- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791757619
作品紹介・あらすじ
この国で第三世界の女性であるということ。フィリピン女性=セックス産業というイメージはどうして作られるのか。彼女たちの話す日本語はなぜ汚いといわれるのか。子供たちはなぜ母親の話す日本語を恥じるのか。在日フィリピン人女性と在日朝鮮人女性がディアスポラの視点から、言語、権力、差別、マイノリティ、ジェンダーを語り、多民族国家・日本の現実を描き出す。
感想・レビュー・書評
-
運良くエリートな自分、セックスワークに勤しむ「同胞」を見て悔しいんでしょうねぇ。
まあ結果的に2005年を境に目的を達成できたんじゃないでしょうか。リサゴウさんおめでとうございます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フィリピン女性=性産業に従事する女性、というイメージは、今はないだろう…と思うけれど、たまにそのイメージが残っていたりする(かえってびっくりするけど)。性産業→農村花嫁→ケアワーカーへと変わっても、フィリピン女性をめぐる状況は、日本にとって、常に性(生殖)やケアのための補充労働力とされている、という問題構成自体は、今日でも同型的だろう。本書では、在日フィリピン女性の連帯に精力的・中心的に関わってきたリサ・ゴウへのインタビューを軸に、彼女のライフヒストリーや具体的な日常生活が語られる。フィリピン解放運動とフェミニズムの関係など、固有の文脈があることに(知っていたつもりでも)はっとさせられる。第三世界の女性、という表象や「レイシズム」、アイデンティティ・ポリティクス…という問いかけは、幾ばくか古びてはいるものの、日本人であること、を正面から問いかけられ、胸を打たれる良書だと思う。最初、違和感を感じていた「レイシズム」という語彙の選択が、アジアの中の「レイシズム」であり、エスニック・マイノリティという問題構成とは重点に違いがある…ということが(全面的に支持する気にはなれないけれど)、示唆的な課題だなーと感じた。