- Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791750368
感想・レビュー・書評
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池田某でよくよくでてきたものだが、どういうわけか忘れていて、ワゴンセールで見かけて思い出す。
ものとしての脳であり、ものではない脳。機能と構造を止揚した存在。考えているこの存在を「脳」と言っただけのこと。このひとは、「わたし」ではなく「脳」と言うのである。
機能と構造の止揚を「連合」と呼ぶこと自体は確かにもう古いかもしれない。今はそれを「システム」と呼ぶのかもしれない。けれども考えていることにはもう何千年も前から進歩などなかった。「脳」であるところの「わたし」が変わっていないのだから、その考え方も何にも変わっていないのである。
この「脳みそ」を物質として考えることもまた、「脳」の働きなのである。二元論とは、同じものの裏表を見ているだけであって、分け方の問題でしかない。では分けるのは一体何か、この脳であるところの「わたし」でしかない。とするならば、このわたしは一体別れた存在なのか。主語をいちいち述べる必要のない日本語という言語はこういう時に非常に役に立つ。
それにしてもこの筆者は、解剖学というものをどうしてここまで続けてこられたのか。死体を刻むのが倫理的にどうとかそういう話ではなくて、単純に気持ち悪いと感じなかったのだろうか。中身をむき出しにする時、メスを入れて取り出す時、その手触りに妙なリアルさを感じたのではないか。目の前のこれは死んでいる、でも今手にしているこの臓物は「死んでいない」。死体ではあるが、生きているものを手に取って眺めているのである。彼が最後に身体の反逆について述べるのは、こういう実体験に基づくリアルな実感なんだと思う。脳は自分自身のことしか知らない。それがなんということか、この身体に宿っているのである。奇妙な事であり、また恐ろしい事態なのである。
さて、この著書からはや20年以上が経とうとしている。歳もずいぶん召されて、きっと身体の声がもっとよく聞けるようになっているかもしれない。唯脳論以後、どうなっているのだろうか…詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
解剖学的な世界のとらえ方、ということに目から鱗が落ちた。
ものの考え方の根本の根本を教わりました。 -
養老孟司にハマるきっかけとなった本
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後半が難しかった