サイバージャーナリズム論 「それから」のマスメディア (ソフトバンク新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797342406

作品紹介・あらすじ

ネットが新聞やテレビを「殺し」、既存のビジネスが破壊され、「グーグル・アマゾン化」してしまった世界において、「それから」のメディアはどのように変貌していくことになるのだろうか?対話型メディア、コンテンツ本位制、検索エンジンの可能性、集合知成立の条件など、さまざまな論点を掲げ、新旧世代の論客が、それぞれの切り口でジャーナリズムの明日を語り尽くす。

感想・レビュー・書評

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  • 少し前の本ですが、分かりやすく書かれていた気がします。こうした時代のジャーナリストの在り方はなかなか難しい。結局は、何を発信するか、どういう手段で発信するか、が大切なのでしょうけれど。

  • 最近ハマっている佐々木俊尚4冊目

    今回は2007年と少し前のものなので、今更感がある内容も多かったけど、図書館で新しいのから借りているからこれは仕方ない

    内容はというと
    タイトルの通り、インターネット上で勃興している一般市民による情報発信
    これは果たしてジャーナリズムと言えるのかどうか、ということを著者が論じている
    著者は、テレビや新聞と言った旧メディアが機能不全に陥っている、と自分の経験や様々な証拠(紙面に載った記事など)を挙げて、主張し、では、新メディアと言えるインターネット上の情報発信はジャーナリズムなのか、このサイバージャーナリズムとも言える代物は日本を良い方向に導いて行くのだろうか、とインターネットの長所短所を挙げて検証している
    結論として、著者は、インターネットでの情報発信は広義の意味でのジャーナリズムであると主張し、過渡期である以上、混沌とした時期はあるだろうが、全体として良い方向に向かうのではないか、と期待している


    わかりやすい語り口で、ちゃんと証拠を挙げて説明しているので、説得力があるが、やはりツイッター登場以前なので、もう昔の話だなあと感じてしまう
    インターネットの世界は本当に速い、ということに著書とは関係ないところで感じ入ってしまった

  • 米国では転職がさかんだから、ブログもジャーナリズム的。ブログが履歴書になるから。日本のブログはただの落書き。
    通信と放送の融合化というのはつまるところ、テレビの動画のオープン化であり、動画コンテンツをWeb.2.0化していくこと。
    サイトは検索されなかったら価値がない。

  • 11月19日読了。
    インターネット上ではジャーナリズムはどう展開されていて、どう変わっていくのかという内容かと思って手に取ったが、どちらかというと、副題のとおりマスメディア論だった。
    5人も著者がいて、ジャーナリズムやネットに対する考え方も定義もバラバラで、散漫だった。
    読者と前提は共有されているものとして論を進めているようだったが、著者のスタンスくらいは説明しておいてもらわないと、途中から話に加わったような感じで、言いたいことを理解するのに非常に苦労した。
    既存のマスメディアに対する不満や批判を言うために、ネットを足がかりにしているような印象を受けることがあった。
    刊行された2007年当時ならばネットの新動向に多少触れられていることになったかもしれないが、ジャーナリズムにしろネットにしろ、2009年の現況を知るためには、ほかに適当な本があるだろう。

    (追記)
    マスメディアはネットに移ってきているが、そのときに、世論の木鐸たるジャーナリズムはどうあるべきかということを論じているつもりらしい。(11月24日)

    メモ
    はじめに
    「ウェブ2.0」時代の到来でジャーナリズムはどうなるのか?がこの本のテーマ。

    第一章 新聞ビジネス崩壊の予兆(歌川令三)
    アメリカでは、インターネット普及前から、世代間ギャップで新聞の部数が減り始めていた。それがネットの普及で加速された。そのため、紙から電子へとメディアが変わりつつある。もともとアメリカでは広告が収益の柱になっており、電子への転換が容易な環境がある。
    ひるがえって日本でも、アメリカと同様、部数が減りつつあり、ビジネスモデルの転換が必要になっているが、収益の柱が購読料にある日本の新聞業界では、広告収入モデルが前提の電子への移行は困難な状況。
    アメリカでは状況はもっと進んでおり、アメリカの新聞社が気にしているのは、紙の新聞ではなく、非新聞社系の通信メディアが提供する「電子ニュース」だ。とりわけグーグルの動向を気にしている。
    マスメディアが電子によって担われる時代はすぐそこまで来ている。「それから」のマスメディア界はどうなるのか、2章以降で検討。

    第二章 「プロの記事」はブログより価値があるのか?(湯川鶴章)
    2004年のアメリカ大統領選でブッシュ氏の兵役問題を報じた大物キャスターの降板劇を、プロ対ブログに視点から詳述。ジャーナリズムとしてのブログの可能性を示唆。
    一般の人が発信手段を持ち、言論活動が限られた人のものだけでなくなれば、ジャーナリズムは、「誰」が行ったかより、「何のために」に行ったかが重要になる。「社会をよくしたい」という気持ちがベースにある言論活動は、すべてジャーナリズムと呼んでもいいのではないか。
    (ジャーナリズム=言論活動?)

    第三章 テレビ局をめぐる大いなる幻想(佐々木俊尚)
    通信と放送の融合とは、メディアを「コンテナー本位制」から「コンテンツ本位制」へと移行させること。(これだと放送という概念がなくなるのではないか)
    テレビ局はインターネットを取り込もうと、サーバー型放送を考えているが、コンテンツの管理は視聴者ではなく局側がするシステムになっており、ネットの考え方とは異なる。ネットとテレビの差違は大きく、埋めることができるのかどうか。
    テレビCM離れが進み、テレビのビジネスモデルが崩れる中、ネット的にならなければ、テレビCMの未来は暗いだろう。(なぜ急にテレビCMの話になるのか説明不足だと思う)
    (著者は、デジタル化=ネット、ネット=通信、放送と通信の融合=テレビとネットの融合と考えているようだが、その辺の説明がなく、何の説明をしているのかよくわからなかった。著者にとっては、放送と通信の融合とは、ネットがテレビを吸収合併することのようだ)

    第四章 グーグルにあらずんば情報にあらず(森健)
    ウェブ2.0的なサイトとは、「ユーザーがコンテンツの提供者になるよう、ユーザーを積極的に取り込む参加型のウェブサイト」のこと。その代表例としてグーグルを挙げ、そのサービスとビジネスモデルを説明。
    (無数の発信者を取り込んだビジネスモデルは、既存のマスメディアにはできない、既存のマスメディアはネット上では一発信者にとどまると言いたかったのかもしれないが、ジャーナリズムとどう関係しているのかわからなかった。)

    第五章 ウェブがもたらす偏向と格差(森健)
    世論調査に見られるように、ウェブでの世論や情報にはまだ大きな偏りが出る。なぜか。
    空港やニューロンに見られるような「ハブ&スポーク」のネットワーク構造がウェブにもあり、その構築過程はシミュレーション実験で明らかになっている。そのマイナス面には、異なるものを排除する「集団分極化」という現象がある。ウェブでは、人の主張を聞かず、自分の主張を強く展開することが容易だが、一般的にもそうした集団内では極端な方向に意見が傾きやすい。そのことは社会心理学の研究で明らかにされている。こうした学術的な考察は、ウェブにおいて情報に偏りが出ることを傍証的に示唆している。
    これとは別に検索エンジンの問題がある。情報が無数にあっても、実際に見られるのは検索結果の上位30項目ほどである。その情報についても、多義性を持つ言葉については、その一面のみを捉えた偏った情報が検索結果の上位を占めている可能性があり、結果の上位が民意を正しく反映しているとは限らない。
    情報の偏りを防ぐためには、「群衆の叡知」が成立する4条件を個人個人が兼ね備えることだ。
    (固有名詞をずらずら並べるだけで、まとめがなく、わかりにくい。ウェプ(ネット?)の偏りが本書でどう位置づけられるのか言及がない)

    第六章 メディアとはコミュニティーである(湯川鶴章)
    SNS、ユーチューブ、セカンドライフを紹介。
    これらはソーシャルメディアと呼ばれ、新しいメディアになりつつある。すべてのコミュニティーはメディアとなり、すべてのメディアはコミュニティーになっていく。
    (合コンや会社もメディアということだろうか。CDやDVDもメディアだが)

    第七章 誰もがジャーナリストになれる?
    誰もが自由にニュースを発信できる時代であり、ジャーナリズムは講義型から双方向の会話型へと転換しつつある。そうした中では、ジャーナリストとは誰のことだろうか。
    論点その一 「ジャーナリスト」とは"お偉方"の独占的称号ではない(スポンタ中村)
    P2Pこそ、ニューメディア。メディアのない、したがって情報流通を妨害するもののない情報交流システムである。
    ジャーナリストの要件とはよき世論の形成者だが、P2Pシステムであれば、交流の中から、情報を整理、分析、評価を行い、世論を統合できるインテグレーターが自然に選ばれるようになるだろう。その人こそがジャーナリストといえる。
    論点その二 ブロガー即ジャーナリストにあらず(森健)
    ブログをはじめとするウェブがジャーナリズムを補完する事例が見られるようになったが、ジャーナリストとは「ビジネスとして、取材、執筆、編集、撮影をしたり、ニュースを報道するなど、あらゆるニュースを指揮する職業」(米ランダムハウス)であり、そこにはコストと責任を伴う。ブロガーとは一線を画するものである。
    ジャーナリストの「それから」を論ず
    歌川令三を進行役に、論者2人による対談。主に中村の考えを詳しく聞く方向で話が進み、既存のジャーナリズムは衰退しつつあるが、ネットはまだ混沌としているという締め。
    (中村は、世論の相場と言いながら、特定の了見を押しつけようとする既存のマスメディアに強い不満があるもよう。対談は平行線のまま終わった)

    第八章 「ネット」はいいこと尽くめではない(歌川令三)
    サイバージャーナリズムはまだ定まったものではない。サイバージャーナリズムの成立をはばむものとして、ネットの監視の容易さや著作権の問題に加え、情報の偏在やそれが意思決定に与える影響、集団分極化など、ウェブの特性から来る問題がある。特に、群衆の叡知の4条件のうち、集約性はネット上には存在しないが、それを可能にする「よき仲介者」の役目を担うものが新時代のジャーリストといえるのではないか。

    第九章 「知」の共同体とジャーナリズムの「それから」(歌川令三)
    『情報社会学序説』の著者・公文俊平へのインタビュー。
    産業化社会から情報化社会へ移行中で、人々の動機づけは金から「認めてほしい」「認めさせたい」という知的欲求に変わる。その人々を「知民」と呼ぶ。知識は商品から共有物になる。情報の仲介役は「知民」が担うことになり、その対価は金銭ではなく名誉になる。
    (貴族のような印象を受けた。情報化社会に移行できる人は貴族で、できない人は平民というような階層ができる感じがした)

    あとがき

  • 市立にもあり

  • ゼミで読んだ本です。

    ジャーナリズムの定義はWEB2.0以降に変わるとかかれていて、とても共感できた。

    湯川さんの文章がずば抜けて読みやすいです。

  • WEB2.0においてブログやSNSを用いた情報発信は
    ジャーナリズムと足りえるのか!?等々
    既存のメディアの現状とこれからについて言及
    されているのは新鮮に思えた

  • コンテンツ業界における市場原理主義の波には、生半可なジャーナリズムでは立ち向かえないのだろう、と読んでみる。概念論が目立ちすぎも、ひとつひとつ自分の中で咀嚼する。これを読んだ上で金平氏の本を読むと金平氏の覚悟が大きく思える。

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