科学的だと否定できるものではないだろう。
あまりにも多くの人の命が、突然に絶たれることになった町、石巻。そこに、多くの思念が残ることは考えられる。
生の意味さえ分かっていないのに、霊を否定するのは非科学的な判断だと思う。
その他の章についても、取り上げられているのは震災で多くの被害、そして死と直接向き合わなければならなかった被災者たちの、心について。
そのとき、どうしてその行動をとったか。
いま、そのときについてどう考えたか。そして、いまもどう考えているか。
災害によって否応なく向き合わされる死について、ややもすればタブー視され、次世代に残されることのない記憶を、抽象的な数字に置き換えることなく記録した本プロジェクトは、意義のあるものだと私は思います。 -
怪奇現象を扱ったのは初編だけで、全体としては震災死をテーマとする論考集である。
故人や遺族にとってはその人だけの唯一の死であるにもかかわらず、1万5000人以上が一時に亡くなるという状況下において、個々の死は個々として扱われずに概念化・抽象化されてしまう。あるいは、生活していた共同体ごと失われて、生きていたことの証さえもが無くなってしまう。
平時、死から目を遠ざけてきた近代社会の脆弱性という捉え方をされているが、むしろこの震災が戦争にも匹敵するような例外状態だったというべきだろう。
フィールドワーク、論考とも、やや物足りない感じもするが、学部生のゼミの成果としては十分だろう。単年度で成果を出さないといけない事情はあるだろうが、拙速に結論を導かずに、十分なフィールドワークを重ねて欲しい。
テーマの本筋からは外れてるような気がしたが、一番面白かったのは、火葬場が追いつかないので仮埋葬した数百の遺体を、改葬のために再度短期間で掘り返すというプロジェクトを請け負った葬儀会社の話。梅雨場、猛暑という劣悪な環境での重労働を脱落者なしで完遂できたのは、感情労働・感情管理によるものであったという。 -
方向性は面白かったけれど、文章が冗長で、エッセイと論文の間のどっちつかずで彷徨っているような作品だった。文章がアップデートされたものを読みたい。