複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

制作 : 佐々木 基一 
  • 晶文社
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感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794912664

作品紹介・あらすじ

20世紀は映像の世紀である。映画や写真などの複製芸術はどんな可能性をはらんでいるのか。巨大な思想家ベンヤミンの刺激あふれる先駆的映像芸術論。

感想・レビュー・書評

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  • 写真や映画などの複製技術によって作られた芸術が生まれたことで、社会がどのように変わったか、あるいは変わっていくか、人々の芸術との関わり方がどのように変わったかを論じた本。

    ベンヤミンは芸術を社会構造と関連して分析しているので、芸術論のような政治論という印象。

    有名なアウラについて語られているが、定義がいまいちよくわからない。物としての芸術作品にまつわる伝統が生み出す、いまここにしかないほんもの性といったところ?物に備わるのか、人間が抱くのか。「山なみ~樹の枝のアウラを呼吸する」うんぬんの説明は謎だ。

    人々の映画への熱狂と並列してファシズムを語っていて予見的。

  • 新聞にベンヤミンはメディアの機能を複製としていた、と書かれていたので、この本を読んだ。しかし、直接記載されたところはなかった。何か類推させる文章はあった。

  • ◆3/19オンライン企画「本を読む、物を書く、編集する」で紹介されています。
    https://www.youtube.com/watch?v=BYxKpp0F3zI

    本の紹介
    https://www.shobunsha.co.jp/?p=1079

  • 複製技術時代の芸術
    (和書)2012年12月13日 23:30
    1999 晶文社 ヴァルター・ベンヤミン, 佐々木 基一, 高木 久雄


    複製技術時代の芸術で相互扶助と英雄崇拝の社会科学の違いを明確に指摘していてなかなかスリリングでした。

    P49 L4-L10
    「・・・・戦争に期待をかけているのだ。・・・・人間の自己疎外はその極点に達し、・・・・これが、ファシズムのひろめる政治の耽美主義の実態である。・・・・共産主義は、これにたいして、芸術の政治主義をもってこたえるであろう。終・・・・」

    芸術の政治主義というものが具体的によく解らんかったがそのコンテクストから対抗する運動の一形態を示しているのだろうと思う。

  • 哲学
    メディア

  • 複製技術時代の芸術
    ベンヤミン

    読了

    今更ですが、読んでませんでした。すみません。

    前半はまだしも、後半、というか映画の話に至っては、古さを感じざるを得ないけども。

    ウォーホールの「誰もが15分だけ有名になれる時代」っていうのはそのままここに書いてあると思う

    個人的にはウォーホールに至るものとして読めた
    ウォーホール論

  • 時代と技術とを結びつける鋭い感性に触れられる。すごい才能の仕事。

  • <閲覧スタッフより>

    --------------------------------------
    所在記号:704||BEW
    資料番号:20082999
    --------------------------------------

  • 複製が模倣でなく媒体視点、発想のヒントになる

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=4794912668

  • 写真が複製可能になることで作品の一回性(アウラ)がなくなり,結果として礼拝的価値の消滅をひき起こした.
    →それでは複製可能な作品の価値は何になるのかがまだわかっていない.もうちょい読み直さねば.

  • 映像や写真の勉強をしている人なら、一度は耳にしたことがある本だろう。

    著者・ベンヤミンは20世紀を代表するドイツの思想家だ。
    彼が残したテクストは、世界中の哲学者や思想家に引用され、影響を与えた。

    この本も哲学書だが、平易に書かれている。専門知識がなくても、読める。
    本来、芸術は礼拝的価値があった。「いま・ここに」という一回性が神秘と祈りに結びついていた。そこにアウラ(オーラ)と呼ばれるものがあった。しかし、複製技術によりアウラが消え、礼拝するものから展示するものへと芸術は姿を変える。この指摘はおもしろい。


    古典だが、映像や写真だけでなく、これからのメディア社会を考える上でも役立つ論考だ。

  • むむむずかしい。要再読

  • 2011/5/20 参考文献

  • 20世紀の芸術論ではありながら、読んでいくと現在にも繋がるのではないかと思われる鋭い指摘がなされている。
    しかし難しい。理解出来ない部分が多くあり、しっかり読み込めたとは言えない。
    それでもちゃんとわかった部分はあるし、そもそも1回読んでそれで満足などという代物ではないので、これからも何回が読むだろう。そうやって少しずつ理解を深めることが出来れば良いと思う。

  • [ 内容 ]
    20世紀は映像の世紀である。
    映画や写真などの複製芸術はどんな可能性をはらんでいるのか。
    巨大な思想家ベンヤミンの刺激あふれる先駆的映像芸術論。

    [ 目次 ]
    複製技術の時代における芸術作品
    ロシア映画芸術の現状
    写真小史
    エードゥアルト・フックス―収集家と歴史家

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 複製技術の時代における芸術作品[高木久雄・高原宏平訳]
    ロシア映画芸術の現状[田窪清秀訳]
    写真小史[田窪清秀・野村修訳]
    エードゥアルト・フックス―収集家と歴史家[好村冨士彦訳]
    原注・訳注・補注
    解説=佐々木基一
    (目次より)

  • 映画を中心とした視覚芸術論。
    「いま、ここにある」ことに由来する一回性により付加された儀礼的、礼拝的な価値を複製技術が削ぎ落とした結果、芸術至上主義へと近づきえたのか?
    そうではなくて付加価値の温床は、儀式から政治へのコペルニクス的転回を経験しているんです。 
    複製にしろ連続したアナログ量より、離散的なデジタル量ベースの技術が中心となった今、アウラの喪失は一層加速しているような気がする。

  • 映画・写真映像についてのメディア論

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著者プロフィール

1892-1940 ドイツの思想家・文学者。「ドイツ悲劇の根源」「パサージュ論」など

「2011年 『ベンヤミン・アンソロジー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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