黄色い雨

  • ソニ-・ミュ-ジックソリュ-ションズ
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784789725125

感想・レビュー・書評

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  • 感想を書くのが、難しい作品だと思う。
    読み終わってから、たまに、ふと思いを巡らせてみるけれど、上手く言葉にならない。
    おそらく、私の脳内で処理しきれない何かがあるのだと思う。あるいは、凌駕している何かが。

    ポプラの黄色の紅葉が降る様は、私からすれば、美しい光景のようにも思われるが、廃村に残された最後の人間が毎年眺めるそれは、思い出深い村を更に廃れさせるものであるとともに、死の訪れにも見えてくるようになる。

    その男が誰とも顔を会わせず、声も発しなくなった日々を重ねるとき、まざまざと迫ってくる孤独や狂気を思い出さないために、今を生きるということを放棄してしまったように感じられ、その瞬間から、男の中の時間は止まり、逆流する。
    それは、記憶だけが男の存在理由となり、生活の中の唯一の風景と述べていることからも分かる。

    家に留まることが多くなった男にとって、そこで無気力に回想する男自身を、自身の内なる記憶だとすると、外で降る黄色い雨が村を破壊させている現象は、さながら、男自身の身体を破壊しているように思えなくもない。毎年、毎年、それが続いていくと、果たして、人はどんな精神状態に陥るのか? 黄色い雨を忘却の雨とも書いているのは、男自身の願いなのかもしれない。

    更に、家の中の男自身の記憶の中に、静かに訪れ、佇むようになるのは、かつての親族だった霊たち。
    男が彼らを見て、まるで生命ではなく時間が止まったように感じているところは、記憶の中の思い出として見ているのかもしれないし、はたまた、男自身が既に死んでいるのかもしれないとも思えてくる。
    実は、物語のそこかしこに、男が語り部なのに、それだと辻褄が合わない箇所がいくつかあるため、そうした推測もできるのだが、現実なのか、幻想なのかは私には分からない。

    ただ、それでも物語全体に恐怖は感じなかった。
    それは、著者の詩的表現の美しさと、失ったものに対する静謐な哀愁を感じさせる表現に、著者の品性が垣間見えたから。

    ちなみに孤独と書いたが、男の側には雌犬が一匹いる。ただ、この状況では、逆に男を苦しめることになることに、複雑な思いがした。純粋さが悲劇を生むことには、悲しくてやりきれないが、それでも雌犬の存在には心を打たれた。

  • 「彼らがソブレプエルトの峠に付く頃には、たぶん日が暮れ始めているだろう。黒い影が波のように山々を覆って行くと、血のように赤く濁って崩れかけた太陽がハリエニシダや廃屋と瓦礫の山に力なくしがみ付くだろう」(P7)
    「男たちの一人が階段を登り始めた途端に、私がずっと以前から彼らを待ち受けていたことに思い当たるだろう。突然説明のつかない寒気に襲われて、上の階に私がいると確信するだろう。黒い羽が壁にぶつかって私がそこにいると教えるだろう。だから、誰一人恐怖のあまり叫び声を挙げないのだ。だから、誰も十字を切ったり、嫌悪を表すジェスチャーをしないのだ。」(P17)
    「ランタンの灯がそのドアの向こうのベッドの上に横たわっている私を照らし出すだろう。私はまだ服を着ており、苔に覆われ、鳥に食い荒らされた姿で彼らを正面からじっと見つめるだろう。
    そうだ。彼らは服を着たまま横たわっている私を見つけるだろう」(P17~)
    「川岸で過ごしたあの夜から、雨は日毎私の記憶を水浸しにし、私の目を黄色く染めてきた。私の目でだけではない。山も。家々も。空も。そうしたものにまつわる思い出までも。最初はゆっくりと、やがて時が過ぎるのが早く感じられるようになると、その速度に合わせて私の周りのものすべてが黄色に染まっていったが、まるで私の目が風景の記憶でしかなく、風景は私自身を映し出す鏡でしかないかのようだった。」(P156)
    「彼を怖いと思ったことはなかった。子供の頃も。黄色い雨がその秘密を明かしてくれた夜も、怖いとは思わなかった。
    彼を怖いと思ったことはなかった。というのも、彼もやはり老犬を追う貧しく孤独な犬獲りだとわかっていたからだ
    しかし、私の声が彼に届くまでには長い時間がかかった。自分が耐えられると思っていたよりも遥かに長い時間がかかった」(P180〜抜粋)
    「彼らがソブレプエルトの丘に着く頃には、再び日が暮れ始めるだろう。黒い影が波のように押し寄せて山々を覆って行くと、血のように赤く濁って崩れかけた太陽がハリエニシダや廃屋と瓦礫の山に力なくしがみつくだろう。以前そこにはソブレプエルトの家がポツンと建っていたが、家族のものと家畜が眠っている間に火災に見舞われて、今は瓦礫と化している。一行の先頭に立っている男がそのそばで足を止めるだろう。
    (…)
    男は何も言わず十字を切ると、他の者が追い付いてくるのを待つだろう。
    (…)
    全員が集まると、焼け落ちた屋敷の古い土塀のそばで一斉に振り返って村の家々や木々が夜の闇に包まれてゆく様子を眺めるだろう。その時、中の一人が再び十字を切って小声でこうつぶやくだろう。
     夜があの男のためにとどまっている」(P184より抜粋)

    山間の廃村にたった独り残り続ける男。寄り添うのは雌犬だけ。
    年月が経つと村には忘却の黄色い雨が降り、死者たちの幻影が現れる。
    村は死に包まれる。そして彼自身も死に包まれる。

    突き刺さるような孤独と偏狭。
    尖く漂うような文体。
    低音の俳優の朗読劇で聞いたらさぞかし心地いいだろうなと思う。
    ふとしたときに、この文体に触れ、この本を読んだ独自の感覚を味わいたくなり本をめくってしまう。

    ===

    翻訳は神戸市外国語大学元学長木村栄一さん。解説で「自分とスペイン語文学」みたいなことを語っています。
    元々は詩人だった作者のフリオ・リャマサーレスは「詩は自分にとって祈りのようなものだが、祈りに似た思いを散文で表現できるようになったので、小説や短編、あるいは紀行文を書くようになった」「文学そのものを目的として、なにかを手に入れるための手段ではない」とのこと。
    そしてフリオ・リャマサーレストと会ってなぜ日本語訳しようとしたのか、と聞かれた木村栄一さんは、いい作品に出会ったら白い炎が出ているように感じる、この「黄色い雨」を読んだときには白い炎が見えた、と伝えたということ。
    (木村さんが他に白い炎を見た作品は、バルザックのいくつか、罪と罰、デービット・コッパーフィールド、ボルヘスのいくつか、石蹴り遊び、なのだそうだ)

    木村栄一さんの”白い炎が見える”は、私だと”自分を温めるエネルギー”かなあ。
    私にとっても読書は読書そのものが目的であり、それによって現実的な何かを得ようとはいう読み方はあまりできません。そしてこの「黄色い雨」のような本を読んだあとにはまさに小さな火の光と温かさを感じて「私は本を読んでいればそれでいいじゃないか、もっと読まなければ」という読書欲と焦燥感が掻き立てられるのです。

    自分にとってそんな感覚を呼び起こされた本。
    ボルヘスの色々、汝、人の子よ(ロア・バストス)、黄色い雨、ペドロ・パラモ、世界終末戦争、人間の土地(サンテックス)、忘却の河(福永武彦)、漫画でパームシリーズ、映画で黄色い大地(陳凱歌)、舞台でジーザス・クライスト・スーパスター…

  • 死者たちが孤独な男の下を訪れる。死が生の領域を侵蝕し始める。精一杯生き延びて、崩壊と対峙しようとする努力が挫折しててゆく。

    しかし、いつしかそうではない、逆なのだと感じてくる。生きながら内側に死を育んでゆく。
    ある日突然に死が迎えにきて生を絶つのではない。死は最初から私の中にあり、それを認めて少しづつ解き放っていくのが生きるということ。
    生きつづけることは、死につづけること。

    そして、ふと思う。
    もはや生者と死者の間に違いなどない。両者共にただ朽ちていくだけだ。

    “死が私の記憶と目を奪いとっても、何一つ変わりはしないだろう。そうなっても私の記憶と目は夜と肉体を超えて、過去を思い出し、ものを見つづけるだろう。いつか誰かがここへやってきて、私の記憶と目を死の呪縛から永遠に解き放ってくれるまで、この二つのものはいつまでも死に続けるだろう”

    “おそらく今生きているこの夜は、自分が既に死んでいて、そのせいで眠れないだのだということに気づいたあの夜と同じ夜なのだろう。しかしそんなことはもうどうでもいい。 五日だろうが五ヵ月、五年だろうが同じことだ。時があっという間に過ぎ去っていったので、どんなふうに過ぎてゆくのかを見届けることもできなかった。逆に、今夜があの午後以来果てしなく続いている。暗い夜だとしたら、時間など存在しないわけだから、それを、私の心臓の上に振り注ぐ砂のような時間を思い起こす必要などないのだ”

    死の床にて追憶と共に自らの肉体が滅んだ先を予言する、その語りに呪縛されたかのように本を置くことができずに一気に読む。
    私が主語の独り語りなのに三人称かのような透徹した文章の美しさに引き込まれる。

    ポプラを散らし秋の終わりを告げる黄色い雨が、村の街路を、犬の影を、私自身を染めあげていく。そのイメージが喚起する幻視に心が掴まれて、離れない。

  • 村人が次々に離村して行き廃村になったアイニェーリェ村。

    一人残された男の、これは狂気なのだろうか。
    人の命のはかなさも強靭さもどちらも感じられる。哀切に満ちた物語。

  • 約四時間で読み終えてしまった。素晴らしかった。孤独と死の淵の狭間で絶望的でしかないのに、詩的でどんどん静かな仏教でいえば中陰の世界のような透明感を帯びてくる。主人公はやがて土地と一体化し村の土地の精になって還っていくようであった。傑作。もっとリャサーレスの本が読みたい。

  • 秋がこのように荒々しく冷たい土地があるのだ、ということにはっとさせられた。このおじいさんの愛情はとても古風で伝わらなくて、もどかしい。でも、愛情があれば思い出せることがある。

    わたしには愛する土地もなければ、亡霊になって出て来てくれる家族もいそうになく。ただある日ふっと死んでしまうことになりそうだ。どっちの方がつらくないのだろう。

  • 全てが朽ち果て腐敗していく沈黙と記憶の中、男は誰も彼もを亡くし、何もかもを失くしました。人は一生のうち何度心が死に絶えるのでしょうか。孤独と絶望だけが残り、何度も死というものについて考えます。
    黄色い雨が全て洗い流してくれればいい。雌犬の温もりは錆び付いた心を癒しました。自然は貴方が地に足付けた場所から真っ直ぐ花を咲かすでしょう。でも私は看病してくれる、あなたの優しい手さえあれば良かった。あなたが、良かった。
    黄色い雨が私を包み込む。木の葉で何も見えなくなる。薄れゆく視覚と静寂に、私は初めて死を愛しいと抱きしめました。

  • その村からは、村民がひとりふたりと姿を消し、一軒だけが残った。

    娘はとうに死に、息子は村を出て行き、残った男と妻と一匹の雌犬は、朽ちていく村で静かに暮らしていたが、
    妻は、怖ろしく寒い冬の日、首をくくって自殺した。
    男は、雌犬とこの世に残され、深い静寂に包まれた誰もいない村で、最後のひとり、最後の一匹として生きている。

    死期を感じた男は、自分の墓穴を掘り、雌犬の頭を猟銃で吹き飛ばして殺し、たったひとりでいいから、自分がこの廃村で生きていることを思いだし、雌犬と同じように頭を吹き飛ばしてくれる人間が現われることを夢見る。

    とてつもなく暗くて悲しい闇の塊が重く貫いている小説だ。

    最初の第一章の文は殆どといってよいほど、「だろう」で終り、この推量の終止形の連発に違和感を持つ。
    しかし、平坦な文章の連なりの中に、読者は発見を見出す。
    一人称で語っている彼はもう死者なのか?

    その後も一人称の語りは続き、まるで、寒く冷たい朽ち果てた村を間近で見ているように、引きずり込まれていく。

    男は回想する。悲しい記憶ばかりだ。
    雌犬が彼を困らせることはない。
    男も犬も誰からも忘れられて村と一緒に滅ぶ。

    黄色い雨が降る。

    訳者の木村栄一氏は、神戸外大の学長で、スペインの小さな町の書店の店主にこの本を薦められたという。

    この店主は、『黄色い雨』を薦める前に、ブッツアーティの『タタール人の砂漠』を薦めたり、なかなか通の人物である。

    作者のフリオ・リャマサーレスは、1955年スペイン生まれで、弁護士からジャーナリストに転身した人物らしい。

    フリオ・リャマサーレスは、早くから詩人として知られ、散文に転向したらしいが、本書の魅力は、詩的表現の頻出と韻文的な言葉の用い方、悲嘆と絶望を独創的なリアリズムで描ききる力量、人間の命と村の命との連関における循環構造の悲哀。

    ---夜があの男のためにとどまっている---

    畏敬の念を覚える作家である。

  • タイトルと装丁に魅かれて、図書館で借りた。

    ずっと夜道を歩いているような、黄色い雨(「時間」の比喩表現?)をただ眺めているような感覚で、たまに主人公が生きているのか死んでいるのか分からなくなったことも多々あった。

    そして読了後の不思議な感覚。
    自分では解釈できない言葉もいくつかあったが、それでもいいんじゃないかと思ったし、何よりこの感覚が好きだと思った。

  • 全て読み終わって、じわじわとその衝撃が胸に広がるような、久々に「文学作品」を読んだという実感の湧いた本だった。
    時を置いて、是非読み返したいと思った本は久しぶり。

    全編、山間の寒村に住む老人の独白である。
    ほかの住人が一人減り二人減り、息子も妻もいなくなってたったひとり取り残された老人の、死を待つだけの孤独な日々。

    独特の語り口、展開で、読みにくいのかなと始め思ったが、その詩的な散文のような文章は、陰鬱なのだが描かれている情景はなぜが美しく、また物悲しく、すぐに物語に引きこまれてしまった。
    リャマサーレスはもとは詩人なのだそう。納得である。

    巻末の翻訳者の木村氏の解説がまた非常に興味深く、「狼たちの月」も是非読んでみたくなった。

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著者プロフィール

1955年、スペイン生まれ。詩人、作家。著書に『黄色い雨』『狼たちの月』『無声映画のシーン』(いずれも木村榮一訳)など。

「2022年 『リャマサーレス短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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