新しい貧困 労働消費主義ニュープア

  • 青土社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791764242

作品紹介・あらすじ

働くことよりも消費することに価値と意味が与えられる時代。消費すらできない人たちは、社会的な役割をもちえない自由競争の敗北者として、福祉からもコミュニティからもそして「人間の尊厳」からも排除される…いまもっとも注目をあつめる社会学の権威が、現代によって作り出された「ニュープア」の実像と、それを生みだした現代社会の実態にせまる。

感想・レビュー・書評

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  • 労働倫理が逆に貧困者を貧困から抜け出すことを妨げる、という論旨に目から鱗。学校現場でしばしば見られている労働倫理への従属性が、社会改変の妨げになるのかも、ととびきりでっかい謎を残してくれた一冊。読んだ人の専門性によって、生まれる謎は形を変えるだろうけど、刺激的な社会観をプレゼント、もしくは、それを考える視座を与えてくれることは間違いない。現代社会を学ぶ人はとりあえず読まなきゃ。バウマン先生の本にしては読みやすいです。

  • 原著は95年に出版されたそうですけど、内容はちっとも古くないです。今の日本の状況にぴったりな感じ。著者が最後に示唆するような方向に世界が(そして日本も)変わっていきそうもないので、現代「消費社会」の一人間廃棄物としては憂鬱になります。野垂れ死ぬか、ガス室か…。

  • Refered by Nikkeinews 20080928 日曜書評

    近代以降、雇用をはじめとする経済社会の変容に伴う「貧困の意味合い」をたどる言説史。

    英国の工業化に生まれた労働倫理は、悲惨な救貧院を置くことで、「働かなければああなる」と道徳的意義を強調した。・・・だが、消費社会において労働観は審美的なものとなる。やりがいのある仕事をそれ以外の仕事が分別され、自ら仕事を選択できないものは「欠陥のある消費者」として社会から疎外される。

    加えてグローバル化だ。福祉国家に労働力をプールするコストを誰も担いたがらない。失職の意味は、失業から「余剰」に替わる。余剰となった貧困者の行先はどこか?

    ---
    労働倫理とは何か?それは一つの戒律であり、二つの明示的な前提と、二つの暗黙的な信念から構成されている。
    ?明示的な前提1:幸福に暮らすために必要なものを得るためには、賃金を受け取るに値すると他の人からみなされることを行う必要がある

    労働倫理は、一石二鳥だ。新興産業の労働力不足を解消する一方で、ポスト伝統社会が直面しなければならなかったもっとも苛立たしい阻害要因の一つである、「環境変化に適応できず、自分の生計を立てられない人々を厄介払いする」ことを正当化することだ。

  • 文章は平易とは言い難く、何を言っているのか良く分からないという部分も少なからずあった。私の読解力が乏しいのか、翻訳が不適切なのかは何とも言えないが...

    人間廃棄物
    現代社会の貧困について「余剰人口」とか「人間廃棄物」などという強い言葉を使って説明している点が何よりも印象深く感じた。

    先進国では余剰な人口の捌け口を途上国に求めることで当座の問題を回避することができたため現在のような発展を遂げることとなったが、彼らによってすべてを使い尽くされてしまった今、途上国には「余剰」を処理するための手段が残っていない。こうして溢れた人たちの最終的なはけ口として挙げられているのが「ゲリラ部隊」や「難民」としての道であるとされている。労働・経済発展という側面からこれらの問題に結びつきが生まれるとは思っていなかったし、途上国の問題を先進国に住む我々が無視していいということにもならないのだろう。先進国においても「犯罪者」として社会から隔離することで「廃棄物」問題から目を背けてしまっている。社会が悪いのではなく、犯罪を起こす人が悪い、という風にである。

    AIや自動化が叫ばれている中、「余剰人口」は増えていく一方だろう。いつ、誰が「余剰」な人間になる変わらない中、すでに「廃棄」されてしまった人から目を背けることは許されないことだろう。

    労働倫理
    今の我々にとっては働くことは当たり前なことだが、なぜ当たり前になったのかというのが労働倫理の形成を通じて述べられている。もとは資本家が労働力を集めるために作られたもので、被雇用者がその考えに順応して消費社会を受け入れたことが今日の我々の労働に対する考えであったが、これによって貧困に陥るのはその人の能力や意志に欠陥があるからだとみなされるようになってしまい、社会はこういった人を単なる「廃棄物」としてしか見なさなくなってしまった。
    生産社会から消費社会へと転換した今、労働倫理は人間の基本的権利の保障を前提とした新たな倫理へと生まれ変わらなければならない。この主張はすでにオッフェによってなされている。内容としてはベーシックインカムのような考え方であるが、私たちには容易には受け入れられないだろうともされている。

    経済発展の過程で徐々に労働倫理が発展していき今では貧しい人々を追いやるような考えへと変化してしまっている。我々が今持っている労働に対する考え方というのも無条件で受け入れて良いものではないのだろうと感じる。

  • 思索
    社会

  • 近代、工業化が貧民を労働者として掬い上げることは社会秩序の安定にも繋がったが、生産性の向上が産んだ現代の「失業」は既に「余剰」である…と、分析はいいけど、訳者あとがきにもある通り、踏み込み不足感が強い。ページ数が足りないのかな?

  • 分類=貧困・ワーキングプア。08年7月。

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著者プロフィール

1925年、ポーランドのポズナニのユダヤ人家庭に生まれる。ナチス侵攻によりソヴィエトに逃れ、第二次世界大戦後ポーランドに帰国。学界に身を投じワルシャワ大学教授となるが、68年に反体制的知識人として同大学を追われる。イスラエルのテルアヴィヴ大学教授などを経て、現在リーズ大学名誉教授、ワルシャワ大学名誉教授。現代の社会学界を代表する理論家である。邦訳書に『個人化社会』(青弓社)、『コラテラル・ダメージ――グローバル時代の巻き添え被害』(青土社)、『コミュニティ――安全と自由の戦場』(筑摩書房)、『リキッド・ライフ――現代における生の諸相』『リキッド・モダニティ――液状化する社会』(ともに大月書店)、『廃棄された生――モダニティとその追放者』(昭和堂)など多数。

「2012年 『液状不安』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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