シングル単位の社会論: ジェンダー・フリーな社会へ (世界思想ゼミナール)
- 世界思想社教学社 (1998年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784790706984
作品紹介・あらすじ
家族単位から個人単位へ。差別的な社会秩序の変革を目標に、われわれの常識、法律・福祉など具体的諸制度を考察する。男女両性にとっての解放論。
感想・レビュー・書評
-
現行の民法や社会保障制度は、家族単位を前提にしており、
異性愛を中心とした家族を形成しない生き方を罰するものになっている。
家族には、性役割分業=性差別を正当化するという問題がある。
したがって、民法や社会保障制度を、家族単位を前提としない 「シングル単位」にして、
性差別を助長しないものにすべきだ。という本。
『「異性愛結婚しろ、家族を作れ、正式の届け出をしろ、
離婚するな、性分業をしろ、子どもを作れ、家族で面倒をみ合え」という強制が強い。』
1998年の本だが、2016年の現在でも同じ主張ができる。古さを感じない。
(非嫡出子の差別緩和、介護保険制度の開始など、一部変わったところもある。)
『シングル単位の社会では、結婚制度はなくなる
(あるいは穏健的過渡期には結婚の特権を縮小していく)。
結婚に際しての届け出がなくなる。
国家・行政は、誰と誰が生計を一つにしているか、扶養義務があるかを知らない。
関心を持たない。つまり公的に家族に対して扶養義務関係を特定しない。』
国家・行政が特定の暮らし方を奨励すべきではない。
税・社会保障は暮らし方に依存しないものにすべきだ。
本文では言及されていないが、ベーシック・インカムによる再配分にはこのような利点があるだろう。
決して一人で生きろと言っているわけではない。
コレクティブ・ハウス(複合的共同住宅)で地域と関わる、などの話題もある。
以下個別に興味を持ったところ。
・フェミニズムからの推論
『…つまりジェンダー概念の獲得は、ジェンダーとしての男女の結合たる家族自体も、
社会的・文化的に作られた後天的な存在であって、自然的存在ではないこと、共同幻想であることを包含する。
(中略)男でも女でもなくなること、つまりシングル単位への指向を包含する。』
性差を絶対視しないという考え方から、
「男女の二者間の排他的結合(=カップル)のみがよい」という発想は否定される。
・家族単位各論
無償労働は家庭内で行われると「家事」、家庭外で行われると「ボランティア」になる。
家庭内の労働は自分の右手(体の一部)が自分のためにやっているようなものであり、正しく評価されない。
相続税は家族内外の区別を強制的に作り出す制度で、家族形成のインセンティブを与えている。
贈与税に一本化すべき。詳細をみるコメント0件をすべて表示