全‐世界音楽論

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著者 : 東琢磨
  • 青土社 (2003年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791760541

全‐世界音楽論の感想・レビュー・書評

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  • 世界中の音楽を政治・経済・歴史・文化・音楽以外のアートなどとの連関を含めて
    多角的に捉えなおそうとした本。
    最初の章がサルサをベーシックに書いてて
    サルサを知らないとついていけないなって感じました。
    僕自身、サルサは未開なので。
    真ん中くらいから語られているジャンルのことを
    あまり知らなくても読めるような書き方になってるので
    紹介されてた音楽や映画なんかは触れてみようかなと思えました。
    この本で紹介されてるのは
    いわゆる第三世界、とくにラテンーアメリカなので
    全−世界音楽論というには少し偏りがあるかなぁと思いましたが
    内容の方はなかなか興味深いです。
    世界の素晴らしい音楽を紹介しながら
    日本の現状に対する抗議のような部分がときどき顔を出していて
    なかなか考えさせられます。
    それは例えば
    日本ではあらゆる種類の音楽が手に入るような幻想があるが
    「儲からない」と判断された音楽は
    そこに辿り着く為にかなりの労力が必要である
    といった環境管理型社会への批判とも繋がるようなものであったり
    音楽がその音そのものだけを捉えて消費されてしまっていて
    そこに含まれる歴史・文化・思想的な意味合いが
    いつの間にか去勢されてしまっている問題であったりです。
    うちのねーちゃんなんかは普通の人の典型だと思うので
    その辺を想起しながら考えると
    普通の人って売れてるものしか聞かないんですよ。
    「それって人気あるん?」
    とか
    「それって売れてんの?」
    というセリフを何度も聞きましたし
    レンタルCDをダビングする際に
    「2曲目は知らんからいらんわ」
    と言ってTVでかかってる1曲目のみをダビングすることも
    当然のようです。
    これは極端な例だと思うんだけど
    基本的に普通の人はそうやってメディアから与えられた音楽を聞くし
    メディアから与えられない音楽には見向きもしないでしょう。
    また、普通の人が普通に生活していて
    第三世界の音楽に出会う可能性って限りなく低いと思う。
    そういう意味では、与えられた環境の中での自由はあっても
    そこにないものにまで想像力を働かせることって
    音楽のことを除いても難しいことだと思う。
    A2という映画が描き出したのも
    結局のところメディアが流さない前後の文脈であったりで
    そういうものを通じて世界を広げることは
    ある種の管理され閉塞感のある社会への突破口となるかもしれない。
    話が逸れたので元に戻そう。
    例えば音楽の歴史・文化・思想的側面って話だと
    分かりやすいとこでいけば女子十二楽坊とか
    中国風の楽器・メロディーを使ってるだけ
    ようは音のみで雰囲気を構築してるだけで
    歴史・文化についてそこから何かを見出し得るかというと
    それはまったくといって皆無。
    演奏もそんなに上手いと思わないし
    メディアが作り上げたブームなんだろうなぁと
    単純に感心してしまう。
    基本的に商売として機能している以上
    そういうメディアのコントロールであったり
    売れる音楽を作るという姿勢を否定するつもりはないんですよ。
    ただ、それ一辺倒になって音楽のアートとしての部分を守る人がいなくなったら
    音楽の存在価値って非常に薄くなってしまうのに
    音楽のアートとしての部分を排除しようとする流れが
    メインストリームで大きく渦巻いているのが気にかかります。
    興味を引いた部分は他にもあって
    マルチ・センターという考え方
    それはオーネット・コールマンの音響民主主義という考え方
    藤井郷子のジャズの定義
    が特に印象に残っている。
    マルチ・センターは簡単に言うと
    ニューヨークやパリが文化やアートの中心地になってるんじゃなくて
    今では世界中で文化やアートが作られていて
    特徴が違うということだけで優劣はなく
    ある意味ではすべてがそれぞれの文化・アート的な中心地になっているということ。
    これっていろんなことに使えそうな言葉ですね。
    僕が「世界のサブカルチャー化」って言葉で表現したかったことと
    割と近い感じがしないでもない。
    マルチ・センターのがポジティブな印象がしますが。
    音響民主主義は分かりやすく言うと
    演奏している人全員が対等な立場で演奏することで
    何か一つのものが結果として生まれる
    といった感じ。
    通常、音楽って内部にヒエラルキーがあって
    ボーカリストが一番偉かったり指揮者が一番偉かったりするんだけど
    そういうヒエラルキーをなくして
    全員が自分が中心になるような演奏をすること。
    マルチ・センターの考え方でそのまま演奏したような感じかも。
    藤井郷子のジャズの定義は
    「多くの場合インプロを含みまた、
     どんな音楽、文化も取り入れられる雑食性のある音楽。
     発生した時からずっとそのかたちに個室せずに変化を続けてきた、
     そういう意味では博物館に陳列できるような種類のものではなく、
     かたちとして成立しなくてもリスクを負う事を恐れずに
     表現しようとする精神性のある表現」
    と分かりやすい。
    しかしこれって、僕が普段から口にしている
    ロックの定義とほとんど一緒。
    出発点をどこに置くかでそれぞれの立場や感覚は違って
    それはロックとジャズという明らかに違う表現形態に現れてるんだけど
    精神性や広がりという意味において
    それらは相反しないんだなと思えた。
    同じものを違う角度から表現しているだけ。
    マルチ・センター。
    そう考えるとますます音楽をジャンルで聴くのがもったいなくなるな。
    もちろん音の好みって大事だけど
    そこに含まれる精神性まで楽しもうとするなら
    それは視点の違いだけなんだもの。
    そうやって音楽を介して世界が広がればいいなと思います。

    東琢磨って人はホントにいろいろ調べてて偉いなと思います。
    共感する部分もたくさんあったし。
    ただ、「うた」を軽視しているような印象が文章にあることと
    日本のポピュラーミュージックをアンチで片付けてしまうところは
    ちょっと相容れない部分ではありました。
    こういう人たちにとって例えばラルク・アンシェルってバンドは
    ホントに意味のない音楽に見えているんだと思うんですけど
    それは日本という内部にいるからの視点が大きく作用しているんじゃないかな。
    アメリカのインディーズ・バンドのHPを見ていると
    フェイバリットにラルクを挙げてるバンドが結構いるらしいって話を聞いて
    逆に内部にいるがために批判的に見えることもあるのかもって思ったんですよ。
    日本人として海外を見てしまっているところに
    全−世界音楽論と題しながら日本人的な主観が垣間見えて
    そこは少しもったいないかなぁと思った次第でした。

    とりあえずこの本に出てきた音楽・映画・思想なんかに触れたら
    いつの日かもう一度読んでみようと思う本でした。

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全‐世界音楽論の作品紹介

ジャズ、ラティーノ、トロピカリズモ、前衛、地中海、バルカン、想像的民俗音楽…遊動するエスニシティとグローバリゼーションの下にうごめく小さな音楽たちは、いかにして新たな"場所"を見いだすのか。擬制の"ワールド・ミュージック"をこえて、カルチュラル・スタディーズ以降の批評の可能性と臨界点を示す気鋭の"現場的"音楽論。

全‐世界音楽論はこんな本です

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