日本の反知性主義 (犀の教室)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794968180

感想・レビュー・書評

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  • 内田氏の御仲間たちではありますが、いろいろな
    思想を持っている方々の反知性主義にかんしての
    論述。
    今回の内田先生の内容は、いつもとは少し違った
    切り口だったような気がします。でも内容的には
    納得し、なるほどと思うところがいつもと同じく
    多くあったと思います。
    他には、若手の白井聡氏。いつもの鷲田清一氏の
    論述がよかったと思います。
    中でも平川克美氏の話が一番わかりやすくて
    個人的には秀逸だったと思います。

  • 反知性主義を批判する言説自らが反知性主義に陥る恐れを内包するので気を付けなければならないのでしょう。拙い譬えですが、私個人の振る舞いとしては、たとえ意見のまったく合わない厭な奴と思っている人の意見も取りあえずは聴いて、とにかく会話の場を持つってことになるのでしょうか。それはともかくとして、鷲田氏が補足した巻末のT・S・エリオットの文章が秀逸です。「地方的問題を地方的に論ずる演説は、全国民に向かって呼びかけられた演説よりも意味が遥かに明瞭である場合が多いのであります。そうして、意味の曖昧と、まるで雲を掴むような一般論の掃き溜め場所というものは、とかく全世界を相手として呼びかけられた演説のなかに存することが観察されるでありましょう。」首相の戦後70年談話がこうなることを、いや元へ、ならないことを切に願うのであります。

  • 知性とは水の如くしなやかなもの。
    昨今は一貫性のある人柄や意見を
    ブレない、と評価する声が多い。
    しかしそれはあくまで会社的な価値観。
    議論すれば第三の道も見える。
    多数派が間違いを犯すこともある。
    知性と効率主義は、相容れない部分が多い。
    お役所はお役所的な考え方を捨てちゃダメ。
    そもそも民主主義は成功するシステムじゃなく、
    失敗しにくくするためのシステム。

  • 反知性主義とは、要するに、知ったかぶり、学歴批判、全体主義的な傾向、歴史に顧みられない短絡的な政局運営などのこと。

    論者として印象的だったのは、内田、赤坂、高橋。
    知識人に対して、反知性を突きつけることの難しさがある。

  • ざっと一読した後、ずいぶんいろいろ考えた。その通り!と溜飲の下がる思いで読んだ箇所もある。複数の方が橋下大阪市長について言及している。やはり「日本の反知性主義」と言って真っ先に思い浮かぶのは、安倍首相よりこの人だろう。特に名指しされていなくても、ずっと橋下氏の顔が(攻撃的な物言いと共に)浮かんでくる。特に編者の内田先生と、今をときめく論客の白井聡氏による批判が舌鋒鋭く、読ませるものになっている。

    ただ、それぞれの論者の問題意識にはかなり幅がある。そのせいもあってか、じっくり考えれば考えるほど、「反知性主義」とは何なのか、曖昧になってくるような感じがある。確かに日本の社会が、どんどん「非知性的」になっていっているということは多くの人が感じているだろう。「幼児化」といってもいい。そうではあるけれど、それは反知性「主義」と呼べるものなのだろうか。それが事の核心なのだろうか。読み返しつつ、もう少し考えたい。

  • 最初と最後のあたりをしっかりと読むべき

  • 誰にも、いつでも反知性は舞い降りて、支配される。グローバル化や合理化が反知性を生み出す要因というのは少し飛躍しすぎかもね。読みどころは内田先生と名越先生の掛け合いのところかな。

  •  「歪み」を見つけること、そして、その「歪み」を描くこと。それが「知性」だ。「歪み」が見えることを、「知性」がある、っていうんじゃないかな。クラムには、「知性」があった。「知性」は考える前にある。それは「視力」なんだ。だから、(目が見えない)誰よりも、「速い」ってわけさ。(p.124)

    「ヤンキー論」が論壇を一回りした後に、恣意的な引用や聞きかじりのコピペをネタに語られはじめている「ヤンキー2.0」は、事実関係の当否や論理の整合性よりも、ページビューを呼びこむ見出しのどぎつさや、読み物としての刺激の強さを重視している分だけトンデモ方向に舵を切った物語になっている。
    よって、「ヤンキー」という言葉を無批判に大量使用している文章は、信用できない。参考にすらならない。(p.183)

    知性は大切なものだ。
    そして、学問はありがたいものだ。
    私たちはそれらを自分たちの手に取り戻さなければならない。
    テストの成績をネタに友達と引き離されたことを、私たちは、心の奥底で恨んでいる。
    で、犬のクソを踏まされた子供が犬嫌いになるみたいにして、学問に敵意を抱いたりしている。(p.198-9)

    僕がレヴィナスを読んだときに感じたのは、いくら文章を読んでもわからないけれど、レジなすが今思考している一番中心の、核の部分で熱く脈打っているものに直接触れたいという渇望だったんだと思う。理解できないけれど、触れたい。だから、写経するような気分でずっとレヴィナスを読んで訳してきたわけですよ。でも、写経していると、どこかの段階で自他の同期が起こるんですよね。僕自身の考え方や語り口がレヴィナスに感染して、レヴィナスに憑依されてしまう(笑)。僕は確かにレヴィナスの読み方をレヴィナスから学んだのだと思う。レヴィナスのテクストの解釈の仕方をレヴィナス自身から学んだ。(p.229)

    どうしてもその杭を中心とする同心円から出てゆけない。どんな新しい経験をしても、全部古い経験のスキームの中でしかその意味を解釈できない。トラウマって、そういう種類の病気ですよね。このスキームへの固着からどうやって自分を解き放つか。僕の眼には、今日本全体がある種のトラウマ的な状態に陥っているように見えるんです。みんなが「今・ここ・私」に居ついている。(p.240)

    いろいろなことがほんとうに便利になってきた。標準化や定型化により、それぞれの研究室からでデータを比較検討することがたやすくなるのだから、科学の進歩という面ではすばらしいことばかりである。しかし、標準化や定型化といった方向性が示されていれば、それにしたがって研究をおこなうことが前提になる。考える必要がないとまでは言わないが、創意工夫のはいる余地が少なくなってきてしまっている。すなわち、型が大事になって、個人の「知性」があまり必要ではなくなってきているのだ。(p.264-5)

  • 内田さん、本出しすぎ。
    読むべきは赤坂真理さんと鷲田清一さんのところだけ。

  • 2015/4/20

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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