- Amazon.co.jp ・本 (389ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791761166
作品紹介・あらすじ
最強のインディペンデント映画作家を養成するために、世界映画の最前線で活躍する作家・技術者たちが集結、映画の構想から仕上げまでを具体的に解説しながらシネマの精髄を現出させる。これ一冊で映画の見方が180度転換する、読んで面白い映画の教科書。
感想・レビュー・書評
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よき。
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映画好きだった。過去形でしか語れないのは、ここ10年はちゃんと映画を見ていないからだ。旬のアイドルの名前を諳んじるこてゃ出来ても、注目のハリウッド女優の名前は疎い。ロト6当てたら、本篇を撮ろうぜ、と嘯いていたことがあった。そんな景気のいい法螺も吹かなくなった。ちょうど、映画を見なくなった頃と時期が重なる。
蛙と蠍のエピソードの蠍のように、わかっていても、同じ過ちを繰り返す。そして、蠍は蠍のままで溺れ死んで、湖の底に沈む。私はそんな逆らえない自己を受け入れる心の準備をしているのかもしれない。 -
意識の集中(コンセントレーション)と即興(インプロビゼーション)。意識の集中―具体的に考えること。ロジックを越えた深部で今まさに直面している問題と触れ合うこと。この触れ合う瞬間を先延ばしにし続ける限り、問題はいつまでも同じ問題であり続け、異なる相貌を見せてはくれない。取材、資料調べ、インスピレーションを求めての様々な読書、映画体験等はそれが必要な行為であったとしても、間接的、二次的な思考である。人はしばしばこのレベルで停滞し、それが具体的な思考を遠ざけていることに気づかなくなる。他人の作り出した表象に包囲され続ける状態を裁ち切り、眼の前の具体への、痛みが伴う集中を仕掛けることが必要なのだ。
自分がストーリーを語るための官僚か奴隷になっていると感じたら、そのストーリーは捨てること。本来、創造的な行為であったはずのものが、いつのまにか義務や苦役と化す「疎外」の罠は至る所にある。自分が創造的状態にあるかどうか、常に気をつけよ。
説明に陥ってはならない。ストーリーに囚われたものは「説明」を始める。彼らは観客に表現を突きつけるのではなく、ストーリーの説明会、釈明会見を開いている。彼らは状況を成立させるためのつっかい棒に囲まれて身動きができなくなっている。そのつっかい棒を一つ外してみること。トタンに建築物は傾く。すなわち状況は動く。魅力的な断片から始めよ。
自分が魅力を感じるエピソードを並べ(それらをつなぐためのエピソードは説明に過ぎないから排除)、そこにいかなる脈絡があるのか、これらのエピソードは何を伝えようとしているのか、自らの無意識の中に降りてゆくこと。井戸の底に深く降りてゆくイメージ。意識の集中。(高橋洋)
テーマ(企画)/登場人物(キャラクター)/構成(出来事の羅列・視点・情報の順番)/世界観(世界設定・世界認識)
テーマ/キャラ/構成/世界設定/世界認識、を変えると物語が変わる。ライティングプロセスにおいては、各要素を何度も順繰りに検討しながら、次第にひとつの物語を構築していく。
●テーマとは、理念や価値観を語る抽象的な言葉であってはならない。それはあくまで具体的な出来事の記述でなければならない。さらにいうなら、それは登場人物の行動を通した出来事の記述であることが望ましい。
●登場人物(登場人物+アクション/リアクションの特性)
キャラクターを構成する要素のチェックリスト→劇的欲求/考え方(世界認識)/態度/変化
キャラが立ってこないとき(人物の一面化から多面化へ)
・その登場人物のポジティブな面とネガティブな面をセットで考える。最初のキャラ設定に対して対立的に別の要素を加える。 ex.大人しいけど、めちゃくちゃ頑固。根は優しいけど、口が悪い。気は強いけど、涙もろい。登場人物を善人として設定している場合は、ポジティブな面をそのままネガティブなものとして捉えてみる手もある。ex.いい人だけど、いい人すぎる。優しいんだけど、誰にでも優しいから困る。
・キャラクターに役割以外の一面を与える ex.恋敵だけど、バレー部員でアタッカーとセッター
・普通、人はこうするの罠
普通、人はどうするかは別にして、この人物はどう動くのだ?と考えてみる。
「私がストーリーを書くとき、登場人物たちが何を考えているかには全く頓着しない。大事なのは彼らがその性格にどこまでも忠実であるということだけ」サミュエル・フラー
・登場人物にはまず行動があり、その行動によってはじめて内面が浮き上がる
人物が劇中である行動を取る場合、その行動を正当化する理屈を見つけようとして
しまう「彼はこう考えている、ゆえにこう動く」とか「彼はこういう気持ちだ、ゆえにこう動く」。理屈の積み重ねは予定調和を引き起こす。こういう場合、少し発想を変えて内面を問わずに、そこで人物がとったら面白い行動を先に考えてみる「この人はこういう行動をした、ゆえにこういう人物なのだ」「この人はこういう行動をした、ゆえにこういう気持ちだったのだ」と考えてみる。たとえそれがその人物のキャラを裏切っているように見えた場合も、その人物の思わぬ一面を見せているように感じられたらその感覚を優先する。アメリカ映画的な人物把握の基本とは、その人物のキャラクターを必ずネガとポジの両極で把握し、そのキャラクターから生まれる行動以外の人物の内面には言及しない。
・逆を考える
登場人物のリアクションの逆を考える。「悲しみのあまり泣き崩れる→悲しみのあまり大笑いする」「好きだからキスをする→好きだからこそキスしない(ぶん殴る)」
AとBの会話場面でAのセリフをBに言わせ、BのセリフをAに言わせる。
人物の性別をランダムに入れ替えてしまう。男性として想像していた人物を理由なく女性に置き換えてみる。
・ 構成
視点と情報の配列による観客の操縦 ex.ミステリージャンル
ストーリー中心主義(ex.ハリウッド)とエピソード中心主義(ex.群像劇、ロバート・アルトマン)
●世界観(=世界設定+世界認識)
・世界設定 作品全体を支える舞台設定や人物設定、行動原理(ルール)
ex.オバケのQ太郎。空が飛べるが、犬が苦手、飯をドンブリ50杯食べる。なぜか化けられない。
・世界認識 作者がどのように世界を、現実を個々の現象を認識しているのかということ。自分がそのテーマについてどう考えているか。社会について、人間について、愛、暴力、家族、死、セックスについてどう考えているか?それがつまらなければあなたの映画はつまらない。
(塩田明彦)