シッダールタ

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794214690

作品紹介・あらすじ

一九二二年に刊行されたヘッセ中期の傑作『シッダールタ』はインドの青年シッダールタ(釈迦と同名だが別人)が生の真理をもとめて修行し、世俗の中に生き、人生の最後に悟りの境地にいたるまでを寓話的に描いた小説である。二十世紀に多くの若者に愛読された本書は新訳を得て、いまふたたび悩める現代人に読まれるべきである。

感想・レビュー・書評

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  • 人生を深く考えさせられる本。この本の中に悟りのヒントがあるとか、仏教思想の説明を試みという狙いはなく、シッダールタその人の人生、ストーリーである。大昔、学研の漫画でブッダを読んだ時と同じストーリーを辿る。懐かしい感じがした。

    バラモンは皆、様々な形で人生の意味や宇宙の成り立ちの解読を試みようとしており、科学という概念よりも言語や即物の連関でそれを示そうとした。認知革命の神話、拠り所を探ろうとしたという事だ。各々に体得した思想を披露しながら、切磋琢磨し、世尊を目指す。思想の競争社会、思想至上主義という雰囲気だろう、その中で名を残したのがシッダールタだ。その時代で一番、しっくりくる解説ができる解脱者がいるぞ、と有名になる。

    ブラフマンとアートマンを自分の身体の内奥から、想像してみるだけで、この広い宇宙の一部としての自分自身を改めて感じる事ができる。そんな読書体験だった。

  • 釈迦が生きた時代に、釈迦ではないジッダールタという聖人がもう一人存在した、という物語。
    主人公はそのもう一人のジッダールタであり、子供の頃はバラモンの子供として異才を放つほどのオーラを放ちながら、ひたすら「知ることを足る」ために沙門に入って辺境の人生をたどる。

    ヘッセというヨーロッパ人が書いているからだろうか。修行僧から商人となり金を持って女にハマり、最後は渡し守になるなど、とにかく「本当に真理を追求しているのか?」と思うような人生。ただしその先に、人として生きること、今を生きることが真理である、という叡智にたどりつく。

    ガンガーに祈りをこめて答えを求めたり、万物流転の考え方や解脱の意味など、インドの宗教観は非常にうまく書かれていた。

    生きることは今を生きることであり、全てを受け入れ、許すことで叡智を得る。厳しい修行をしないとたどり着けないわけではない、というメッセージを、私はこの本から読み取った。

  • シッダールタといっても、所謂“ブッダ”ではなくヘッセのオリジナルキャラクター。つまり、ヘッセ独自の宗教的体験を綴っているかのような内容でした。

    知識と違って知恵は教えられ得るものでない。知恵は見出すものだ。そして教えや思想についても同様のことがいえようーーという旨は伝わったけども、、一読じゃすっきりくるまで消化できなかった。

    またりべんじだー*

  • 主人公のシッダールタは、ゴータマではありません。ゴータマとは別の、悟りや真理を求める求道者です。
    読み易いので、気軽に読めると思います。
    悟りに至りたいと思っている現代人は少ないと思いますが、人間関係や、ありたい自分というものに悩んでいる方は沢山いると思います。
    そのような時に、この本を読むとヒントに巡り合えるかもしれません。
    本棚に置き、読み返したい。と、思える本でした。

  • バラモンの家に生まれた仏陀と同じ名を持つ青年シッダールタは、家族や友、僧侶から愛されるが魂の安らぎを得られず家を捨て沙門となり、苦行を積む。現世的な利益から離れ自己を空くし、瞑想により自然と一体化し輪廻の悲哀を体感することができるようになるが輪廻から抜ける道筋は見つからないのだった。

    仏陀の評判を聞き、シッダールタは沙門たちに別れを告げ教えをこう。仏陀は不滅の平安の中で微笑み、存在自体が悟りであったがシッダールタの疑問は解決されず世俗に身を投じ、冷笑を持って商業に勤しみ、遊女カマラーの元へ通う。シッダールタは、世俗の利益を軽蔑しており稼いだ金を賭博に費やし放蕩の限りを尽くすが、空虚な生活に倦むようになる。

    ついにシッダールタは惑乱しあらゆる知識に見捨てられ死を憧れ求めることができるほどに、自分の体を抹殺して休息を得たいという子供じみた願望が大きく心の中で育つほどに堕落する。そして河に身を投げようとした瞬間、「オーム」という神の言葉を見出し悟りの緒をつかむ。そして身を投げようとした河の渡し守の弟子となる。穏やかな生活を送っていたが、遊女との間に生まれた息子を引き取ったシッダールタは一人の生身の親として、反抗的な息子に手を焼き苦しむ。愛そうとすればするほど、息子はその愛を拒むのだ。シッダールタは平穏を失い一人の親として苦しむが、人を愛することを知りそれでも幸せだった。シッダールタは愛ゆえに息子をあらゆる苦しみから守りたいと考えるが、息子はことごとくシッダールタに反抗しついには出奔してしまう。それはかつて家を捨てたシッダールタそのままだった。ひとりの人間となったシッダールタは、思慮や洞察ではなく衝動と願望に突き動かされる人間の生き方を理解し、自分と同じであることを感じ同情した。人の虚栄心や欲望を取るに足らないくだらないものとは思わなくなり、理解し愛すべきものと思い尊敬に値するとさえ思うようになった、母親の盲目的な愛、父親の盲目的な息子への誇り、若い娘の美への羨望、これらのすべての衝動、欲望、行為が単純で馬鹿げているが途方もなく強い活力をもちすべてのものを制圧し、ときには無比の事業を成し遂げさせ、旅をし、戦争をし、途方もない苦しみにたえさせることがわかったのだ。シッダールタはどんな煩悩のなかにもどんな行為の中にも命を、破壊できない実在、梵を見た。人々は盲目的な忠実さ、強靭さと忍耐力に置いて愛すべきであり感嘆するものであった。彼らはすべてを持ち合わせているのだ。

    シッダールタは渡し守から河の声を聞くことを学んだ。河の流れにはシッダールタ自身の姿に、父の姿、息子、遊女カマラー、様々な人々が姿を現し、憧れしたいつつ求めつつ、苦しみつつ流れて行き、痛みと渇望と憧れと歓喜と善と邪、笑いと嘆きの声に満ちて何百何千の声が重なって一つに統合し、一切が集まって一つの生の音楽を奏でていた。河の無数の声の合唱する大きな歌はただ一つの語、「オーム」完成だった。シッダールタがこの声を聞くことができるようになった時、渡し守は静かに森へ向かい入寂した。

    シッダールタは聖者として評判となり、旧友の僧侶がシッダールタの元を訪ねた。シッダールタは、すべての存在の中に神も罪人も聖人もあり、時は存在せず現在に未来も過去も存在するとといた。世界はあらゆる瞬間に完全で罪業の中には恩寵が、子供のなかには老人が、瀕死のものの中には永遠の生がある。すべての存在は善であり完全であり梵だととく。シッダールタは、ひとつのものはすべてであり、世界であり、ただ世界をありのままに受け入れ愛せば良いと友人に告げた。大事なことはただ一つ、世界を愛することができること、世界を軽蔑しないこと、世界と自分自身を憎まないこと、世界と自分、あらゆる存在を愛と感嘆と敬意の心をもって見ることができることだ。友は頭をたれた。シッダールタの微笑みは、生涯において愛したことのあるすべてのものを、大切であり、神聖であったすべてのものを、友に思い起こさせてくれたのある。

  • 東洋の骨董の世界においては、どれほどの修行を積もうと西洋人の審美能力は、東洋人の素人の足元にすらにもたどり着くことができないと言われている、などと聞いたことがある。

    同様に「悟り」にかかれば、なにやら文豪と呼ばれるヘッセも、浅草の土産物屋に新撰組と書いて売ってある暖簾や日本人詐欺師がebayで出品している100均茶碗などをありがたがって買い占める間抜けな西洋人に見えてくるではないか。

    上から目線で申し訳ないのだが、つまり私たち東洋人は生まれつき悟りの境地にでもあるのではないのかと思わせるほどに、この西洋人の勇気と不安は、私を不安にさせ、呆れさせ、ニヤニヤさせたのだ。

    あくまでもシッダールタがブッダではない点、サービスカットとして本物のブッダを登場させるのもほんの一瞬である点に作者の東洋に対するデリカシーが見えて大変よかった。

  • ヨガをする私にとってはいつもそばに置いておきたい'あるヨガの自叙伝'と共にバイブル。
    再読すると鮮明に覚えている箇所よりまた違った箇所が気になり、前とは違った感想を抱くことに気付く成長する自分にも気づかされる一冊。

  • ノーベル文学賞受賞作家の傑作らしい。
    他の作品となにかが違うことは感じ取れたが、それが何かはよくわからないので、時間をおいてまた読みたい。

  • 内容はとてもいいのに翻訳がすごくわかりづらい。もったいない。

  • シッダールタと言ってもシャーキャ族の王子では無く、同時代に生きたバラモンの男が紆余曲折をして真理へ向かう物語。

    途中、かなり主人公がグダグダでどうなるのかと思いましたが『叡知は人に伝えることができない』と言いつつも『あらゆる真理は、その正反対も同様に真理である』と旧友に語る最終章でそのグダグダも必要な過程だったのだと思えました。
    しかし、ヴェーダやブラフマン等の巻末の注釈がかなり簡単と言うか大雑把で…当時の宗教観を読ませるのならもう少し詳しくても良いのでは?と思ってしまいました。

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著者プロフィール

ドイツ生まれのスイスの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者。南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。また、風景や蝶々などの水彩画もよくしたため、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。

「2022年 『無伴奏男声合唱組曲 蒼穹の星』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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