漂流の島: 江戸時代の鳥島漂流民たちを追う

著者 :
  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794222022

作品紹介・あらすじ

江戸時代、流刑地・八丈島よりさらに三百キロ南にある鳥島に、十数年おきに日本人漂流民が流れ着いた。窮地に立たされた彼らの前に姿を現した洞窟。そこには、歴代の漂流者が生きる術を記した書き置きが残されていたという。その洞窟は、今もあるのか。
『ロビンソン漂流記』のモデルとなった漂流民の住居跡を発見し世界に報じられた探検家が、鳥島を踏査。漂流民たちの劇的な生涯に迫る壮大なノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 東京から太平洋を南に進むと、点々と連なる島がある。
    南の小笠原諸島と北の伊豆諸島に挟まれる豆南諸島は、島というより海に突き出た岩と呼ぶ方がふさわしいような無人島群である。
    その中の1つに「鳥島」がある。
    名の通り、かつてはアホウドリを初めとする海鳥の楽園であった。明治期に、当時高額で取引された羽毛目当てに乱獲されたため(しかも手段は「撲殺」と荒っぽい)、アホウドリは絶滅に瀕するまでになった。現在では国指定の天然保護区域とされている。
    鳥島は火山島でもあり、アホウドリ捕獲のために人々が移住した明治時代、島民全員が死亡するという大噴火が起きている。すでに多数のアホウドリを惨殺した後だったため、その祟りとも囁かれたという。その後、昭和期にも比較的大きな噴火が起きている。
    この島にはもう1つ、特筆すべき特徴がある。
    江戸期、1681年から160年の間に、記録に残るだけでも、13回の漂流事件が起きているのだ。鳥島は基本的には無人島であるため、記録に残っているということは、すなわち、島から生還したということを意味する。鳥島よりやや本土に近い八丈島(有人島)では18・19世紀の200年間で200件の漂着例があったというから、鳥島でも記録に残るよりは多くの漂着があったと考えるのが妥当だろう。誰にも発見されぬまま、島の土と化したものも多かったことだろう。
    漂流者の中には、アメリカの捕鯨船に救われ、渡米したジョン万次郎も含まれる。万次郎たちは5ヶ月間の無人島暮らしだったが、記録を紐解くと、何と19年も島で過ごした漂着民もいる(彼らは後、労をねぎらわれ、時の将軍・吉宗に拝謁を許されている)。
    鳥島の自然は厳しい。絶海の孤島で、かつ火山島である。植物も生えてはいるが、食用に適したものではない。島の常で飲料水確保も容易ではない。そこで彼らはどのように生き抜いたのだろうか。

    本書の著者は探検家である。
    『ロビンソン漂流記』を愛読し、そのモデルといわれる船乗りセルカークの足跡を追うプロジェクトを主導したこともある。
    その彼が、ロビンソン・クルーソーばりの漂流をした人々が日本にいることを知り、漂着民がどのように流れ着き、島での日々を過ごしたのかに興味を抱く。
    漂着民の記録を読んでいく中で、彼らが自分たちより前に遭難した人々の残した痕跡を発見していたことを知る。漂着民たちは、どうやら、前の漂着民と同じ洞窟を住処にしていたこともあったらしい。運よく再び島を去ることが可能になった者は、後世、やはりこの地に流されるかもしれない者のために、役立ちそうなものを残し、書き置きも置いた。
    彼らは何を見、何を考え、どう希望をつないだのか。彼らが住んだ洞窟を捜し出し、その地に立とう。
    著者の探検家魂に火が付く。

    本書は、簡単にいえば、著者が鳥島を目指し、漂着民の洞窟と思われるところを探し当てるまでの顛末記である。
    だが、ことは簡単ではなく、成り行き任せの心許なさ、もどかしさがつきまとった。
    これには、鳥島が絶海の無人島であること、そして天然保護区域であることの、2つの特殊な事情が大きい。そもそも探検や観光での上陸が想定されていない。原則的には、アホウドリや火山など、何らかの研究目的で許可を得て行くより道がないのである。許可なしに現状を変えることもできないため、発掘も困難だ。
    著者は火山研究者の助手という名目で上陸を果たすのだが、さて、目的の地を探し当てることはできるのだろうか。

    著者は、自身の上陸を軸に、過去の記録や現在の地図、写真、そして鳥島漂着事件を題材にした小説の描写を織り交ぜながら、漂着者の実態へと徐々に迫っていく。道のりは平坦ではなく、語りも流暢というわけではないのだが、薄紙を剥がすように、少しずつ少しずつ、遭難したものたちへと視点が近づいていくところが本書の白眉だろう。
    学術目的であっても、孤島での暮らしは不便で危険も伴う。天候次第では、迎えの船が遅れ、殺伐とした空気が漂う。いずれは必ず迎えが来ると知っていてさえそうなのだ。生きて再び故郷に帰れるか判然としなかった漂着民たちの絶望と焦燥はどれほどのものだっただろう。わずかな食糧。喉の渇き。故郷に残した妻子への想い。生還できぬまま力尽きる者、また自ら死を願い、命を絶つ者もいた。
    海は彼らの前に、縹渺と、果てしなく続いた。

    「魂は責てあの船に乗らん」。
    遠くに見える船影に合図を送るも顧みられず、絶望して身を投げようとした漂着民が発したものである。
    自分はここにいる。誰か気付いてくれ。魂だけでも連れ帰り、自分がここにいたと皆に知らせてくれ。
    そんな魂の叫びのようなひと言である。
    著者は、漂流民の洞窟と思われるものを見出した後、鳥島への再度の上陸を願ったが、その希望は事実上、断たれた。自然保護以外の目的で、彼の地へ渡ることは現在、許されない。本来ならもう少し調査をした上でまとめたいところだが、それはおそらくかなわない。ならば一縷の望みを繋ごうと、不完全を承知で発刊を決めた。
    ある意味、これは、著者が流したメッセージボトルであり、遠くの船影に託した「魂」でもある。将来、調査が可能となったとき、漂着民の実態にさらに迫る探検家が現れる、「その日」のために。

    無骨ながら不思議な感動を誘う1冊である。

  • 伊豆諸島と小笠原諸島の間にある、無人島の鳥島。そこには江戸時代から漂流者がながれついて、ある者は命を落とし、ある者は本州に無事に生還できたりしたという。
    そんな島も事実もまったく知らず、タイトルとあらすじから興味を涌いて読んでみた。
    著者は探検家であり、ロビンソン・クルーソーが流れ着いた場所を探り当てたそうだが、そこはあまりピンとこなかった。
    また「探検」の要素があるものと思い、角幡 唯介の『空白の五マイル』のようなものを期待したら、全く違う作風であった。
    結局鳥島には一週間弱、しかも探検ではなくお手伝い(アホウドリ調査や火山活動調査)での同行であり、なんとも煮え切らない。まあこれについては作者の残念感は人一倍だろう。

  • 吉村昭の「漂流」が滅法面白かったので,そこに描かれた漂着民痕跡を辿ろうとする本書には大いに期待したのだが,結論が出ずにガッカリ.

  • 鳥島(青ヶ島と父島の間にある)のお話です。
    この島は、有名どころだとジョン万次郎が5ヶ月間、長い人だと19年3ヵ月という人もいたそうだ。
    アホウドリを食べていたのだろうが、よく生きのびたものだ。
    https://seisenudoku.seesaa.net/article/482281872.html

  • 椎名誠の『漂流者は何を食べていたか』で触れられていたので、手にとってみた。
    日本において漂流者の記録が非常に多い島、鳥島。
    井伏鱒二や織田作之助、吉村昭らの文学作品で、鳥島における様々な時代の漂流者の物語が描かれているが、しかし彼らの歴史や遺構はほとんど研究されていない。
    鳥島は現在、特別天然記念物アホウドリの保護のため、島全体が天然記念物に指定されており、発掘はおろか上陸さえもほぼ不可能となっているのだ。
    著者は、時代を重ねて何度も漂流者たちが過ごしたこの島で、彼らが暮らした洞窟や、生活の痕跡を見つけたいという思いから、研究グループの補助要員というかたちで上陸に参加させてもらう。
    実際この島は昔からアホウドリが多く生息していたようで、漂流者たちはアホウドリを食べていたという記録が多い。
    1697年、日向国志布志(鹿児島)から漂着し、2ヶ月半で船を修理して生還した少左衛門ら5人。彼らはアホウドリの運ぶ(落とす)餌である魚を食べたという。
    1720年から漂着し、1739年までの実に19年以上を生き抜いた甚八ら3人。
    1785年から1797年の12年を、たった一人となる時期もありながら生き抜き、別の漂流者たちと合流して船を新たに建造し生還した長平。
    1841年に漂流し、5ヶ月鳥島で過ごした後、さらにアメリカへ渡ることとなった万次郎。
    1887年の鳥島にて見聞記を残し、開拓を行った玉置半右衛門。(開拓といいながら開拓民に支払いもなく、アホウドリの乱獲による荒稼ぎをしていた模様)
    彼らは命からがら漂着し、あるいはたどり着いたものの帰るすべを失い、絶望した。しかし彼らは皆、そこで暮らした先人の痕跡や書付を見つけることになるのだ。かつて人が暮らした跡を見つけたときの感動はいかほどのものだっただろうか。
    著者は上陸中、彼らが過ごしたかもしれない洞窟を発見する。しかし著者が再度この島に上陸することは不可能のようだ。この本は著者の無念で〆られている。この本がいわば漂流者たちの書付のように、誰かの希望となって思いを繋いでいくことはできるのだろうか。

  • 八丈島と小笠原の間の無人島の話。江戸時代の漂流民の記録を紐解きながら、自ら島へ行って再体験する構成が面白かった。島全体が天然記念物扱いでアホウドリ保護のため発掘調査ができないもどかしさ。無人島の発掘調査は将来的に領有権に影響するかもだから、それなりに重要な気はするんだが。我孫子の鳥の博物館を思い出す。

  • 漂流記は数多いが,探検家が自分で漂流者の痕跡を書くとこのようになるのか,と感じた.吉村昭などの小説家は漂流者の心情,内面を描くことにその美学があるが,探検家はそこを描ききれない,ということ.事実の積み重ねを最重要視するとこうした,記録としての作品になるのであろう.

  • 読了。
    吉村昭の「漂流」が、あまりに良かったので、実際この島を見てみたいと思って調べてみると、現在でもちょっとやそっとじゃ辿り着ける場所じゃない、ということが分かった。
    しかし、やはり同じ事を考えるトンパチな人はいるもので(笑)、物凄い手間と苦労を経て、鳥島に辿り着いた筆者の苦闘録。
    ただ確かに、吉村昭の筆致と長平の物語には、ここまで魅せられてしまう何かがある。

  • 江戸時代の鳥島漂流民たちを追ったルポルタージュ。
    著者は探検家で、以前ロビンソンクルーソーの島を探検した本を読んだことがある。今回は日本の漂流民がいたと言われる鳥島で彼等の生活の痕跡を探す。
    鳥島は東京都の南方に位置する絶海の無人島であり、そこへ行くには手続きや交通手段等かなりハードルが高い。レポートは鳥島に向かうまでの
    困難から始まり、島の紹介、漂流民の痕跡探し、著者の推理など前回のルポ同様に面白く読めた。読後は多少モヤモヤした印象が残ったが、現代の探検というのは、昔とは違う困難さ(社会のルールなどの障害)があることがよく判った。
    現代の探検は、テーマに深く興味があって、準備の煩雑さを厭わず、社会的な障害を乗り越えて実行できる高いモチベーションを失わないことが必須なのだろう。

  • 東京から500km以上離れた「鳥島」という無人島。そこには江戸時代に何度も漂流民が流れ着いた。ジョン万次郎もその一人であったし、吉村昭の「漂流」の舞台でもあるらしい。
    本書は、そんな無人島と漂流者に魅せられた著者の鳥島探索の記録に漂流民の記録が丁寧に綴られたノンフィクション。
    「好奇心に限界などない」という言葉が本書に出てくるが、それを地で行く著者の行動力と漂流民の壮絶な実態に驚愕した。
    写真や地図が豊富で読み易いのもよい。

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著者プロフィール

髙橋大輔(たかはし・だいすけ)
探検家。1966年、秋田市出身。高校時代から世界6大陸を放浪。「物語を旅する」をテーマに世界各地の神話や伝説を検証し、文献と現場への旅を重ねている。2005年、ナショナル ジオグラフィック協会(米国)から支援を受けた国際探検隊を率い、実在したロビンソン・クルーソーの住居跡を発見。浦島太郎、サンタクロース、間宮林蔵、鳥島漂流民、剱岳の謎など多くのテーマを探検。「クレイジージャーニー」(TBS系)ほか、テレビなど出演多数。

「2021年 『最高におもしろい人生の引き寄せ方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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