現代思想2011年4月臨時増刊号 総特集=アラブ革命 チュニジア・エジプトから世界へ

  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791712243

感想・レビュー・書評

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  • 《エジプトにとってこれはタリハール広場の奇跡だ by スラヴォイ・ジジェク》
    その民衆蜂起は普遍的なものだった。というのも世界中で私たちすべてにとって、エジプト社会の特徴にかんする文化的分析をなんら必要とすることなしに、それに共鳴し、それがどういったものであるのかを認識することが直接可能となったからだ。イランでのホメイニ革命(そこでは左翼が自らのメッセージをもっぱらイスラム教的な枠組みのなかにこっそりと潜まねばならなかった)とは対照的に、ここではその枠組は自由や正義を求める普遍的で世俗的な要求であり、それゆえムスリム同胞団は世俗的な要求の言語を採用しなければならなかった。p8

    《チュニジアの友への手紙 by トニ・ネグリ》
    「ニューヨーク・タイムズ」紙は、チュニジアの叛乱のような「一つの小さな革命」が燎原の火となって、マグレブだけでなくすべてのアラブ世界が焰に包まれることを、即座に理解していました。p16 Cf. Robert D Kaplan, "One Small Revolution," The New York Time. January 22, 2011

    若者たちは、蜂起を構成的政権の機械へ変える間は、革命過程が継続中であるという姿勢を堅持せねばなりません。p17

    《エジプトの民衆革命は世界を変えるだろう by ピーター・ホルワード》
    エジプトにおける人びとの流動は世界史的な意義を帯びた一箇の革命であり続けている。なぜか?それは、蹶起した人びとが政治的可能性の境界を公然と踏み越え、彼(女)ら自身の熱狂と献身に基づいてこれを行う途方もない能力を繰り返し顕示しているからである。彼(女)らは、いかなる公的組織も存在しないなかで大衆的抗議の準備を進め、そうした抗議行動を残忍な威嚇をもろともせず維持している。p20

    《アラブ人の1848年―独裁者はよろめき、倒れてゆく by タリク・アリ》
    われわれが目の当たりにしているのは、国民的民主化蜂起(national democratic uprisings)のうねりである。それは専制君主、皇帝、その共同支配者に対峙してヨーロッパを席巻し、後に起こる社会動乱を先駆けた1848年の激動を想起させる。これはまさに、アラブの1848年なのだ。p22

    アラブの大衆は、醜悪な支配体制から脱却することを望んでいる。アメリカとEUは独裁者たちを支援し続けてきたが、アラブの大衆が追放しようとしているのは、まさにその独裁者たちなのだ。この謀叛が敵対するのは、富に目が眩んだエリート、腐敗、大量失業、拷問、そして西洋に支配という、終わりなき悲惨に埋め尽くされた世界である。p23

    《中東と世界の行方―ナイルが潤す国を揺るがした市民決起の意味 by 板垣雄三》
    【1. エジプトの2011年革命が展開する<可塑性>空間】
    [根本的な動因を見抜く必要]p24
    2011年の中東を覆う政治変化は、中東にことさら重くのしかかってきた米国の覇権とイスラエルの横車とに対する批判の爆発です。それらを支えそれらと野合することによって、延命してきたアラブ諸国の体制は、内側からの激しい抗議に揺さぶられています。(中略)中東革命の原因の説明は、貧困・失業・格差や圧政・腐敗・汚職の長期強権体制に不満が爆発とか、人口増で若年層が異常に肥大とか、ソーシャルメディアの効能・威力とか、だけで済ませるわけにはいきません。世界のあり方を変える、人間の誇りを回復する、という強い要求がひろく通底しているのを見落とすべきではないからです。

    【2. 「新・市民革命」論の構想―中東の変革が世界の変革であることの意味】p28
    もっとも重要なポイントは、「尊厳(カラーマ)」の要求です。すなわち、人間としての誇り・名誉・尊厳の回復を目指すモラル・フォースなのです。
    エジプトはじめ諸国でみられた印象深いスローガン「パンと自由と人間の尊厳」

    《革命は始まったばかりだ―二十一世紀のアラブ・ルネッサンス by 岡真理》
    私たちはおそらく、世界の歴史的瞬間であろうことを特権的に経験しているのだ。―ラシード・ハーリディ

    それは、突然、やってきた、まるでツナミのように、希望と正義と自由が。そして、私のなかのアラブ人に息吹を吹き込んだ。―ヤスミーン・エル=ホダリー p33

    【1】
    すべての始まりは、チュニジア南部の地方都市に暮らす、貧しい路上の物売りの青年による抗議の焼身決起だった。2011年1月4日、官憲に売り荷を没収されたムハンマド・アズィーズィーはこれに抗議して自らガソリンを浴び、その体に火を放った。青年のその死は首都チュニスにおける民衆蜂起に発展し、23年にわたって独裁を敷いたベンアリ大統領は国外に逃亡、政権は崩壊した。だが、それはそのあとに続く一連の出来事の序章に過ぎなかった。ジャスミン革命と名づけられたこのチュニジアの出来事はエジプトに飛び火し、1月25日、青年グループがデモを呼びかけると、市民が続々とタハリール(解放)広場に結集し、カイロ市内全域さらにはエジプトの各地で市民が蜂起した。官憲による強権的な弾圧にもかかわらず―300名もの市民が命を落とした―、市民は抗議の声をあげるのをやめず、タハリール広場を舞台に繰り広げられた18日間にわたる民衆と治安部隊の攻防の末、30年にわたり大統領の座に君臨したホスにー・ムバラクは退陣に追い込まれた。(チュニジア同様にエジプト革命においても、昨年6月、官憲の暴虐によって殺されたアレキサンドリアの28歳の青年、サイード・ハーレドが青年たちのイコンとなった)。そして革命はバーレーン、リビア、ヨルダン、イラクへとさらに広がりを見せている。
    今回のチュニジアとエジプトにおける革命、とりわけ後者が世界に大きな衝撃を与えたのは、アメリカの絶大な支援によって支えられ―アメリカの対外援助額は1位がイスラエル、次がエジプトだ―30年という長きにわたって続いた、もっとも揺るぎないと思われた独裁体制が、自由と尊厳を求める民衆の声によって打ち砕かれたからだ。この出来事が1989年のベルリンの壁崩壊になぞらえて語られるのはそのためだ。今回の革命を主導したのはマルキシズムの書物でもなければイスラームのシェイフでもなかった。「暮らしと自由と人間の尊厳」というスローガンが示すように、人間が自由に、人間らしく生きられることを求める、人民の人民による人民のための革命だった。p33-34

    【4】
    正義/不正義が普遍的なものである以上、彼らの怒りにはエジプト社会の、自分たちにまつわる問題だけにとどまらない普遍性がはらまれている。p36

    【5】
    フェイスブックやツイッターや携帯電話による民衆蜂起の情報伝達ということ以上に、それよりはるかに先立って、アルジャジーラが衛星放送によってアラブ世界をひとつに結んだこと、さらに、フェイスブックやブログといったパソコンをメディアとした通信手段が、汎アラブ的なコミュニケーションを個人レベルで可能にしたことが、このアラブ・アイデンティティのルネッサンスに大きく影響しているのではないかと感じる。p39

    《エジプトの歓喜とリビアの悲劇―アラブの「民衆革命」はいつまで「新しく」あり得るか by 酒井啓子》
    【2. エジプトの「運動」の新しさ】p41
    「運動」の最大の成功要因は、イデオロギー性を排し、あらゆる層の国民が気楽に、しかも日常生活の延長線上に参加できる「場」を、タハリール広場という場においてもネット上においても、作り上げたことである。
    今回、「運動」は、運動目的を「大統領退陣」のみに絞り込むことで右派、左派ともに抱合し、政府に不満を持つすべての老若男女を動員することに成功した。そこでは「エジプト人たること」が強調され、連帯の幅広い枠組みが維持された。

    【4. リビアが展開する「古い」闘争】p44
    (リビアでは)国際社会の眼を考慮して暴力的鎮圧を自制する、というエジプト、チュニジアで見られたメカニズムが機能せず、畢竟暴力の応酬を通じてしか権力奪取は実現しないという、暴力有効論が、そこから導き出される。

    《グローバル化とアラブ世界の激動 by 清水学》
    【「誇りの回復」としてのエジプト「革命」】
    人間としての「尊厳」の回復要求が、階層、宗教・宗派、ジェンダーの相違を乗り越えて人々を結集させた動因であったといえよう。p52

    ■革命のクロノロジー by 武田祥英 p58-59

    《エジプトは転換点にあるのか? by ジョエル・ベイニン》
    多くのマスメディアによって行われた即時分析は、今回のエジプトの変動を説明するうえで二つの要素に注目している。ひとつめは、チュニジアの蜂起のデモンストレーション効果である。ふたつめは、ブログやフェイスブック、ツイッターやフリッカーといった、ウェブ2.0ソーシャルメディアの新たな動員力である。一部の分析は、衛星テレビネットワークの存在、特にアル=ジャズィーラやアル=アラビーヤによって、アラブ世界をまたぐ相対的に自由な情報の流れが存在していたことにも言及している。p86

    《エジプト第二共和政への道は敷かれたか by 長沢栄治》
    エジプト現代史は3つの時代に区分することができるように思う。それは、7月革命以前の立憲王政期、革命後のアラブ民族主義が高揚したナセル期、そしてポスト・ナセルのサダト=ムバーラク期である。p94

  • 中東の革命はFBやTwitterといtったネットによって媒介されたネット革命だといわれる。だが、PCも携帯もなかった時代にも人々は街路を埋め尽くして、自由を叫んだ。むしろFBやTW、携帯による民衆蜂起の情報伝達ということ以上に、それにはるか先立ってアルジャジーラが衛星放送によってアラブ世界をひとつに結んだことが大きく影響している。
    ネットが革命、暴動で大きな役割を果たしたのは2009年のイランの大統領選挙後。
    中東のインターネット普及率は20%程度と高くない。
    エジプトではFBは政治活動にも多く利用されていた。
    しかし、ムスリムには衛星放送もネットも西洋社会の腐敗堕落した文化という意識がある。

  • 革命について考える。祝祭について考える。
    革命であり祝祭であることについて考える。

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著者プロフィール

1949年、スロヴァニア生まれ。
リュブリアナ大学社会学研究所上級研究員、ロンドン大学バークベック校国際ディレクター。
ラカン派マルクス主義者として現代政治、哲学、精神分析、文化批評など多彩な活動をつづける。
翻訳された著書に、『終焉の時代を生きる』(国文社)、『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書)、
『パララックス・ヴュー』(作品社)、『大義を忘れるな』『暴力』(ともに青土社)、
『ロベスピエール/毛沢東』(河出文庫)など多数。

「2013年 『2011 危うく夢見た一年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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