- Amazon.co.jp ・本 (422ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791764235
作品紹介・あらすじ
映画崩壊前夜の自覚が意識に浮上するのは、その瞬間である。実際、これらのフィルムは、かりに自分が映画でないのだとしたら、映画など存在しようもないし、そもそも存在する価値すらないと孤独につぶやいている。時間空間を超えて反復されるそのつぶやきが聞きとどけられるとき、そのときにのみ、映画はかろうじて不可視のスクリーンに向けて投影され、映画は映画であるという同語反復を音としては響かぬ波動としてあたりに行きわたらせる。その投影と波動とを無根拠に肯定する身振り-。
感想・レビュー・書評
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今や東大の学長でもある蓮實教授が、比較的新しい映画(50本強の掲載タイトルのうち、ほとんどが21世紀の作品だったと思う)を中心に、縦横無尽・自由奔放に映画を語る。
なるほど~、と思うものもあれば、そうなのか…?と思う映画評もある。
けれど、一映画ファンとして軽い気持ちで読むのであれば、ネット上のレビューを読むよりは、はるかに質が高い文章を、はるかに効率的に見つけることが出来る。(いや、それってよくよく考えれば当たり前なんだけど、私なんかは図書館でこういう本を読むよりもネットでレビュー探しちゃうタイプなので…)
改めて感じたのは蓮實教授のクリント・イーストウッドに対する並々ならぬご執心ぶり(ここは本来「愛着」「愛情」「敬愛」と言った表現をすべきところと思いますが、蓮實先生もイーストウッドを変態呼ばわりしたくて仕方ないらしいので、こちらも敢えて「執心」という言葉を使ってみる/笑)。
「ミスティック・リバー」「グラン・トリノ」に対する考察には唸った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画における演技とは、ショットによる世界の切断という不自然な身振りを高度な自然さへと仮構してみせる俳優の存在様態の問題となる。
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著者サイン本。