偶有からの哲学-技術と記憶と意識の話

  • 新評論
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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794808172

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  • 「スティグレールの哲学の巧みな要約」

     本書は、スティグレールの技術と時間についての著書の内容について、フランスのラジオ番組での連続インタビューで要約したものである。これまでスティグレールの著書は何冊も訳されてきたが、彼の特異な前歴もあって、周辺的な話題に注意が集まってしまう傾向があった。本書では彼の思想の本筋が、短いインタビューのうちで巧みに語られている。

     スティグレールはデリダの指導のもとで技術論を研究してきたが、ときにメディア論とも近い形で展開される彼の技術論は、哲学的にも興味深い観点をいくつも提供している。『技術と時間』の第一分冊ではとくにハイデガーの技術論の考察が展開されたが、ハイデガーと同じようにスティグレールも、古代のギリシアの哲学のうちに、技術論と哲学の深い関係をみいだす。
     ただしプラトンに始まるこの関係は負の関係性として描かれる。プラトンはソクラテスの「シャーマンの経験」を隠蔽することによって哲学を誕生させたと考えるのである。「哲学はこの消去、ならびにソフィストの弁論術と同一視されて技術の断罪から始まるのです」(p.33)。そして「われわれの時代に残された大きな務めの一つは依然として、プラトンとともに生まれた形而上学によって埋もれさせられた、ソクラテスの言葉を掘り起こすことです」(同)と。

     プラトンからみると、技術者はある知を所有しているが、この知を明確に述べることができないために、「偽りの見せかけを生み出す偽りの知」(p.36)にみえるのである。技術の世界は真理の世界ではなく、生成の世界にみえるのだ。「プラトンが技術を非難するのは、まさに技術が、不安定で偶発的な生成変化の避けられない流れの現れ」(p.43)だからである。しかし技術には人間の記憶が詰まっているのである。「記憶はもともと技術的に構成されている」(p.45)のである。

     一つの道具は、それまで生きてきた人間の歴史の累積であり、その表現でもある。車輪が可能になるために、印刷が可能になるために、どのような条件が必要であり、どのような歴史が必要であったかを考えてみればよい。そしてそもそも人間が人間となるためには、技術と道具が必須だったのである。「人間は非生物学的な器官を用いて、つまり技術が宿る人口器官を用いて生存闘争を展開する生き物なのです」(p.61)ということである。道具には種の遺伝子的な記憶(第一の記憶)と個体の記憶(第二の記憶)とは異なる「第三の記憶」(p.64)が宿るのだ。

     スティグレールは、フッサールの時間論を基礎にして、この第三の記憶の時間を考察しようとする。フッサールは第一次過去把持と第二次過去把持を明確に区別した。「第一次過去把持が生み出されるのは、私が今聴いている楽音に先行する楽音に、過去の印が付与されることによってです」(p.104)。これにたいして第二次過去把持は、「想像力の産物」(p.105)である。想起する過去なのだ。そして第三次過去把持は、技術のうちに埋めこまれている。

     この第三次過去把持は過去の技術とそこに含まれる人間の歴史を正確に再現するものである。宇宙人が人間の石器を発見したならば、その当時の人間の文明のありかたをかなり再現できるに違いない。車輪のついた車、自転車、自動車、飛行機と、技術は文明の状態を再現する。こうした技術的な手段のうちでも、ある過去を正確に再現できる手段がある。スティグレールはそれをオルトテティックな技術と呼ぶ。文字がそうだし、録音装置やカメラもそうだ。「これらの記憶技術がオルトテティックである時、記憶技術は歴史、法、哲学、科学、ひいては西洋と呼ばれるものの時代を開く」(p.109)である。

     この西洋の技術の時代はしかし、画一化をもたらし、社会を破壊する危険を秘めている。ここでスティグレールはハイデガーと同じ視点に立ち戻る。この時代はディアボリックな時代、生きることのできない時代となりかねないからである(シンボルとディアボルの対比は巧みだ)。スィグレールの文明批判はこうした技術論の観点にその根をもっているのである。これまでの彼の文明批判に少し飽きてきた読者は、ぜひ本書からその「根」の部分を読み取っていただきたい。

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著者プロフィール

(Bernard Stiegler)
1952年生まれ。国際哲学コレージュ(Collège international de philosophie)のプログラム・ディレクター、コンピエーニュ工科大学教授を務めたのち、フランス国立図書館、国立視聴覚研究所(INA)副所長、音響・音楽研究所(IRCAM)所長、ポンピドゥー・センター文化開発部長を歴任。現在、リサーチ&イノベーション研究所(IRI)所長。文化資源のIT化国家プロジェクトの中核を担い、技術と人間との関係を根源的に問う、ポスト構造主義以後の代表的哲学者。本書『技術と時間』(現在第3巻まで刊行)はOpus Magnum(主著)とされる。『テレビのエコーグラフィー』(デリダとの共著、NTT出版)、『象徴の貧困1』『愛するということ』『現勢化』『偶有からの哲学』(以上、新評論)など、邦訳書も多数ある。

「2013年 『技術と時間 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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