ヒットラーのむすめ (鈴木出版の海外児童文学 この地球を生きる子どもたち 1)
- 鈴木出版 (2004年12月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784790231493
作品紹介・あらすじ
雨がふりつづいていたある日、スクールバスを待つ間に、オーストラリアの少女アンナがはじめた「お話ゲーム」は、「ヒットラーのむすめ」の話だった…。もし自分がヒットラーの子どもだったら、戦争を止められたのだろうか?もしいま、だれかがヒットラーと同じようなことをしようとしていたら、しかもそれがぼくの父さんだったら、ぼくはどうするべきなのだろうか。
感想・レビュー・書評
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スクールバスを待つ間にお話をする「お話ゲーム」
ある日オーストラリアの少女アンナがはじめたのは、「ヒットラーのむすめ」の話でした。
聞いていたマークは、家に帰ってから「あれは、ただのお話なんだ、つくった話でほんとうのことではないんだ。でも、ほんとうのことも出てくる。だから気になるのかもしれない。」
と思い、疑問を父親にぶつけます。
「もし父さんが、ヒットラーと同じようなことをしてたとしたら―すごく悪いことをしてたとしたら―そしたら、ぼくはどうするべきなの?」
「おまえは、自分が正しいと思うことをするべきだりうな。だけど…」
「もしお父さんとおまえの意見がちがっても、話し合うことができたらいいよな。どんなに言い争っても、それでも顔を合わせて家族でいたいと思うね」
さらに、
悪いことをした人物の子どもも悪くなるのか?自分がほんとうに正しいことをしているかは、どうやったらわかるのか?
と考えるようになるマーク。学校の先生に質問しても、驚かれ、納得できるような答えは返ってきません。
「人は、正しいと思ったことをするべきだ。でも、正しいと思ったことが間違っていたら、とうなのただろう?
みんながしていることをやればいい、というのは答えにならない。ヒットラーがやったことから一つわかるのは、国じゅうの大多数の人が間違っていたということだからだ。
当時の人たちは、ものごとをちゃんと考えていたのだろうか? (中略)それとも、ただ信じてしまったのだろうか? それも信じたかったから、という理由で」
だんだんマークの疑問をはぐらかし、やめさせようとするようになる両親の様子も、一般的によくあることだと考えさせられます。
「難しい問題」「子どもは知らなくていい」とつい家庭では避けたくなる話題ですが、この本が考え、話し合うきっかけになれば、と思います。
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雨が降り続くスク-ルバスの待合所で、オーストラリアの少女が始めた「お話しゲーム」は、「空想のお話し」とは思えぬほど真実味に溢れていて・・・〝もしも、自分がヒットラ-の子供だったら、迫害を受けた人々を救済し、戦争を止められたのだろうか?〟あるいは〝もし今、誰かがヒットラ-と同じような事をしようとしていたら、しかもそれが自分の父親だったら、どうすべきなのだろうか?〟という子どもたちの疑問を、荒れ狂う現代社会に投影、警鐘を鳴らし推薦図書として高い評価を受けた、オ-ストラリア女性作家による児童文学賞の良書。
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2005年出版産経児童文学賞を受賞。原作はオーストラリア作家。
内容は、4人の子ども達がスクールバスを待つ間、バスの待合室の中で語られたお話ゲームでお話の上手なアンナによって語られた物語。主人公のマークは、この「ヒットラーのむすめ」の話に引き込まれ、自分だったらどうだろうか?など様々な事を考え、夢中になっていく。ただの子どもの作り話という形で始まるが、1番真剣に聞き、深く考えていたマークには最後にこれがどういう話で、なぜアンナが知っていたかがわかるのです。
訳者のさくまゆみこ氏のあとがきに、日本では特にヒットラーという名前やユダヤ人虐殺の事は知っていても、そんな事は遠い昔に終わり、今はもう幸せな暮らしが出来、ありえない事と考えがちでしょうが、現実には今も理不尽な弾圧を受ける人がいるのではないか?いつヒットラーのような恐ろしい考えを持った人があらわれるか?あるいは、もうあらわれているのかもしれないと深く考えるきっかけを投げかけています。 -
想像してみてください。もし、自分がヒットラーの子どもだったとしたら。暴走していく親をとめられただろうか。それとも父を崇拝して、一緒に事に加担していただろうか。とてもとても難しい問題だし、その時代の価値観だったり、自分を取り巻く環境だったりで、良いことも悪いことも一変するので、何が正しいことかなんて答えはでないのだけれでど、常に考えたり想像することは大事ですよね。人を殴るとどうなるか、人に意地悪するとどうなるかとか。身近なことから、世界で起こってることまで。
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オーストラリアの田園地帯に住む子供たち。スクールバスを待つ間、一人の女の子がヒットラーの娘の話を始める…ヒットラーには実は一人娘がいた。彼女は生まれつき顔に痣があり、片足が短かった。父としてのヒットラーは優しかったが、彼女の存在は隠匿され、ドイツの田舎で隔絶されて孤独に生きていた…その話に引き込まれた男の子は、「親が悪い人だったら子供も悪い人になるのか?」「何故ヒットラーのような男が総統として国を率いることになってしまったのか?」「本当に人種的な優劣があるのか?」等の疑問を持つ。
児童文学と分類される本ではあるけれども、大人が読んでも色々考えさせられる内容で、非常に面白かった。
参院選が終わったばかりだが、投票率は悪く、新聞には「自分には関係ない」「どうでもいい」「政治には興味が無い」という人達のコメントが掲載されていた。子供時代にこういう本を読んでおくことは(もちろん大人になって読んでも良いのだが)、意味のあることだと思う。 -
ヒットラーにむすめがいたら・・・、というお話。ヒットラーの娘と名乗る少女が主人公で、というような設定かと思ったら、そうではなかった。細かい章建てと素敵な挿絵で、あっという間に本の世界に引き込まれて一気に読んでしまった。とても面白かった。(読み終わって満足したあと、ふと、マークの疑問が少し教育的かなと「大人」みたいな感想を持ってしまったが。最近、絵本に関する講座を受けたから、作品が教訓めいてるとかそうでないとかの批評を無意識にしてしまうみたい…。)
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「素敵な挿絵で」
この本は未見ですが、北見葉胡は好きです。
http://www.asahi-net.or.jp/~bg4t-ktm/ind...「素敵な挿絵で」
この本は未見ですが、北見葉胡は好きです。
http://www.asahi-net.or.jp/~bg4t-ktm/index.html2012/05/01
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「雨がふりつづいていたある日、スクールバスを待つ間に、オーストラリアの少女アンナがはじめた「お話ゲーム」は、「ヒットラーのむすめ」の話だった…。もし自分がヒットラーの子どもだったら、戦争を止められたのだろうか?もしいま、だれかがヒットラーと同じようなことをしようとしていたら、しかもそれがぼくの父さんだったら、ぼくはどうするべきなのだろうか。」
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本当におもしろかった。二重三重におもしろかった。
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いつか、子供にも読んでほしい本。「どうやったら、善悪の違いがわかるのだろう?」「自分のまわりの人たちがみんな間違っていたら、自分はどうしたらいいのか?」
空想の物語の中で深く考える事は、子供にとっても大人にとっても大切な事。
家族の一員が間違った事をしたら…?その一員の為に、そして間違いに晒された人の為に悲しむ。それまでと同じようにではなくても、その一員を大事に想い続けられるような、意見が違ってもちゃんと顔を合わせて話し合えるような関係でいたい。 -
ヒットラーとのやりとりがもっと描かれるのかなと思いましたが、想像と違っていました。が、かえってリアルで、想像や思考をかきたてられました。
物語にはヒットラーの娘や、お話をくりひろげる現代の子供たちが出てきますが、たくさんの大人も出てきます。それぞれが何が正解なのか悩んでいる様子がすごく印象的でした。
私も子供にマークのような質問をされたらどう答えようか、本当に難しいなと思いました。
現実に今も起きている紛争、考えなければならないけれど、声を上げないといけないけれど、でもそうする事によってどうなるかというマークの想像の通りで、でもその保身があのような事を招いてしまったとも言えるし…
ゲルバー先生がいなくなった所が悲しかったです。
答えの無い話なので、色々と考えさせられると思います。 -
自分のこととして考えることの難しさ。
真面目に向き合うことの難しさ。
大人になればなるほどね。
向き合いすぎて周りが見えなくなってしまうのもまた違うしな。
今もね。
誰かを悪にしてしまえば簡単だけど、それは他人事だから言えることなんだよ。 -
こちらは児童文学というくくりではあるが、大人にも読んでもらいたい。ある日、お話ゲームのなかでとある友人が語りだした、もし、自分がヒットラーのむすめだったら……?という仮定のお話。その結末はぼわっとしており、登場人物同様読者もその後が気になる。最後まで読むと本のからくりがわかり、いろんなことを考えずにはいられない。戦争を学ぶ、自分はどう選択するかというディスカッションにも使えそうな本です。
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アンナのお話に惹きつけられ、自分なりに考えていくマーク。父親や母親、マクドナルド先生にも自分の疑問を打ち明けていくけれども、納得する答えはかえってきません。
私がマークだったら…、私がマクドナルド先生だったら…、私がゲルバー先生だったら…、私がアンナだったら…。どのように受け止め、どんな言動をとったかなぁと思いながら読み進めました。
作品の本文からの抜粋
・過去にあった間違いをちゃんと見つめないかぎり、人間は同じような間違いをくりかえしまうからだ
・人間は、正しいと思い込んで悪いことをしてしまうこともある。
・自分が本当に正しいことをしているかどうかは、どうやったらわかるんですか?
・僕が聞きたいのは、もしもみんなが防戦みんなじゃないにしても、ほとんどの人が、ある人のことを正しいと思ってて、でも自分はその人が間違ってると思ったとしたら、どうすればいいのかってことだよ
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アンナの空想ではなく、アンナのお祖母さんがハイジだったとは。
マークが幼いなりに深く物事を考えようとしているのに、その邪魔をする両親はレベルが。。。
それも含めて考えさせられた。 -
4/26掲載 千歳市立図書館 西村氏
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親しい人が戦争に進もうとするとき、僕たちはそれを止めることが出来るのか…。
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夏休みの課題図書だったかなんであったか。
物語はもし、自分がヒットラーのむすめだったら?というお話ゲームから始まる。
児童向けということもあって問いが提示されるだけで特に掘り下げられることもない。お話しゲームを聴くマークもそこまで考えないでただ聞いて自分に問うだけだ。周りに話しても面倒くさがられて捨て置かれる。年を経るにつれてどんどん考えなくなる。そして、結局最後にはこれはゲームだからと、読んだであろう子どもたちに投げかける形で締めくくられる。
こういう形が子どもいいかはわからないが、思うに、あまり哲学的に意味をなさない。
ヒットラーのような行いをするということと、自分の親がヒットラーであるということはまったくもって別の次元の話なのだ。何もヒットラーに限った話ではない。親が英雄であろうとその英雄的行いと関係がないように。自分が自分であるということは親とは関係ないところにある。確かにこの肉体は親から与えられたに違いない。だが、それが自分であるということは親とは別のところにある。行為もまた同じである。ひとを殺す、そこにどんな理由もつけられない。ただ、殺すという行為が実現するに過ぎない。だから、家族であろうと、恋人であろうと、ヒットラーの行為を誰も止めることなどできない。どうやったら善悪の区別がつくのだろうとか、自分の周りが全員間違っていたら、ということを問うのは意味をなさない。書いた人間も無責任と言えば無責任だと思う。しかし、どんな英雄的と言われる行為も残虐と言われる行為も同じものの裏表なんだというよりは、そういうことはしていけませんと言う方がいろいろ都合がいいに違いない。 -
最後の終わり方が…続編でないかなー
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(2015-03-25)
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難しいかな、と敬遠していたけれど、思っていたよりもさくさくと読めた。
突き詰めて言えば「正しいこととは?」ということのおはなしかな。
いろいろなことについてちゃんと考えよう、と思える小説。 -
[ 内容 ]
雨がふりつづいていたある日、スクールバスを待つ間に、オーストラリアの少女アンナがはじめた「お話ゲーム」は、「ヒットラーのむすめ」の話だった…。
もし自分がヒットラーの子どもだったら、戦争を止められたのだろうか?
もしいま、だれかがヒットラーと同じようなことをしようとしていたら、しかもそれがぼくの父さんだったら、ぼくはどうするべきなのだろうか。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
簡単に書かれているけれど、内容は重い。
雨の日のスクールバスを待つ間の暇潰しとして、アンナが始めたお話ゲーム。その"お話"に徐々に引き込まれていくマーク。ヒットラーのむすめハイジの立場になり良いことと悪いことについて、戦争について考え始める。「もしお父さんが悪いことをしていたら、やめてって言えるのか」「もし今ヒトラーが権力をもったとしたらお父さんやお母さんは抗議するのか」「良いことをしていると思ってる人に本当はそれが悪いことだとどうやったら気づけるのか」……
10年位前に読んだときから古くならないこの本。というか今の日本にピッタリでしょ。 -
2014年10冊目。
図書館で、こちらも瞬間的なフィーリングで借りたけど、大正解。
ただお嬢さん用には難しかった。
オーストラリアの小学生が、お話ゴッコとしてヒットラーにむすめがいたら…という物語を物語るメタ要素のある話。
読み聞かせてみて面白いというから読み進めて行ったけど、5歳児にはさすがに登場人物やらが複雑すぎて分からなかったみたい。
最後は私ひとりで普通に読書。
小学校高学年くらいになったら、進めたいとすごく思った。
児童書は侮れません。 -
もしヒトラーに娘がいて、彼女が大戦を生き延びていたら?
もしそのことが人に知れたら、彼女はヒトラーの娘としか見てもらえなくなるだろう。
でも、どうしても胸に収めておけなくて、もしかしたら孫娘に「もしもの話」として話していたかもしれない。