外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD

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制作 : 藤井留美 
  • 草思社 (2016年7月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794222121

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外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILDの感想・レビュー・書評

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  • (01)
    面白い、というのは、この本は大いに笑える(*02)という点で面白い。
    確かに邦題は煽りが過ぎている。悪者かどうか、という価値観に著者の主張がそれほど左右されているわけではない。この邦題は、原題の方にある副題"Why Invasive species will be nature's salvation"(外来種が自然界の救世主たりうるわけ)の反語表現にあたり、「新しい野生」"THE NEW WILD"には価値観は表明されているが、煽りはないといえるだろう。
    したがって、煽り文句の「悪者」に殊更反応する必要はないが、しかし、本来の副題からしても、そこには、西洋の自然や野生に対する価値観、あるいは本書においても言及されているようにキリスト教的価値観に与えたダーウィニズムの問題、そして、外来で侵略的でも救世主でもある「ジーザス」こそが、新しいエデンを創造するという宗教的な読み方まで含まれている。

    (02)
    シニカルな物語、という点で本書に多数収められた説話は、悲しくもあり、とりわけ、現場から遠く離れた島国(*03)から冷めて眺めれば、笑えもする。その点で、愉快な小噺集としても読めるだろう。
    それらの話が、現実か、科学か、捏造か、偏見か、という問題は、この分野に熱心に失心している世界のとある部分のごく少数の人類にとっては大いに問題ではあるが、さしずめ、大多数の人類にとって、この世界のこの野生は、まるでもともとの自然であり摂理(*04)であるかのようにさりげなく進行するので、真偽を論ずるまでもない。つまり、話が面白ければよいのであって、そこにある社会的問題や科学的問題は人類に関係がありはするが、関係ないものとして神視点から、話を楽しむことも可能だろう。

    (03)
    外来、というのが社会の問題であるのか、自然の問題であるのか、あるいは、有史以前の問題であるのか、歴史の問題であるのか、という視点で生態学、特に保護的な生態学の100年は進んだ。その100年でも世界では様々な外来種の侵攻や殲滅が進んでおり、実は、それより長いタイムスパンで、例えば1,000年、あるいは10,000年というスパンでも自然と思ってたものが、純でうぶな自然ではなく、社会に侵されたものであったという見解も本書では示されている。
    例えば、柳田國男の「雪国の春」は、椿という種を通じて社会に寄生した自然の萌芽がこの島国にも芽生えていたことを伝えてくれている。つまり、人類が対象としてきた自然は社会的でもあり、社会はいつも変幻自在の自然とともにあったことも本書の数々のエピソードから読み取ることができる。

    (04)
    生態系のシステム論としても、本書は入門的なテキストとなる。共進化という旧モデルに対する新モデルとして提唱されるエコロジカルフィッティングというメカニズムや、そこに見られる自己組織化と「行きあたりばったり」の種の戦略は、読んでいて痛快である。
    もちろん、「行きあたりばったり」で読者が連想するのは、レヴィ=ストロースが「野生の思考」で示したブリコラージュという思考機械である。この「行きあたりばったり」の言語学における展開(それは精密なものでなくても見の回りにもある方言や造語のような展開)も興味深いが、伝統的な建築における保存とは何か、生きられた家とは何か、という問題にも通じており、人類学、言語学、建築学からも読まれてみてもよい良書と言える。

  • 原題は"The New Wild"、「新しい野生」(邦題の副題)である。
    外来種に留まらず、生態学やその成立背景自体に斬り込んでいくような、ラジカルでスリリングな1冊。

    外来生物というと、とかく「悪者」というイメージが強い。
    しかし本当にそうだろうか?
    地球上の生物たちは、ごく単純なものから進化し、多種多様なものが生まれてきた。けれどもすべての種が生き残ってきたわけではない。環境に順応できず、うまく集団を維持できなかったものもいる。ある程度は適応していたが、ライバルとの競争に負け、次第に減っていったものもいる。気温や地形などの環境の急激な変化により、絶滅してしまったものもいる。
    地球が大きな環境変化を繰り返す中、生き残る運と力のあるものが生き延び、生物は連綿と続いてきた。
    火山灰に覆われ、あるいは氷に閉ざされ、あるいは隕石で一帯がなぎ払われ、すべてのものが死に絶えた後であっても、時が経てば、周囲から生物が入り込み、また生命活動が営まれるようになった。その際、やってくるものはすべて「新参者」=外来種だ。
    長いスパンで見たとき、「在来種」と「外来種」の違いはどれだけ明確にできるのか、いや、そもそもそんな区別はできないのではないか。その点がまず1つ本書の要である。

    外来種は生物多様性にとってマイナスであるという主張もよく見られるものである。
    著者はこれにも疑問を呈する。
    外来種はむしろ、生態系に多様性を生んできた。多様な植物が入り込むことで、その植物を餌にする他の動物も入り込み、生態系はより「豊か」になる。
    とかく侵略性の高い外来種が槍玉に挙げられるが、多くの場合、外来種はむしろ「平和裡」に入り込んでいる。フランス原産のスノードロップ、バルカン半島原産のセイヨウトチノキは、イギリスでは一般に在来種と思われているが、元は外来種である。

    しかし、そうはいってもものすごい勢いではびこる外来種はいるではないかという声も上がろう。
    これに対する著者の反論の柱は2つである。1つは、外来種の害を恣意的に水増しする傾向があること。もう1つは、外来種がはびこる環境は、そもそも環境自体に問題があることである。
    外来種の害は、往々にして、局地的である。一番被害の大きな部分をクローズアップして、その値を全地域に当てはめるといった乱暴な試算がなされがちだという。例えば、イギリスでは日本原産のイタドリは建物の基礎部分を破壊するとして忌み嫌われている。だが、実際に被害が出るほどイタドリが多いのは南部の町のごく限られた地域である。この地域では、家を建てる前に、敷地内にイタドリが見つかったら駆除しなければならないという決まりがある(よその地域にはない)。つまり、掛かる費用は実際の被害額というより予防対策費である。さらには、この地域の駆除費から、単純に比例計算して、プラスαを水増しし、イギリス全土の被害額を算出している。こうして実態よりも著しく多い額が被害額とされる。
    一方、外来種がはびこる環境は、そもそも環境自体がバランスを崩していることが多い。みんなが平和に仲良く暮らしていたところに1人の乱暴者がずかずか入り込んでやりたい放題やるわけではない。例えば都市部で、基盤の脆弱なところにたまたまその環境に適応しやすいものがわっと広がる。そうした場合は、その種が山野にまで広がっていくことは少ないという。場合によっては、「外来種」が、荒れた環境を豊かに戻すことに一役買うこともあるとも考えられる。

    人々の中には、「太古の自然」とか「手つかずの自然」という漠然としたイメージがあるが、これも実は根拠が薄い。
    アフリカのサバンナはいかにも大自然というイメージがあるが、著者によるとこれはごく最近生まれた風景である。19世紀までは、アフリカ大陸では広く放牧が行われ、これが経済的な基盤ともなっていた。19世紀終盤、列強の進出に伴って、牛疫ウイルスが持ち込まれた。ウシが全滅状態となり、飢饉が広がった。草を食べるウシがいなくなったため、草が生い茂り、灌木の茂みも出来た。そこへ、野生動物たちが戻ってきた。
    サバンナの風景は、太古からずっと続いてきたわけではなかったのである。

    著者は、外来種が実態以上に叩かれる原因として、よそ者排除の傾向を挙げている。移民を排斥しようとする意識と根は同じだ。「既得権益」を守ろうとする旧勢力。だが、歴史の長さに長短はあれ、所詮は皆、よそ者だったとしたら、いったい何を根拠に新参者を排除するのか。

    諸々を受け、著者の結論は、端的に、「自然に委ねよ」である。外来種を除こうと徒に努めることなく、自然の浄化作用に任せ、入るものは拒まず、バランスが落ち着くまで待てばよいではないか、というわけである。それこそが「新しい野生」になるだろう。
    無為無策に過ごせ、というわけではない。その心構えで当たれ、ということだろう。

    全般に非常におもしろく、説得力もあるとは感じたのだが、引っかかる点は2点。
    1つは、外来種排除派も極端だとするなら、著者の論もまた、都合のよい各論しか取り上げていないのではないかということ。
    もう1つは、無策ではないというが、ではどうするのかという具体的な提案が見えてこないこと。
    人の行き来が昔とは比べものにならないほど活発になり、それに伴い、移動する生物種も増える。急激すぎる外来種の蔓延はやはりあるのではないかと思う。人為的に生じた移動には、人為的な対策もある程度は必要ではないのか。

    とはいえ、外来種対策が一般にあまりうまくいっていないのは確かなように思われる。
    旧態依然の対策に一考を促す点で、本書の意義は大きいと思う。

  • まず、生態学の非科学的実態に驚かされる。
    外来種の問題についてはもっと科学的データに基づいて冷静に議論すべきである。
    外来種とは何で、在来種をなぜ守るべきなのか。感情を排して議論しなければ、教条主義的な態度と言われても仕方ないであろう。
    自然は常に変動し、正しい状態などない!
    ただし、植物はある程度放置でいいのかもしれないが、ペットを飼いきれなくなっては放出する行為は許されないと思う。何を持って許される範囲とするかは難しい。
    絶滅危惧種を人間の力で無理やり自然をいじってまで維持するのは、労力とお金の無駄であろう。福祉等、もっと優先すべき資源の配分先がある。

  • 自然は劇的に変わるタイミングを待っている、外来種が入ってきていつのまにか消えることもある、などなど今まで自分にはなかったものの考え方でおもしろかった。しかし、これだけ例を並べられてもやはり、身近でヒメマスがブラックバスに駆逐されていたら外来種が憎いと思う。自分の考えはなかなか変わらないものだと実感した一冊。。。

  • よかった。グローバル化に関心があったから購入。確かにブラックバスなど外来種は悪という価値観はあった。でも言われてみればと思う感じ。事例が述べてあって疲れたけど、一つの意見。まだ何が正しいのかわからないけど、恐竜の時代とか考えても、長いスパンでみれば、この考え方は正しいのかなとは思う。人間も含め絶滅した後にまた新しい種も出てくるだろう。おもしろかった。

  • 「手付かずの自然」などない。
    これが分かっただけでも価値がある。
    本当にワクワクする知的好奇心が刺激される良書。

  • ・生態系を乱す悪役とされがちな外来種は、実は生態系を多様化させ、荒れた自然を回復させる立役者にもなりうる。
    ・外来種駆除の根拠としてよく挙げられる数値は、出典をたどると怪しいものも多い。論文生産の動機の時点で強いバイアスがかかっている。例:外来種によって発生するコストは年間1兆4000億ドル
    ・生物は特定の生態系の文脈の中でのみ適切な役割を果たすわけではなく、個々にその場で必要な進化を遂げているだけ。ダイナミズム。
    ・固定された原始の自然なるものは存在しない。いま我々が手つかずの自然と考えている風景も、多くは人間の介入により作られている。

    自然科学の本にむやみと寓話を読み取るのは慎むべきだが、社会や文化の在り方にも通じるものがありそうだ。

  • 468-ピア
    300524451
    ずばり、軽く(?)読める本かと。
    自然保護の視点では在来種を守ることが「善」であり、外来種は無条件に排除すべきだといいます。
    一方で生態系はいろいろな種が外から入ってきて、在来種と入れ替わったり交雑したりして新たな多様性を生み出してきました。ゆえに生態系は常に変遷する-それがこの本の主題でしょう。
    実はそれぞれどちらをとるかが、経済・産業にも大きく影響しています。
    賛否両論ありますが、両者の視点で見てみると、考え方の違いがおもしろくなってきます。
    ものの見方って、一方からではなく他方から見た時に、まったく違う発見があるものです。
    いろいろな場面で同様です。
    試験に合格するための勉強…いやいや、見方を変えてみてもよいかもしれません。

  • 序文からワクワクが止まらない

    環境保護が自然を破壊している、と言える場合もある
    旧来の生態系学者も環境保護団体も自然に人間社会や物語、神聖性などを投影している
    だから外来種を悪と決めつけ、正義の戦いをしたがる
    それは人間目線のものでしかなく、自然はもっとめちゃくちゃなものだと分かる。

    外来種と在来種という区別自体がナンセンス

    自然は常に変化している。変化しているのが自然ともいえる。
    この世に「手つかずの自然」などというものは存在しない

    人間の活動で一時的に激変することもあるが、森なんかは50年ぐらいで戻ることも多い
    津波で失われた生態系がすぐに戻ったように。

    我々の知らないことを知っている研究者がいっぱいいることに驚く
    結局、広く出回るのには時間差があるんだろう

    外来在来を越えた新しい生態系の概念が必要だ
    新世代の科学者たちによってそれは始まりつつある

  • 『エコロジカル・フィッティング』という考え方。
    秩序ある自然、本来の姿、自然回帰、手つかずの自然。
    在来植物と外来植物、何がどうあったら理想的とするのだろう。人の手をかけて、膨大な経費と人力をかけて、自然に介入し本来の姿を取り戻す、、というが、本来とは?最近の新しい研究では、手つかずの自然という場所はほとんど皆無ということがわかってきた。アマゾンのジャングルでさえ、何千年前、1万年前という時代に、すでに人の手が加わり、焼畑などをして食料を育てていた形跡がしっかり残ることがわかっている。アフリカもしかり、原始の姿という、ロマンティックな幻想は単にそうであってほしいという夢の姿。人は古くから、食料として採取した動植物を、タネをまいたり、飼育していたとわかった。そして、育ちにくくなると、その土地を捨てて、または休眠させ、他の場所に移動した。その場所は、自然のあらゆる個がその特性で繁殖し、それを食べる動物が集まり、、と新しいバランスで動植物の世界を作ってしまう。現代でも薬品や化学物質などで汚染されたブラックフィールド、ブラウンフィールドでさえ、そこの土地に対応できる動植物がまず先陣を切って入り込み、自然が活発になり始めると、そこに再び対応できなかった在来植物などが外来植物らとともに、新しい自然体系を作り上げる。それは人間が守ってやった世界ではなく、強い生命力にあふれた様々な個が己の命のために、活躍の場を作るのだった。自然からしたら、人こそが天候などの自然の変化以上に、種子、動物、細菌まで唐突に変化の嵐を持ち込む外敵であり、それさえも、動植物は、受け入れ、対応し変化するのだ。ちいさなクエスチョンがいつも頭の隅にあったのだが、大きく「ガッテン!」できる情報が満載の1冊。たくさんの疑問に答えられる1冊でもある。おすすめ。

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外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILDの作品紹介

生態系を破壊しがちな外来種だが、実際には、環境になじめず死滅したり、定着して受粉や種子伝播を手助けしたり、イタドリやホテイアオイなど、人間が破壊した生態系を再生した例もある。著者は、孤軍奮闘する外来種の“活躍” 例を、世界中から集めた。「手つかずの自然」が失われている昨今、自然の摂理のもとで外来種が果たす役割を「新しい野生( ニュー・ワイルド)」としてあえて評価する。悲観論に陥りがちな地球環境問題に希望をもたらしてくれる作品。

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