暴力の人類史 上

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制作 : 幾島幸子  塩原通緒 
  • 青土社 (2015年1月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (700ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791768462

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暴力の人類史 上の感想・レビュー・書評

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  • 非常に良い。
    現代が今までの中で一番平和であることを統計や逸話などから教えてくれる本。

  • 歴史を題材としたすべての創作者にとっては必読の一冊。今の時代は並外れて平和だと言われているけど、過去って実は「異国とも思えるほど、衝撃的で暴力的だった」。『ヒストリエ』や『ヴィンランド・サガ』に見られる、理不尽で残酷な描写が誇張でも何でもないことがよくわかる。アイスマンなど今日発見される古代の遺体に、殺害や生け贄といった悲惨な最期を遂げたものが意外に多い。ホメロスは戦争を、一方では浪費であると嘆きつつも、それを避けられない人生の現実として受け入れていたし、あの聖書でさえ暴力を称賛する長い物語と読めるのだ。

    「戦闘は決闘になぞらえられるが、歴史において決闘はやがて笑いの種にされ、ついには消滅した事を思い出してほしい。いまや戦争も同じように縮小しつつあった。まさにオスカー・ワイルドの予言『戦争は邪悪なものと見なされる限り、その魅力はいつまでも消えない。だが野蛮ものと見下されれば人心は離れていくだろう』が成就したと言っていいかもしれない」

    「かつて戦争は輝かしく英雄的で、神聖で、スリリングで、勇ましく、全てを浄化するものと見なされていたが、いまや戦争は、不道徳で、不快で、野蛮で、無益で、愚かで、無駄ばかりで残酷なものになった」
    つまり、戦争の正当性が信じられた時代は去り、戦争を嫌う感情が大勢となったのだ。

    もちろん著者は、これですべての戦争がなくなり平和になったのだと考えているわけではない。戦争はただポワソン過程にしたがってランダムに起きるものなのだから、地震のように周期性があるわけでもなく、今日明日にも突然勃発しても全然不思議ではない。しかし世界は、多くの犠牲者を出しながらも、その度に過ちを反省し、徐々に戦争勃発の確率を下げていく歴史的過程にあることは間違いない。

    戦後の平和の時代が続いているのは、なぜか? 平和をもたらしているのは核なのか民主主義なのか貿易なのか? そうではないのか? 両方の側に証拠と反証がいくつもあり検討が加えられる。読者は、「1940年代後半以来、他国を征服することによって領土を広げた先進国の数はゼロ」であり、いかなる領土拡張も「侵略」と断罪され、国境不可侵の規範が作られたという著者の指摘に対し、ロシアによるクリミア併合などを思い浮かべるかも知れない。しかし一部に例外はあっても、やがて撤退もしくは無効とされてきた歴史があるとする。

    上巻での結論は、長い平和が「暴力の減少をもたらす心理的回帰の結果だ」ということだ。奴隷制や車裂きの刑、異端者の火あぶり、決闘、鞭打ちの刑、そして死刑でさえも、かつては多くの人にとって当たり前のものと考えられていた。しかしやがて「意見の分かれるものへ、そして不道徳なもの、考えられないもの、ついには想像ができないものへと変わっていった」ように、戦争もこうした人間を規制する規範や慣習によって形を変えていくに違いないとする。日本人にとっての死刑や、肉体への暴力とも言える切腹について考えさせられる結論だ。

    これは初版本に限ったことであって欲しいのだが、誤字・脱字・字下げの間違いの多さには閉口させられた。決して訳文は読みにくいわけではない(むしろ読みやすい)のだが、監訳者のいない共同訳出の弊害か、はたまた編集者の点検漏れかは知らないが、落丁本と言いいたいくらいのありえない数の誤りがあり、決して安い本ではないので残念でならない。

  • スティーブン・ピンカー氏の前著を読んでいると大いに楽しめる本。少なくとも、この本の前に、心は空白の石板か?は読んでおいたほうがいい。
    ラスト付近、執筆段階(あるいは出版段階)では想定できない未来のこととして、イランが核兵器を、ロシアが旧支配地に侵攻うんぬんが全く可能性ゼロとは言い切れない、などとある。そこにアメリカがキナ臭い方向へ行くという可能性は一つも提示されていない。が、現実はそのアメリカがトランプ氏の自国第一主義に転んで行った現実が2017年の私には分かっている。アメリカ自身の変質というところを仮定の仮定としても想定していないあたりが、アメリカ発の著作の最たる証拠か、という感じが大変興味深い。
    それでも、ピンカー氏が導いてくれる知的冒険の価値に変わりはないが。

  • 下巻まで通読したらすぐ2周目に入りたい。

  • 21世紀が如何に平和且つ人類の理性が最高峰に達した時代かをデータと事実に基づき論証。
    20世紀はろくでもない時代だった。19世紀はもっとろくでもない時代だった。中世はキチガイ、それ以前は何ともはや。
    昔は良かったの懐古趣味は教養の欠如以外のなにものでもないと。

  • 世界に対して悲観的、破滅的な報道が多い中、人類史上一環として殺人・暴力が減少していることをデータとして示して、データのみでなく、著者の考える要因を膨大な知識で説明しようとしている。とにかく分量が多く、途中冗長ではないかと思わないでもなかったが、世界史の勉強と思い、興味深く読んでいる。著者は認知科学者、進化心理学者ということであるが、上巻を読む限り、歴史的事実に関する記述が多く、下巻で著者の心理学を踏まえたどのような論を展開するか楽しみである。

  • 人類の誕生から現在まで順を追って説明しているが、中世までのところは皆が知らないので、そこを中心にして興味が沸くであろう。20世紀が殺人の世紀というキャッチフレーズは言えないということである。

  • 戦争・暴力を統計として見ていけば、時代とともに確実に減少しているという。我々が今生きている現代が最も暴力的である、と思いがちな、感覚的には受け入れにくい主張だが、出てくる数値・グラフには説得力がある。膨大な考察の中には感情的にすぐには首肯しづらいものもあるが(死んでるが量が減ってるからいいだろ、という見方。第二次大戦における日本の捉え方など)、俯瞰の高度が高ければ細部は見えにくくなるのは致し方ない。内容、物理的に実に重厚だが下巻も読む。

  • 系推薦図書 3系(情報・知能工学系)

    【配架場所】 図・3F開架 
    【請求記号】 209||PI||1
    【OPACへのリンク】

     https://opac.lib.tut.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=172020

  • 「はじめに」を読んで著者の言うように「信じられないような話」と私も思った。とてもとても驚いた。なんと、「長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮しているかもしれないのだ」というのである。

    確かに北側諸国の飢餓や差別、戦死は少なくなったかもしれない。しかし、数千年単位では戦死者は多くなり、南北格差が言われ貧困による暴力による死者は増えているのでは無いか?単なる数字の操作なのでは無いか?しかし著者はこの文章のすぐあとにそれを否定する。

    「もっともその減少はなだらかに起きたわけではなく、もちろん暴力が完全にゼロになったわけでもない。また今後も減少しつづけるという保証もない。だが暴力が減少傾向にあること自体は間違いなく、これは数千年単位でも数十年単位でも、また戦争から子どもの体罰にいたるさまざまな種類の暴力についても見て取れる傾向である。」(11p)

    著者はそれをきちんと証明するために、この本はここまで分厚くなったという。この最初の衝撃に引っ張られて、私も図書館の借り出し期間が終わる前までに急いで読まざるを得なかった(一冊4200円もするので買えない)。

    私の関心は、言うまでもなく古代である。私は佐原真氏の云う「人類史の中で、戦争を始めたのはつい最近である。人間が始めた戦争は、人間がやめさせなくてはならない」という指摘に目覚めさせられて、考古学を学び始めた者である。佐原真氏は、イデオロギーで言ったわけではない。根拠はあった。ではこの著者の根拠は何か。きちんと数量化して、根拠を出しているのか?

    1番大きな根拠は111pの表「非国家社会と国家社会の戦争により死亡する人の割合」である。死亡の絶対数ではなく、割合を出したのは当然である。「遺跡から発掘された骨に占める暴力死の割合」は「平均15%」と導き出す。その他「現代」の「狩猟採集民」や「狩猟採集農耕民その他」の割合も14%、24.5%も出していて、一方16世紀から現代に至る「一部」の「国家社会」の割合は1%未満になると言う。

    明らかに恣意的なサンプル抽出である。ここには、それぞれの遺跡の考古学的な資料批判もなければ、その他の遺跡の比較検討もない。確かに、遺跡の骨からすべての暴力死の痕跡を類推することは不可能である。だから、比較的資料が多い現代の非国家社会の資料も出してきたのだろうが、ともかくここだけを見ても考古学的な学問的厳密さからかけ離れている。

    因みに、佐原真氏の主張のきっかけは、縄文時代よりも弥生時代の方が石鏃の大きさが動物殺傷目的から人殺傷目的に変わったことに注目したのだが、当然人物の骨も後年検討し、質も量も(酸性土の日本ではサンプル数が少ないとは言え)、縄文時代に戦争があった証拠は見つけられなかったという。

    この著者のサンプル抽出は、先史の抽出は、最近では西暦1770年の遺跡も含み、注目すべきは1300年代の遺跡の割合がかなり突出しており、平均を大きく押し上げているのである。

    非国家社会と言いながら、間接的に国家社会の影響を持ったサンプルではないかと言う疑問は拭えない。

    ここで、つまづいたので、もう私はこの著者の主張を全面的には信用できなくなった。確かにこの数世紀は、暴力死の「割合」は減ってきているのは、説得力があるのかもしれないとは思う。

    2014年9月12日読了

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