A3

著者 :
  • 集英社インターナショナル
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  • Amazon.co.jp ・本 (536ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797671650

作品紹介・あらすじ

何か変だよな。おそらく誰もがそう思っている。でも抗えない。多くの謎と副作用ばかりをこの社会に残しながら、急激に風化されつつある一連の「オウム事件」。何も解明されないまま、教祖と幹部信者たちの死刑は確定した-。麻原彰晃の足跡を、新しい視点からもう一度辿る。浮かび上がるのは、現代日本の深層。

感想・レビュー・書評

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  • メディアとポピュリズムの恐ろしさに対して最近感じることが多い中で、本当に象徴的な作品だった。
    私自身は、作者の森さんに対してすべて共感できるわけではない。
    だが、これだけ多くの信者や関係者と会い、できる限り論理的に整理した内容は、読後に様々な思いを持たせられた。

    約15~20年前の私のオウムに対する印象を振り返ってみる。
    「宗教の顔をしたテロ集団」「冷酷無比でマインドコントロールされた気持ち悪い信者」。
    まさにメディアが連日報道していた通りのイメージである。
    教祖である麻原は確実に死刑だと思ったし、それが当たり前だと感じていた。
    麻原の弁護団がなかなか控訴しなかったり、本人と接見できないといった主張を繰り広げていた報道。
    「麻原の死刑判決を引き延ばすための戦略」と私は思ったし、メディアもそういった口調で伝えていたと感じる。

    しかし、A3を通して知った事実は、「廃人となって精神が崩壊してしまった麻原」の存在だ。
    反省の色が見られないといった報道はよくされていたが、反省できない状態で基本的な人権も守られないまま、死刑が確定した。
    詐病の可能性は捨てきれないが、あくまでこの本から読みとれたことは、その可能性は低い、ということだ。

    作者はそれに対して「治療を行い、訴訟能力を取り返してから裁判を行うべきだ」といった主張をしている。
    彼が述べている状況がすべて正しいとした場合、
    憲法に則り、ロジカルに言えばそうすべきだが、ここで「ポピュリズム」の問題が出てくると思う。
    囚人の治療は民間ではなく税金から賄われるわけで、その分の時間と金がかかり、かつ、麻原の場合は、たとえ治療をしても死刑となることはほぼ免れない。
    そして、治療をしたところで、彼がペラペラと真実を話したり、改心する可能性は極めて低い。

    つまり、「投資対効果」が悪すぎるのだ。
    メディアに散々「テロ集団の悪の教祖」として取り上げられてきた麻原への治療の投資を一般人が許すと思えない。
    国の世論に対して変容する姿勢が本の中でも出てきていたが、圧倒的な反対にあう方向に国は動かないだろう。
    そして、何よりも破防法やオウム新法などの法律を作りたかった国が、そういったイメージの礎を作ってきているのだ。

    ここに、本当の恐ろしさを感じる。
    誰かの犯罪や生死にかかわる判断ですら、世の中にありふれたメディア発信のストーリーは、誰かの「利害」を通して作られているという現実である。

    しかし、一方で「シンプル」にしなければ、情報はうまく伝えられない。
    多くの情報を受け取る視聴者側は、よほど強い関心がない限り、細かい情報を受け取りきれない。
    ただ、そぎ落とされた情報の中に、実は事実として捨ててはいけないものが入っていたり、そのそぎ落とす部分が誰かの利害によって決まっていたりする。

    その歪んだ世界を、私たちはどうやって見極めていけばよいのだろうか。

    インターネットが急速に普及する中で、情報の種類は増えていき、テレビで報道できないような情報も簡単に発信できるようになってきている。
    こういったコンテキストをしっかりと整理し、多面的な観点で事実を見据え、さらに要約する。
    キュレーション的な動き方が、今後はさらに必要とされていくのかもしれない、と感じた。

  • 再読です。一読めは、とても面白かったのだけど、驚きとおぞましさが同居していて、大きな衝撃は受けながらも、どこか上滑りしたいたような気がします。そして、二度目を読み終わった今、そっか・・ここがこうなって、ああなったの・・??という、私なりの道筋が繋がり、またまた、ショックを受けているところ。地下鉄サリン事件の数日前、「防毒マスクの大量購入」という記事が載っていた、という話がもしかして全ての発端??と思うと恐くてたまらない。実は、明日、「A3」のオフ会、が東京であるので参加する予定。森さんご本人もいらっしゃるし、いろいろな人のお話を聞いてみたい。・・・と、とても楽しみにしていたのに、なんと当日の昼にあの地震が。私はもちろん、東京に着いていたのだけど、夜のオフ会は中止になりました。あんなに酷い地震だったのだから、それは仕方のないことで、今度の機会を待つことにします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    一読め


    よかった!!とてもよかった!!「A」「A2」に次ぐオウム本で、前二作とはまた違った意味で、今の日本を見直す大事な存在になりました。何がなんでも麻原吊るせ!の世論の中、(今の日本の法律と彼のやったことを踏まえれば、私も死刑は順当な帰結・・・だと思うけど)やはり、この実情はおかしい。責任能力と訴訟能力を取り違えている(故意になの???)国の恐ろしさ。誰が見てももう、まともな精神状態ではない麻原(松本と言うべきか?・・・ここではとりあえず麻原で統一します。)をなぜきちんと精神鑑定しよう、とはならないのか。常におむつを当てているのに部屋の中はそこから漏れた糞便ですさまじい有様になっているとか、面会に来た娘たちの前で自慰を始め射精までしてしまうとか、ここ何年も意味のある言葉をしゃべってないとか・・。こんな詐病ってあるもんだろうか。人は死刑を恐れるとそこまで“意志強く”病気のまねができるものなのだろうか。麻原は、地下鉄サリンやその前の松本、またその前の教団内外の殺人には関わっていた。それは自明のことなのだけど、逮捕後の多量の投薬その他により精神を病んでしまったのは、事実なのではないだろうか。弁護士も医師もまた傍聴人もそれを指摘しているのに、そもそも世の中の人はほとんどそれを知らないし、御用医師がとんでもコメントを述べたりしてまた世論を撹乱してしまっている・・。精神科の医師たちは、ちゃんと治療をすれば治る病気だと言っているし、そもそも、詐病かどうかの正式の鑑定をしてみよう、という話にならないのはなぜ???私は、なぜ、あんな酷い地下鉄サリン事件を起こしてしまったのか、本当のことが知りたい。森さんは、特異な存在感の教祖の歓心を買うべく無意識に危機感を煽ってしまった弟子たちと、大言壮語の日常だった教祖がそれに乗っかりどんどん引っ込みがつかなくなってしまった相乗効果ではないか、(なんか、上手くまとめられない。もう何度か読み返してみたい。)といったようなことを丹念な取材から想定されているけど、それにしても、麻原本人の口からきちんと経過を語ってもらい、被害者や遺族に謝罪の気持ちを持ってもらいたい、と思う。犯行時の責任能力はあったのであろう麻原だが、今現在、訴訟能力はすっかり失われている・・と思う。彼を治療し、治してから死刑へ、というのはなぜダメなのだろうか。これは、オウム真理教という一つのカルト集団とその被害者だけの問題ではなく、それを私たち一般人が何も知らないまま、徒に恐怖感を与えられ、国家権力・警察の力をいつの間にか大きなものにさせてしまったという、非常にまずい状態なのではないだろうか。

  • オウムの真相に近づいてる。テレビ報道だけでは知らないことがたくさんあった!
    ・麻原は水俣病だった可能性。逮捕前からやや精神がおかしくなっていた点
    ・世論により人権無視で国家から廃人にさせられたこと
    ・上層幹部が麻原にあれこれ情報を流したことで混乱→あらゆる殺人事件を誘発、引き起こしたこと
    ・目の見えない麻原は彼らの報告から、もうオウムを終わらせようと考え、最後の幕引きで地下鉄サリン事件に至ったこと

  • あんだけのことをしでかした張本人が廃人になっちゃいましたじゃすまないよ。

  • こんな事件でも多面的な見方があるんだと実感。逆方向から見ることは勇気と忍耐を必要とするけど事実を知りたい、知るべきだという意思でそこまで動けるのはジャーナリストの中でも数少ないだろう。

  • 麻原が精神崩壊していて、訴訟続行能力が無いのではないかという告発が著者の発したいメッセージとしては大きい。しかし、様々なオウム信者や周辺の人からのインタビューの方が面白かった。
    法治国家として、麻原死刑の強引さと、それを良しとする社会の無関心へのやるせなさを、磔刑に処されたイエス・キリストの「父よ。彼らをお許しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」という言葉を引いて語っている。
    でも、マスメディアもアンケートで集められる大衆の世論も、複雑なものを複雑なまま正しく扱えるようには出来ていない。そうでしょう?


    ポアのロジックがよく分かった。

    ・「例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ、善行をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか、悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ。
    …ただ、これは深遠で難しい。どうしても心の弱さが出ると、そこまで断定的に判断することはできないと。ただ君たちがだよ、今生で最終解脱を考えているのだったら、最も強い心の働きを持ちなさいと。だまして教化できる範囲っていうのは決まってるんだね。相手が真理と、それから真理じゃない中間状態にある場合は、だまして真理へ連れてくることができると。しかし完璧に悪業をなしていて、もう全く真理との縁がないと。この人はトランスフォームした方がいいんだ、本当は。
    そういうとある人はこう考えるかもしれないと。いや、それは完全に排他的な心の現れじゃないかと。でもそうではないんだね。排他的な心の現れではなくて、それは相手に対する愛なんだよ。」

    →悪業をなしている人をポアして輪廻転生させる事が出来るのだとして、それを外的要因で当人の気付きなく行って本当に救いになるのか?と思う。
    だまして真理に連れてくる=嘘も方便、も同じ。小乗(真実に近い悟りだけれど難しい)→大乗(難しいことが分からない人に、分かりやすい方便を使って、行いだけ正しい事をさせる。地獄or極楽で脅すのも宗派によっては方便と捉える。)→金剛乗(あまりに悪業に染まっている人は殺した方が悪業を続けない)、という訳だけれど、救われたいと思っていない人を何故救わなければならないのか?救われた方が楽だから?それが正しいから?
    もし正しいからだと言うなら、何にとって正しいのか。世界の成り立ちから見て正しいのなら、悪業と縁を持てない真理自体の正しさを疑うべきではないか。覚者である人から見て正しいなら、それはその覚者を救うであろうけれど、他の人から見ても正しいと何故言えるのか。
    そもそも殺生が悪なのは、その生きているものの道を奪うからではないのか。悪業から救うために殺生が許されるならそもそも殺生自体を悪とする論理が崩れるのではないか。殺生が悪でないなら、他人の行いの何がそれ程重い悪業だと言えるのだろうか。
    必要悪という言葉があるけど、それが成り立つのはその殺生でそれ以上の命が救える、一の悪で多の悪を止められる時だけ。それだって、是としない人はいるんだから。
    他人を救いたい、真理を知ってほしい、悟って欲しい、全部愛だね。でも、その自分だけが持っている愛と欲望はどう違うのだろう。僕はその欲望、知りたい、知ってほしい、触れたい、触れてほしいという欲望が二人の人の間で一致する、稀有な偶然を「愛」と呼ぶんだと思う。
    多分どの真理も、宗教も、神も、そう。全人類に、世界に当てはまると考えた時、では何故悪が、苦しみが存在するのかという矛盾とぶつかる。それはきっと、一つの真実では解決する事ができない。

  • 第33回講談社ノンフィクション賞受賞作。
    A5版500頁超の大作ドキュメントである。

    32もの章たてがされている内容は最初から最後まで一貫している。

    オウム真理教の引き起こした地下鉄サリン事件はとても有名な事件だ。
    しかし、私たちは麻原彰晃のことをよく知らない。
    彼が何を考え、なぜこんな事件を起こしたのかを、知らない。
    凶悪な事件であればあるほど、その「動機」は必須条件となる。
    しかし、それを私たちは知らされていない。
    なぜか。
    それは、彼を裁くべき裁判がきちんと機能しないまま終焉を迎えてしまったからだ、という。
    本書を読むまで私はその部分に疑問を感じることもなかった。
    麻原はあの、よく法廷画家が描く似顔絵の印象のままで、うっすらと笑みをたたえ、黙っているイメージがすべてだ。死刑判決が下されたときも、「当たり前だろう」と思った。
    あんなにたくさんのひとを、無差別に苦しめた宗教団体のトップなのだから、と。
    しかし、著者は言う
    「狂暴な集団だから凶悪な事件を起こしたと考えるほうが確かに楽だ。でも現実は違う」
    「世界を豊かにするのが人の善意や優しさなら、世界を壊すのもまた、人の善意や優しさなのだ。」と。
    なかなか理解に苦しむ文章かもしれない。
    「麻原に対しての刑の免除や減刑をすべきと主張するつもりはない。ただし治療すべきと主張する。」
    つまり、麻原の裁判に対して異議申し立てをしているのだ。
    訴訟能力のない麻原を裁判に出し続ける異議とは何か、真実とは何か。
    これが著者の最初から最後まで提示された主張だ。

    麻原が絞首台で何を思うかはわからないが、社会が何を思うかはわかる。
    それは「圧倒的な無関心」だ、と著者は結ぶ。

    確かに、異例なことというのは手続きが明確化されないケースが多い。
    しかし、異例だからこそ、きちんとした法律で裁かれないと、今後の裁判も無法地帯になってしまう。
    最高裁の判決が「なんとなく」では、守れるものも守られなくなってしまう。
    自分は大丈夫と思っていても、いつどこで、罪を犯してしまうかは誰にも解らない。
    その時に困るのは自分だ。
    他人事ではない、と思った。
    無関心でいていいわけがない。
    だからこその「なぜ」を、私たちも放ってはいけない。

    本書の中で私が一番着目したのは、麻原の娘たちのことである。
    麻原の子どもだから、という理由で合格した大学側から入学を拒否されたり、「宇宙の外に出て行け」と建物に落書きをされたり。
    遺族の方からしたら、麻原に、幹部にぶつけられないのであれば彼の身近な人物に、となってしまう構図はよくわかる。
    しかし、姉妹もまた被害者なのだ、という主張もわかる。
    あくまでもオウム、麻原、というのは一例に過ぎず、こうした究明されなかった真実というのはあるはずだ。
    そのときに、何を考えるかが大事なのだと思った。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      たっぷり書かれましたね!
      文庫になったから、そのうち読む予定。それまで力作レヴューは読まずにいます。。。
      たっぷり書かれましたね!
      文庫になったから、そのうち読む予定。それまで力作レヴューは読まずにいます。。。
      2013/03/27
    • katomoさん
      傑作です!
      我慢に我慢を重ねて文庫待ちしてたのに
      待ちきれなくてハードカバーで読了後
      文庫がでるという…
      ワタシあるあるの餌食となった作品で...
      傑作です!
      我慢に我慢を重ねて文庫待ちしてたのに
      待ちきれなくてハードカバーで読了後
      文庫がでるという…
      ワタシあるあるの餌食となった作品でもありますw
      2013/03/30
  • 麻原彰晃の裁判や報道についてのレポートを通して、私自身がその場の雰囲気に正常な判断力を奪われて、不本意なことをしていることがあるかもしれない、ということに改めて気づかされました。

    親鸞の例が印象的でした。親鸞は弟子に人を殺すように言いますが、弟子は当然断ります。親鸞はそこで、「殺すべき縁がないから殺さないのであって、縁があったら何人でも殺すだろう。」というようなことを言ったそうです。人を殺すのは悪いというけれど、キリスト教やイスラム教など、人を殺すことが正義だった(今も正義である)宗教だってあります。

    オウムの本を読んだのは初めてだったので、この本の内容がどれだけ正しいとかいうことはよく分かりません。でも、

    警察が、施設内に居る健康な信者をむりやり毛布でくるんで、「衰弱している」と言う。わざと信者の前で転んで「オウムがやった」と言う。人前で失禁してしまう、何年も他人と意思疎通が出来ていない人を「罪をのがれるために病気を装っている」と言う。地下鉄サリン事件が起こることを警察は分かっていた可能性がある。等・・・

    こんな重大なことを、これだけしっかりと取材していた人たちが居るのにメディアから伝わってこないというのはやっぱり異常だったのだと思いました。

    麻原彰晃にきちんと自分のしたことを話す能力があるかどうか、きちんと見極めて欲しいです。

  • 今だからこそ学び直したいオウム真理教とその周辺の事件である。結局謎は深く、分からないことは多々ある。多面性を容認し、思考停止やステレオタイプ化を否定し、断罪を否定し、罵倒を否定する。自信の後はそういう思考が可能なのかもしれない(不可能かもしれんけど)。薬害エイズも読み直す時期。

  •  この本に先立つ『A』『A2』という映画も見ました。いずれもオウム真理教のあの地下鉄サリン事件をきっかけにして,そのオウムの側から日本の現代社会を映した映像です。人権を無視する一般的な日本人の姿に唖然としました。
     本書もまた,同じような編集姿勢で書かれています。
     オウム以後,私たちの社会はどうなってしまったのでしょうか。それは私たちが望んでいた変化の方向なのでしょうか。それとも大きく方向を間違えてしまったのではないでしょうか? 
    「オウムがわるかったのだ」「あいつらだけ人殺し集団だ」と判断して,そこで停止している日本人のなんと多いことでしょう。でもあの事件をそれで終わりにすることで,私たちは,今まで以上にやばい世の中を作っているのかも知れません。
     年末の新聞の書評欄を読んで知った本です。こういう本が,もっともっとたくさんよまれることを願います。
     本書の大部分は,2005年~2007年にかけて『月刊・プレイボーイ』に連載された記事を元にしてあります。麻原彰晃たちの裁判が現在進行形で進んでいる中で書かれていった連載記事は,すごく臨場感のある作品に仕上がっています。分厚い本でしたが,一気に読んでしまいました。

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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