信長は本当に天才だったのか

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著者 : 工藤健策
  • 草思社 (2007年8月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794216267

信長は本当に天才だったのかの感想・レビュー・書評

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  •  「小説」というジャンルでは、まず全てと言っていいほど「信長は天才」だったという視点で描かれているから、その正反対の主張をする本書は、興味深く読めた。
     しかも、その依拠する資料が全て過去の歴史資料であるところが愉快である。
     要は、詳細な資料が残っているわけではない歴史時代においては解釈次第では、正反対の主張も成り立つということか。
     本書は、戦国時代の小説やドラマに詳しい人だったら、誰しもが興味深く読める良書ではあるが、ではそれが学問的に証明できるかというと、なんともあやふやである点が弱点ともいえると思えた。

  • 再読すべしかと思っていた本だが、アマゾンレビュー読むとその価値無さそうなので、手放すことにした。

  • 信長を礼賛した本を今まで多く読んできました、革新的な制度を導入して中世的な日本を近代化した功績が称えられていたと思います。また多くの合戦において革新的な戦法を生み出して輝かしい戦果をもたらしたと理解してきました、しかし晩年は多くの虐殺をしたり、多くの家臣に裏切られて最後は重臣だった明智光秀に暗殺されてしまいます。

    果たしてそのような人が日本を統治していくことができるのか長い間不思議に思っていたところへ、この本と出合い多くの興味有る内容に触れることができました。この本を妄信することなく、類似本や本来の賞賛本とあわせて今後とも信長について理解していきたいと思います。

    特に、安土城は守るに難しく、地震や台風で倒壊する可能性のあった城であったことは驚きでした。

    以下は気になったポイントです。

    ・桶狭間の戦いにおいて、信長は籠城すれば家臣が裏切る可能性が高いから出撃するしかなかった(p18)

    ・桶狭間の戦い、そして信長の運命を決めたのは「奇襲」ではなく、奇襲直前に降りはじめた強い雨である(p30)

    ・勝利を呼んだのは偶然の豪雨であり、信長の戦略で有効であったのは、丸根・鷲津砦勢に全滅覚悟の徹底抗戦を強いることで、戦場にできた空白域とその時間であった(p40)

    ・桶狭間から本能寺の変までの22年間のうち、3分の1は美濃攻めに費やしており、これでは戦略・戦術上の天才とは言えない(p46)

    ・美濃攻めで尾張兵が弱かったのは、信長軍の主体が傭兵隊であったから、新興の家柄なので累代の家臣が少ないし、同族で争ったので一門衆も少ない(p59)

    ・敦賀からの退陣において、殿軍を買って出た秀吉は1000人ほどの軍勢の半数を失った、農民兵が主体であれば壊滅したはず、主な武将の戦死者はなく、自らは危険に身を晒していないと思われる(p61)

    ・信長は、奈良の町には1000貫、法隆寺には銀150枚、本願寺には5000貫、堺には2万貫の矢銭(軍資金)を課した、これを石高で考慮すると数十万石分となった(p76)

    ・浅井・朝倉軍の攻勢は、本願寺や三次三人衆と呼応したもので、3万もの遠征軍を姉川の合戦以降に組織できているので、姉川の戦いは一方的な信長の勝ちとは言えない(p94)

    ・信長は譜代の臣が少ないので人材を登用した、信長も彼らに重い役割を課して能力がないと切り捨てたので忠誠心は育たない、支配地が拡大するにつれて家臣の心は離れて信長は孤立していった(p115)

    ・信長が長篠の戦において命じた鉄砲奉行は、前田犬千代らの直臣5人のみ、これで3000丁の鉄砲を扱えうことは無理(p135)

    ・武田家において、軍勢100名において、騎馬:12人、槍:58人、弓:10人、鉄砲:7人、旗持ち:6人、その他:7人であった、鉄砲装着率で考えると、信長隊(3万人で1500丁)よりも高く、鉄砲を軽視していたとは考えられない(p138)

    ・騎馬武者が全軍の先頭にたって突進すれば、たちまち敵の鉄砲、弓、槍の餌食になり、部隊は瞬時に指揮者を失うことになり、実際にはあり得ない(p139)

    ・戦国時代当時には、蹄鉄が発明されておらず、蹄の保護のために藁の靴をつけていた程度、小型の馬が総重量100キロにもなる重装備の武士をのせて疾走する姿は考えにくい(p142)

    ・長篠の戦の翌年に勝頼は2万の軍勢を組織して再び徳川領に侵攻しているので、壊滅的にやられたとは言えない(p152)

    ・信長が長篠の戦において優れていたのは、武田軍の強さと織田軍の弱さを知って、野戦でも陣城を築き、柵から出ないことを厳命して白兵戦としなかったこと(p153)

    ・当時は日本人の半分が一向宗であり、本願寺とその寺内町を含めた「石山城」には武家に対抗できる人と資金が集まった(p168)

    ・信長は天王寺砦に3000人の軍勢で切り込んだ、寡勢で大軍に切り込んだのは、桶狭間の戦いと、天王寺砦救出作戦の2つのみ(p173)

    ・本願寺が10年以上も信長の攻勢に耐えられたのは、鉄砲と石の力による、城砦の優位性は大砲の出現(大阪冬の陣:1614年)まで保たれた(p175)

    ・軍役を負担するものは、武具はもとより兵糧も自弁、農民が軍役に加わったのは、寄親と呼ばれる武将の強制と、戦争での略奪利益があったので(p195)

    ・本能寺の変が起きても、安土城の留守役(織田信益、蒲生賢秀ら)及び馬回り2000人は、誰一人として明智を迎え撃ったり、重臣との合流を図ろうとしなかった(p225)

    ・安土城は掘りも無く、基礎を掘られれば崩れる可能性もあり、守りにくい城であったのは当時の武将には共通の認識であった(p244)

  • 「信長は天才であった」という通説に対して、この時代の基礎史料である「信長公記」をもとに批判を加えている。迷い悩みながら何度も失敗し、その中から学んでいく「人間、信長」の姿が浮かんでくる。今まで疑問に感じていたことが氷解した良い本でした。

  • 天才という甘美な言葉でなく検証してから語れや、という姿勢に好感が持てるし、説得力もある。現実を変えることに天才を求める現代への警鐘の書といえる。

  • 読み物としては全然おもしろいです。もっと資料にあたれってのもそうなんですが「あぁこうゆう見方があったのか」とうならされます。
    信長を天才として崇め奉る論に対して反論を述べていく感じなので、信長がいかに情報を大事にできなかったか、小物だったか、戦争がヘタクソだったか、成功として挙げられるものがそうでなかったかについていいテンポで説明していきます。
    義元は上洛しようとしてたのではないとか桶狭間が奇襲でなかったとか長篠は騎馬軍団と鉄砲三段打ちの戦いでなかったとか、そうゆう定着しつつある新説を時系列を追って説明してくれるんで学ぶところが多かったです。また美濃攻略に物凄く時間がかかってる間何をしてたかってのもあんま知らなかったんだけど、一枚岩でなかった美濃攻略に度重なる失敗を続けてたり。
    あとは当時の環境の新しい見方。実は天下統一レースに参加してたのは信長だけだったとゆう。確かに有力大名が足利将軍担いだところであんま得はしないな。安土城がクソだったってのも知らなかったけど、なら本能寺の変後の武将の動きを説明できる。
    あとは本能寺の変の彼の新説。信長が世論に見放されていたってのは普通にあり得るし、だからこそあの慎重な光秀が信長を討ったんだろう。茶会での句や「敵は本能寺にあり」の解釈も新しくて目を見開かれた。
    んであとがきのメッセージね、天才がいなくとも歴史から学べるし時代を変えることができるってね。

  • 津本陽、秋山駿、池宮彰一郎といった諸氏の信長語りをみていると、お好きな方には申し訳ないが、ほとんど宗教のようでクラクラしてくる。

    いや、ぼくも、子どものころ『学研漫画・織田信長』を買ってもらって歴史好きになったくらいなので、ファンの熱いお気持ちはよく分かるんですが…

    本書はまんべんなくトピックを抑え、テンポよく批判してて楽しい本だと思う。ただ、もうちょっと史料的根拠を挙げながら裏付けをしてくれたら… 天才論者の思い込みに、あくまで推論(要は思い込み)で反論してるところもあって、もったいないなと。

    もちろん出版媒体とか読者層のちがいはあるのでしょうが、日本の場合、アカデミックな世界と小説的な世界のあいだの水門がもう少し開かれてもいいのでは。

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