ポピュラー音楽と資本主義 増補

著者 :
  • せりか書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784796703093

作品紹介・あらすじ

マルクスやアドルノの古典や近年の社会学、文化研究の議論を手がかりに、ポピュラー音楽の歴史的発展と資本主義とのスリリングな関係を解明する。デジタルメディア環境からDiY文化やアイドル文化まで最近の変容を描いた新たな章を書き加えたポピュラー音楽研究の必読入門書。

感想・レビュー・書評

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  • やっぱりちょっと硬くてムズかしい。これがスンナリ、喉を通るようになるのはいつの日か、、、と思うけれども、まずは一度、飲み込んでみないと進まない、という第一歩。
    ポピュラーソングとは、という命題について、時代ごとに、国ごとに、またジャンルと言って良いのか、様々な切り口ごとに丁寧に検証されている。
    どんな戦術で、どんな層に、どんなものが売れたのか。デジタル化はどんな影響を及ぼしたか。
    あとがきに三井徹さんの著作について言及があり、なるほどと頷いた。一周してもう一度読めばもう少しわかるかも、、、消化できるのはいつになることやら。

  • 元々が大学の講義をベースに作成されているだけあって、音楽と社会全般について学ぶための入門として最適。
    広く全体感をもって学べる。
    作中で出てくる音楽も多彩で、参照されている音楽を次々に聴きながら読み進め学ぶ時間は至福だった。
    こんなことができるもの、インターネットですぐに何でもきけるこの時代のおかげ。

    ーー
    1.アドルノの時代の音楽が資本主義経済の一部になってしまった時代(自由に見えて決まった型の中で自由っぽく振る舞っているだけ。昔は良かった…)
    →2.ロックやジャズの反体制としての前衛さ
    →3.また資本主義経済の一部で定型化
    というが、2.がどこまで本当に力をもっていたのか、当時を知らない自分からするとなかなか信じられない。
    その世代の懐古回顧主義で言ってるだけで、1や3と変わらないのでは?そしてそれらを否定するのも単なる「昔はよかったおじさん」なのでは?
    と思うが2の時代を経験してないのでどちらかは分からない。

    どのようなジャンルであれ、誕生時は反体制の要素をもちそれが大きくなっていくにあたって商業的になる、単にそれだけではないのか?

    巨大な共通の音楽→各自の好みに細分化された音楽
    の流れは、工場のフォーディズム(一斉に働いて一斉に休む、個性は出さない)から情報・サービス業へのポストフォーディズムのライフスタイルの変化によるもの

  • 22 アドルノ
    文化が資本のなかに包摂されるのを批判
    30 「ひとの精神を規格化する単調な音楽」
    32 〈熱狂することで資本の中に組み込まれてしまう〉〈いわゆる「通」や「マニア」に対してもその俗物性を批判しています〉〈本来多様なはずの人間の精神を均質化していく資本主義の装置〉〈受動的に消費しているにすぎない〉
    38
    41
    45 チェインバース「ブリコラージュ」
    46 アルチュセール「相対的自律性」
    66
    70 Fordism 労働者は生産者であり消費者
    76
    80 ミュージシャン志望の若者
    88 イギリスのロックとアート・スクール『art into pop』
    103 サブカルチャー・エリートとその批判「パスティッシュ」
    118
    122
    148
    178 日本的消費
    186 宇多田ヒカル
    193
    197椎名林檎
    244 ムシカ・プラクティカ
    273 総括

  • ポストフォーディズム以降の労働観の変化が音楽とも呼応していたと言う話が面白かった

  • ? ポピュラー音楽と資本主義
     1 マルクス主義的批判理論の導入
     2 アドルノのポピュラー音楽批判
    ナチス=資本主義、均質化批判。ジャズのアドリブにおけるルールなど、オリジナリティの欠如など
     3 反抗の時代・ロックの時代
    反戦フォーク・ロック、人種差別に対するブラックミュージックなど階級闘争とは別のフェーズでの音楽と政治の関係の発露。
     4 アドルノ的なペシミズムに対するポピュラー音楽研究からの批判

    ? ロック時代の終焉とポピュラー音楽の産業化
     1 産業化するポピュラー音楽
    70年代ロックで資本投下→アルバム制作→ツアーのモデルが確立。60年代の実験性や政治性が失われる。ジャズもこのころフリージャズが退潮しフュージョンへ、ブラックミュージックもJBやスライからディスコへ。
     2 七〇年代の日本のポピュラー音楽
    日本ではロック=洋楽として大衆の支持は得られず。GSは歌謡曲にとどまる。60年代フォークは政治性を持つが、中期吉田拓朗や井上陽水の傘がない以降は私小説的に。さらに荒井由美など都市的なニューミュージックへ
     3 音楽産業の変容
     4 フォーディズム的な生産様式とその終焉としての六八年
    (ポストモダンの定義 大文字の物語の終演・リオタール、シュミラークル・ボードリアール、脱工業化社会・ベル、建築の折衷主義・ジェンクス、生産様式の変容とポストフォーディズム・レギュラシオン学派、分裂症の時代・ドゥールーズ&ガタリ)
    フォーディズム=労働者を消費者へ。余暇による消費へ 第3次産業化でフォーディズム時代の行き詰まり
     5 ポストフォーディズム的生産体制
    多品種少量生産、差異化、情報化の進展。余暇と労働の境界が融解し私的なやりがいや自分らしさが労働へ侵入。ミュージシャンはこの典型
    ? ポップの戦術??ポストモダンの時代のポピュラー音楽
     1 アート・イントゥ・ポップ
    アートとロックの接近。ロックがアートに成り下がったのではなく、アートがロックに合わせて変容した。sgtペッパーズやホワイトアルバムのジャケはファインアートの作家によるもの。英国でまともにバンドやろうとした唯一の道がアートスクール、その影響がニューウェーブなどにも
     2 アンディ・ウォーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
    まさに「ファクトリー」で生産される芸術。特権性を?奪され、ポストフォーディズム下での労働として生まれる芸術。約10年後には英国で「ファクトリーレコード」が活動し、ポップミュージックの世界を拡張する。資本主義と戦うより、それを利用し商品化される戦術がとられるようになった
     3 パンクとテクノの登場とロックの終わりの終わり
    音楽と資本主義の関係の考察には、アドルノ的な資本主義による支配を前提とする立場とそこに回収されない自律的な領域があるという2つの立場がある。これを組み合わせてチャートにのる商品化された音楽をけなしつつ、資本主義の外側にある純粋な領域を重視するサブカルエリートの立場が生まれた。
    ただ、資本主義の外側にはもはや何もない。資本の論理を逆手にとって再搾取するパスティーシュの試みが力を得る。
    1つはパンク、もう1つはテクノ
     4 KLFと資本主義の消費
    KLFはダンスチューンやアンビエント作品で大ヒットをとばした後、100万ポンドを燃やすなど、資本主義を消費する徹底的な資本主義に対する批評を行った
     5 日本のポピュラー音楽におけるポップの戦術
    YMO、オリエンタルでポップなメロディーから実験性を高めた時期、歌謡曲への接近。ファッションなどセゾン文化との共振によるポピュラリティを獲得した。
    忌野清志郎、COVERSなど政治性を全面に出しながらも、あくまでゲーム的に戯れ商品として売っていく姿勢が戦略的だった
    ? 人種と音楽と資本主義
     1 人種とポピュラー音楽
     2 「黒人」というカテゴリー
    ブラックミュージックは黒人によってしか作れないものという本質主義の立場と黒人性とはフィクションであるとする反本質主義の立場がある。(?ー3にある資本主義と音楽の関係における2つの立場とパラレル)本質主義は自民族を中心とした分離主義になりがちな一方、反本質主義は公民権運動など現実に行われてきた人種闘争の役割や音楽への影響を無視しすぎる。ポール・ギルロイは異種混交を繰り返しながら変容していくものとして評価する第3の立場をとった
     3 移動する音楽・変容する音楽
    レゲエは伝統音楽ではなく、ジャマイカの民俗音楽にブルースやカリブ系音楽、スカなどをハイブリッドされた音楽。ロンドンでは黒人のマーケットが小さくバンドもいないので、DJがかけることで浸透。これがダブの発展を支えた。人工的なレゲエは分断された移民を統合する役割を果たした。白人下流層が職を奪い合う移民を敵視しレゲエのパーティーを襲撃といったこともあったが、パンクスを中心に移民の若者と共鳴し、音楽的な影響も受けていく。レゲエ意外にも2トーンスカやスライによるファンクとサイケの融合など、ブラックミュージックは異種混交の歴史である
     4 二重に搾取されるブラック・ミュージック
    黒人ミュージシャンは経済的に搾取されたうえ、スウィングジャズが白人のベニーグッドマンに代表されるように音楽的・文化的にも搾取された歴史がある。モータウンのベリーゴーディーJrは自らのレーベル経営で徹底した商品化により対抗した。MTVによる黒人音楽の規制を打ち破ったマイケル・ジャクソンも圧倒的な商品力が武器だった
     5 二重の搾取に抗して
    モータウン初期やマイケル、徹底的な拝金主義は人種差別に対抗する手段にほかならない。ただ、モータウン後期は商品化が音楽としてのエッジを失わせた。
    サム・クックやアレサ・フランクリンはポップ歌手として活躍する一方、黒人向けにゴスペルやソウル歌手としての顔ももった。ポップスを歌う顔はビジネス的な妥協とされがちだが、二面性を併存させられる二重意識こそ黒人ミュージシャンの真価でもある
     6 資本主義と人種
    日本ではブラックミュージックの政治的なラジカリズムを強調しすぎて、ポップミュージックとしてのよさを過小評価しがち。黒人音楽は市民権を得たが、人種問題は複雑化し、ホワイトトラッシュがうまれ、アジア系やアラブ系への差別もあり、人種問題は黒人音楽のみを通じて語り得るものではなくなっている。
    ? 「Jポップ」の時代
     1 音楽は本当に危機なのか?
     2 九〇年代の音楽産業のバブル景気的成長
    CDの誕生、そしてシステムコンポからミニコンポへ=音楽の後景化。ながら聴きが増え、女性歌手の登場へ。タイアップでミリオンセラーと売れない歌手が二極化した
     3 ミリオンセラーの増加と音楽のファミリーレストラン化
    90年代のミリオンセラーは曲が支持されたのではなく、あらかじめ売れとわかるアーティストの曲が主流。安定したクオリティを保ちつつアーティストがブランドとして機能した。カジュアルなファミレスのように手軽に聴かれ、リスナーはそこで満足するから、他の音楽領域へ足を踏み入れることがない
     4 Jポップの形成期の「シブヤ系」
    レコード天国としての渋谷、あらゆる実験的音楽を取り入れたポストモダンミュージック。ダンスミュージックを中心に実験性とマーケティング戦略をうまく融合し、同時代の洋楽と肩を並べ、洋楽邦楽の差を融解させた。90年代のJPOPはこれを拡張したもの。最大の成果が宇多田ヒカル。カラオケで歌え、自己同一化できるアーティストとは離れた部分で歌謡曲の歌手として機能した部分もあった。最大のJPOP歌手でありながら、その規範からはずれた存在
     5 新自由主義とフリーターの九〇年代
    フリーターの増加、「自分らしさ」や「クリエイティブ」信仰が広がり「世界で一つだけの花」がヒット。アドルノがジャズのインプロビゼーションを偽物の個性と断じ、均質化、最終的に個の孤立を招くのに対し、カラオケで歌って同一化できるJPOPは緩やかな結びつきを生む。カリスマ性なきスターはBECKやNANAの主人公像にもみてとれる。音楽の趣味・嗜好はその人の自分らしさ個性の表象となった。データベース的に無限に多様化し尊重されるために音楽を熱く語る場面は減っていく
     6 インディーズのオーバーグラウンド化

    ? 「ポスト・Jポップ」の風景
     1 アイドルのCDチャート寡占時代
    10年代に入り、アイドルがチャートを占める。90年代のファミレスから牛丼のような専門店的チャート
     2 モーニング娘。からAKB48へ
    70?80年代前半のディスコを参照したつんくの楽曲は戦後歌謡曲からブラックミュージックまで20世紀後半のポップスの集大成としての完成度を誇る。
     3 オタク的消費のメインストリーム化
    「会いに行けるアイドル」たるAKBはファンの能動的消費が1次創作として機能し運営側が二次創作という逆転現象が起き、これが無限にループする(宇野常寛の議論)。韓流やアニソンとクラブミュージックの融合、オタクVSサブカルの終焉、AKBに代表されるオタク消費は生産と消費の関係においては新たな前提となっている。
     4 パッケージからライヴとマーチャンダイジングのビジネスヘ
     5 アイドルやアーティストは、今何を生み出しているのか?
    浜崎あゆみあたりまでは「アーティスト」として作詞もこなし、ファンがそこに同一化する共感の対象だった。これが10年最大のアーティスト西野かなは着うた=携帯電話というより個人的なメディアで受容されている。日常生活に断片化された「切ない」という感情が受容されている。共感の度合いがさらに高まった。もはやアーティストという偶像でも楽曲という具体的な商品でもなく、共感や癒しといった抽象的な「感情商品」。感情労働、コミュニケーション能力ばかりが問われるハイパーメリトクラシーという10年代の労働問題に通じる
     6 生産的な消費と消費的な生産
    DOMMUNEやYOUTUBEなどで音楽の値段は無料に近づいた。一方、消費側からの情報発信(AKBのファンコミュニティーやボーカロイド)が興隆し消費と生産の関係が逆転する状況も生まれてきた

    ? ムシカ・プラクティカ??実践する音楽
     1 実践する音楽
     2 DJカルチャーとDiYカルチャー
    ゲイカルチャーと結びついて生まれたハウス、スノッブなクラブにあきたらない若者たちによるレイブなどDJカルチャーはDIY実践の側面を持つ。日本だと脱色されるが
     3 デジタル時代のDiY実践
    バンクシーとデンジャーマウスによるパリスヒルトンの海賊盤を無断で店に置くパフォーマンス。音楽をとりまくシステムに真っ向から反抗するのではなく、ハッキングする形で批評するパフォーマンス
     4 日本のDiYカルチャー??音楽の贈与経済へ
    曽我部恵一、DIYスターズ、ブルーハーブ
     5 福岡の音楽実践??ミュージック・シティ・天神
     6 再びポピュラー音楽ということ
    ポピュラー音楽は資本主義・権力に対して真っ向から対抗せずに両義的な立場をとる。そこにこそ大衆を動員する魅力になる。資本主義への対抗でもそこから独立したものでもなく、副産物。それが主要な生産物になりつつある。もはや大衆的な物を拒絶するという態度すら大衆的な物になった以上、いつまでも聴かれ続けるであろう大衆の音楽について考え続けざるを得ない

  • 音楽

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784796703093

  • 議論がいろんなミュージシャンやアーティストの例を使って展開されているので、途中途中で「今何の話してるんだっけ?」って思うところがあった。

    しかし、それでも、とても面白かった。

    なんというか、読み終わった後(読んでる最中もだけど)に胸が熱くなった。

    ポピュラー音楽という魅力的な文化の変遷、そして現在の状況が丁寧に描かれているので、読みやすい。勉強になりました。

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著者プロフィール

毛利嘉孝
毛利嘉孝
社会学者。1963年生まれ。専門は文化研究/メディア研究。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジPh.D.(Sociology)。九州大学大学院比較社会文化研究科助教授等を経て現職。特に現代美術や音楽、メディアなど現代文化と都市空間の編成や社会運動をテーマに批評活動を行う。主著に『バンクシー』(光文社新書、2019)、『増補 ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房、2012)、『ストリートの思想』(NHK出版、2009)、『文化=政治』(月曜社、2003)、編著に『アフターミュージッキング』(東京藝術大学出版会、2017)等。

「2023年 『朝露』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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