- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797333381
作品紹介・あらすじ
次々と新レーベルが創刊され、中高生をメイン・ターゲットに勢いを増している「ライトノベル」、通称ラノベ。人気作家が、ラノベのルーツ、楽しみ方、今後の展望などを徹底解説。初めて読むかたから、もっとラノベを知りたいかたまで幅広く網羅した本格ガイドブック。「代表的ライトノベル内容紹介」「キャラ類型解説」「人気キャラクター紹介」「ライトノベル関連年表」付。
感想・レビュー・書評
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ブクログのレビューでもたびたび見かける
「ラノベっぽい」
という言葉。
僕はあまりライトノベルは読まないので,
その「ラノベっぽい」というのがよく分かりませんでした。
本書は2006年に出版されたライトノベル文学史の入門書です。
「ライトノベル」という言葉が生まれてから,現在(2006年)までのラノベ文化の発展が,ラノベ作家である著者・新城カズマ氏の独断と偏見で語られています。
本書の冒頭にある,想定された「対象読者」によると,
・「ライトノベル」という言葉を聞いたことがあるが,なんだかわからなくて気になっている方
・仕事の都合上,あと二時間ぐらいで「ライトノベル」の概要なりとも理解しなければならない方
・読書は人生にとって有益であると考えている方
・平日にネクタイをしめている方
などなど,普段ライトノベルを読み慣れていないような方々が挙げられています。
中でも,
・読書は人生にとって有益であると考えている方
・平日にネクタイをしめている方
には,ぜひぜひ読んでもらいたい!
「ただ面白いだけ」のライトノベルを読んでみようかなという気になれます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もはや主流の一つとなったライトノベルですが、この言葉が定着する前から、ソノラマ文庫やスニーカー文庫などが、ライトノベル作品を出していたのでは?と思って、定義を知るために読んでみました。
なんといっても「超」入門なので、わかりやすいです。
これまでの潮流を時代を追って教えてくれるので、なるほどなるほどとうなずきながら読めます。
忘れていた、懐かしい作品もたくさん取り上げられていて、嬉しくなりました。
ライトノベルは、ざっくりいえば、児童文学と一般文学の間にあるもの、という定義だそうですが、例えば『グイン・サーガ』や『吸血鬼ハンターD』は純文学ではなく、かといってライトノベルとも思えません。
まだ境界区分けが曖昧なジャンルのようです。
でも、読者側にとってみれば、だいたいのアンテナがわかれば、その中で好きな作品を選んで読むので、おおまかなくくりで十分に思います。
「少女マンガは少年漫画の20年先を行っている」という説がおもしろく、納得しました。(引用をご覧下さい)少女たちは『海のトリトン』時代から、萌えを抱いていたそうです。そんなにさかのぼるんですか。
また、ライトノベルには意外にも宮崎駿アニメからの影響は見られないということです。
とりあげられた作家や作品、「属性」などの専門用語?に、ひとつひとつ解説がついており、曖昧な知識しかなかったことがわかって、スッキリします。
メガネっ娘、メイド、どじっ子などのキャラ類型解説もありました。
人気キャラクター欄を読むと、ほとんど自分が知らないことに気付きました。
かろうじて、ハルヒとシャナくらいですが、『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーも入っていたので、少し驚きました。
『銀英伝』もライトノベルくくりなんですね。
ライトノベルを理解するための純文学も紹介されていました。
ドストエフスキーをライトノベル書き手とみなす著者の柔軟さにはビックリです。
作者が男性のライトノベル作家ということもあり、紹介されたものは、ほぼ男性目線のものばかりだったのが残念でしたが、それでも十分ライトノベルについての知識がついた一冊でした。
今まで名前しか知らなかった『ロードス島戦記』『キノの旅』『風の大陸』『宇宙皇子』など、今度読んでみたいなと思います。-
2010/06/23
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うん、系譜的なものが載っていて(こんな風にできてきたんだ)と流れがわかって面白かったよ。
この本を読んで、まさかドストエフスキーに手を出そ...うん、系譜的なものが載っていて(こんな風にできてきたんだ)と流れがわかって面白かったよ。
この本を読んで、まさかドストエフスキーに手を出そうという気になるとは思わなかったでーすw2010/06/24
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2022/2/11読了。
短期集中独学講座「ライトノベル概論」の八冊目として読んだ。
ライトノベルがブームとしてブレイクを始めてから数年後に、新書の読者層(ライトノベルを読んだことのない「ネクタイびと」――絶妙なネーミングだと思う)に向けて、ライトノベル作家によって書かれた紹介入門書。目的はライトノベルに対する先入観や偏見の払拭だろう。
僕は新城カズマという作家の作品を読んだことはないし、本書がライトノベル研究史上の位置づけとしてはともかくこの作家の著書として特筆すべきものだとも思わないのだが、プロの作家(と編集者)の仕事とはこういうものかと感じられる良書だった。
「ネクタイびと」が親しんできた、あるいは親しむべきものとして幻想されてきた文学的・文化的な「教養」に属するデュマや馬琴やドストエフスキーや歌舞伎や能をライトノベルの事情と対比させることによって、同じ価値観を持つ側の者が分かりやすく語っている体裁を演出しつつ、さりげなくマウントも取り、見知らぬジャンルであるライトノベルに対するネクタイびとたちの「感情」をコントロールしている。それを新書編集部からの注文に応えて新書のパッケージに落とし込んでいる。こういうことができるのがプロの物書きなんだろうな、と素直に思う。
と、僕のような者(当時のネクタイびとよりもさらに遅れてやってきた捻れた読者)に思わせることによって、僕のような者にライトノベルを読むときの視点の置き方を示唆してもいる。東浩紀じゃないけどメタのレベルでも仕事をしている本なわけだ。
さて、短期集中独学講座の選書としては、これまでの八冊の中では抜群に面白かった。大塚英志と東浩紀は再読だったが本書は初読だったこともあり、新たな視点も提供してくれた。特に、
「ライトノベルは文章が下手なのか?」
という、これまた批判めいた質問も耳にしたことがありますが、これへの回答はもっと簡単でして、
「非ライトノベルにだって、同じぐらい下手なのが、いっくらでもありますよ」
っていうだけです。(P.239)
この部分。「文章」の巧拙に関して言及した本はこれまでになかった。東浩紀が辛うじて「半透明な言葉」という概念を提示して「文体」に触れたところがあったくらいか。
もしかしたら、「僕がライトノベルを読むときに高確率で感じる、あのフィジカルな反応を伴う生理的な不快感、傍ら痛さの正体は何か」という本独学講座の命題に対する解は、そっちの方面にあるのかもしれない。本質よりも表層のほうに。作品と読者が接する最も表層的な「文章」の、インターフェイスとしての性質、品質のあり方のほうに。
僕が小説を評価するときに、平均的な読者以上にそこを重視しがちなのは自覚している。言われてみれば「非ライトノベルにだって」同じ不快感を感じさせられることがある。そもそもそういう不快感を非ライトノベル全般でうっすら感じるようになってきたなという危機感が、今回の短期集中独学講座を始めた動機の一つでもあった。
つまり解へ至る考え方の枠組として、「僕の不快感の出所はライトノベルに固有のものではなく、文体論として小説全般に存在しうるものであり、たまたまそれが表面化しやすい小説のあり方が、ライトノベルと呼ばれるカテゴリに集中している」という仮説が立つ。これまでにこの独学講座で学んできたライトノベルの商業的な側面、自然主義的文学とは写生対象が異なる側面、キャラクター小説としての側面、データベース消費型/コミュニケーション志向メディアとしての側面を、抽象的な本質や物語作法のレベルではなく、具体的で表層的な「文章」のレベルに適用して考えてみるのも、筋の良いアプローチかもしれない。 -
タイトル通り「ライトノベルとは何か」を書いた入門書。
14年前に刊行されたものなので、さすがに現状とは違う面もありますが、ライトノベルの土台となる部分が書かれているので、説明する際の基本はこれで押さえられます。ライトノベルに興味がある人も偏見ある人も読んで欲しいなあ。
現状との違いで一番強く思うのは、ラノベとそれ以外の小説との境目の曖昧さが強くなっていることかも。所謂ライト文芸と呼ばれるジャンルが現れ、ラノベの手法が普遍化した気がする。
しかし元々ラノベの源流は様々なジャンルにある訳だから、当然の帰着なのかも。 -
ライトノベルを少し学術的に解説した本
目次
<blockquote>第1章 ライトノベルは、どんな小説なのか?
第2章 ライトノベルを読んでみよう
第3章 「ライトノベルという手法」を考える
第4章 ライトノベルのウソ、ホント
第5章 ライトノベルはどこにいくのか?
</blockquote>
ライトノベルとはなんぞや〜ライトノベルの歴史とは、結局どういうものなのかというアプローチで語るライトノベル論。以上終わり。
と、言い切ることが出来る。
ライトノベルを読んだことがありますが、それでもなかなか面白く、興味深く読めた本です。
ひとつのオタク的文化、秋葉原的文化としてのライトノベルを知るには、いい本だと思う。 -
ライトノベルの実作者でもある著者が、ライトノベルの歴史を回顧しつつ、ライトノベルとは何かを考察している本です。
著者はまず、ライトノベルに「マンガ/アニメっぽいイラストがついている」ことに注目します。『クラッシャージョウ』(ソノラマ文庫)などの著作で知られる高千穂遥は1974年に、『勇者ライディーン』でキャラクター・デザインを手がけた安彦良和に直接イラストを依頼しました。これが、「マンガ/アニメっぽいイラストがついている」作品の先駆けとされます。ただしそのイラストは、「アニメ絵」ではあっても「アニメ塗り」ではありませんでした。1990年になって、神坂一・あらいずみるいによる『スレイヤーズ!』(富士見ファンタジア文庫)で、セル画のような「アニメ塗り」のイラストが採用されることになり、著者はこれをもって狭義のライトノベルの誕生としています。
またイラストは、登場人物の内面についての長い説明がなくても、その「キャラクター」を一目で理解することを可能にし、そのことでライトノベルのもう一つの特徴である「キャラ」が成立したと著者は考えます。とくに「ハーレムもの」の先駆である『天地無用!』以降、「キャラ」意識が明確になったとされています。
こうしたライトノベルの特徴づけを踏まえて、これからのライトノベルの展望についても語られています。
興味深い視点もいくつか提示されているのですが、そのほとんどはくわしく展開されることなく次の議論へと移ってしまっており、ややまとまりが悪いように感じてしまいました。 -
#多分岐エンディングのゲーム内において登場人物たちが内面を失い(自殺するウェルテルとしないウェルテルが分岐として等価なら、登場人物は実質的に何一つ葛藤も決断もしてないことになるじゃん──ってイーガンだなあ)、代わりにその行動パターンを「属性」として外見に定着させる手法が生まれた。という考察からドストエフスキーへの言及、面白い。『蓬莱学園の犯罪!』の主人公の名前は『罪と罰』が元ネタだったのか。
(2009/04/13) -
個人的な意見が多いなかで、数少ないまともに論じられている部分はのちに引用されてるものがほとんどだったので今さら読む必要はなかったかもしれない