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この作品からのみんなの引用
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われわれは、すべてを疑って生きることはできない。懐疑主義を実践的なものにするには、何を信じて、何を疑うかについての指針が必要なのである。では、ポストモダニスト、あるいは価値相対論者は、何を疑い、何は疑わないのか。結論からいうと、自分に都合の悪いことは疑い、都合のいいことは信じるという思考パターンに陥ってるケースが多いのである。
― 118ページ -
注意喚起と予測を混同させる論法は、歴史的に見ると新しいものではない。昔から占い師がこの論法をよく使ってきた。占いが外れた場合、その後のあなたの行いが良くなったからと占い師が言い訳する姿は、いまでもよく見る光景である。しかし、占い師と違い、社会的信頼を受けている学者たちに、占い師と同じ論法が許されるとは思われない。
― 107ページ -
ここで、何をもって「科学である」と定義するのかが問題となる。(中略)すなわち、予測力を持つ知識体系を得ることを目的とし、その手段として再現性仮説に基づく実権と観察、法則の連続性を仮定した理論設計(帰納主義)を道具とするものが科学というわけである。
― 100ページ
みんなの感想・レビュー・書評
第1章 学者のウソ
・住基ネット論争のウソ
・ゆとり教育のウソ
・ダム論争のウソ
・理系学者のウソ
・文系学者のウソ
・ウソが生まれる背景
第2章 本来の学問
・自然科学の方法論
・自然科学の困難
・文系学問の困難
・ポストモダンの学問
第3章 学歴エリート社会の罠
・マスコミエリートの倫理破綻
・エリートによる「弱者ごっこ」論法
・利己主義の暴走
・既得権益としての学歴エリート
・道具化する倫理
第4章 ウソを見破る手立て
・学歴エリートに騙されない方法
・言論責任保証の試み
・新たな技術が社会を変える
言論責任保証というのは初めて知った。有効な制度だが、認知度が低いうちはほぼ無力に等しいだろう。また、マスコミの既得権益による巨大なウソは看過できないものだが、いつの日か崩壊するのだろうか?やはり誰かがTV局を買収するしかないのかも。官僚の予算取得のみが目的化されたウソもどうしようもない。
ウソを付きたくてなくても結果ウソになることはある。逆にウソのように見えるアグレッシブな売上げ計画でも本当にすることができる。
意図的に嘘を付く気はないけど将来のことは誰もが嘘つきになる可能性がある。自分の立てた計画を本当にするのは自分の努力次第!
[ 内容 ] 権威ある学者や学歴エリートたちによるウソは、メディアなどによって流通し、多くの問題を起こしている。 そのような詭弁や強弁を含む言説に対して、どのように向き合えばいいのだろうか? 本書は、ゆとり教育や少子化問題など多くの論点を通して文系・理系の学者やメディアのウソを暴き出し、本来の学問への道すじを示すことを試みたものである。 [ 目次 ] 第1章 学者のウソ(住基ネット論... 続きを読む »
学者も結局、中立にはなりにくい。 それぞれが経験や研究に基づき主張がある。 それを踏まえて意見を聞かないと。 少なくとも、反論を聞かなかったり封じようとする人はだめ? 文系学問はもっと難しい そもそも何をもって科学とするのか? 科学=予測力を持つ知識体系を得ることを目的とし、 その手段として再現性仮説に基づく実験と観察、 法則の連続性を仮定した理論設計を道具とするもの。 対象... 続きを読む »
学歴エリート社会の罠、筆者も学歴エリートの一人だから自己批判を踏まえて、というところでしょうか。女性専用車両に関する意見は過激ながらも爽快な感じ。目的と手段が混同している議論。確かになかなか見破りにくいけど、よく考えるとそういう論法は非常に横行している。
どこかで、この本が引用されていたので興味を持って購入。サヨク離れの理由は、サヨクが嘘つきだったから、という部分。他にもいろいろあるんですねぇ。
タイトルからすると
単なる学者批判の書のようにも見えるが…
そもそもの学問のあり方と
マスメディアによる学問の取り扱われ方について
途中で説明がされており、
必ずしも学者を非難する内容にはなっていない。
(書いている人がそもそも学者なので…)
作者は理系の人間だが
政治・教育・男女共同参画・メディアなど
文型の関心領域についてもかなりカバーされている。
学者の在り方に就いて考えてみたい人のみならず
自分の専門外の学問について大まかに知りたい人、
学問と社会とのつながりに関心のある人に
この本はお勧めしたいと思う。
また、これらの諸問題を
「学者のウソ」という視点で見るのも面白いかもしれない。
20071226
学者・エリート・フェミニストのウソをたたく本
メディア・リテラシー本かな。
言論責任保証!をぶちあげて実践するなど、無責任な放言者ではない。
2月9日開始
2月10日読了
学者というより学歴エリート批判。表面では社会のためといいながらも、自分たちの利益・既得権益を守るために活動している彼らを糾弾。
その主張は概ね理解できるが、あまりにも十把一絡げで批評しすぎ。特にフェミニスト批判。
終盤の解決策についてはちょっと実現性が無いと思うんだけど。
『本に書いてあることは、値段とページ以外はデタラメだ」
という考えを持って、本を読んでいるのですが。
この本はわりと楽しめました。
なかでも、自然科学、社会科学、人文科学の定義付けは体系的にも理解しやすく、すんなりと頭に入ってきました。
世の中はインセンティブでつながっていると感じました。
この本を読んで誰が喜ぶのだろうか?と思ったのが率直な印象。科学者と称している人の中でもいい加減な人がいるだろうことは誰でもわかるし、その程度にしか信頼されていないのではないかと思える。「あるある」のように似非科学に影響力があるのはたしかだが、「学者」や「知識人」と呼ばれる人への信頼は、かつての帝大卒のエリートへのそれとは比較にならないほど墜ちている。それをいまさら論証する必要があるかなぁと思えたし、槍玉に上がっているのが社会学、女性学だから拍子抜け。厳密科学として信じて疑わない人の方がむしろ問題では?構成として、著者の言論責任認証のNPO法人のことから語り始めた方が、著者の立場が明確で、誰のために何の目的で語ろうとしているのかわかりよかったのではないか。著者自身のエリートとしての言論への誠実さと矜持はよく伝わるのだけに残念。
われわれは過去に存在したリスクを忘れ、今あるリスクに目を向けがちである。またリスク要因が減少すればするほど、残ったリスクに対する情報価が相対的に上昇する。
この世の中は非線形現象で満ちあふれている。ほんのわずかな違いが大きな結果を生むのが非線形の世界である。よって、事前に結果を予測することが誰にもできないこともある。それを無視して、すべての事故を単純な因果関係で捉えようとしても、少なくとも再発防止という観点からは全く意味をなさない。また、そのような因果論をもとに責任追及がなされても、責任をとわれる当事者は当然なっとくできないであろう。
マスコミは政治家や官僚企業医師などに厳しい倫理的追求を繰り返している。しかし、マスコミはマスコミ自身の不祥事にはあまい対応をとることが多い。そのため彼らの語る倫理にはまったく説得力がない。
世間では信頼される学者がいかにウソをついて害毒を撒き散らしているか、文系理系を問わず切りまくる。
ここまでは面白いのだが、いざ自説になるとそれは「企業の世襲は長期戦略が立てられるので良い」とか、それはちゃうやろ、と突っ込みどころのオンパレード。自説を立てずに、他人の批評だけだったらタメになる本だったのに。
このパターンの本は結構好きなんだが、自分の分野の書き方がすごいんで、全体がマユツバになってしまった。女性学はこの人によれば、学会全体がつるんでうそをついていることになる。ふむむ。でも、知らない他分野についての覗き趣味みたいなものは満足されるかも。みなさん自分の分野は避けて読みましょうね。






