超訳 論語

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著者 : 安冨歩
  • ディスカヴァー・トゥエンティワン (2012年12月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784799312612

超訳 論語の感想・レビュー・書評

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  • これは、本当にスゴい!

    目から鱗がおちまくる。「論語」って、こういうことだったのか!!!
    要するに「学習する組織」と一緒じゃないか!

    誰でも知っている(と思っていた)冒頭の部分から全く違う。

    「何かを学ぶことは、危険な行為だ。なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから。しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。それが、「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。学習の悦びは、しばらく連絡もしない旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。この悦びほど、人間にとって大切なものはない。学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、「なんてくだらないヤツだ」と思ってしまいがちだ。しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」なのだ」

    という調子です。

    大推薦です!

  • 興味はあるけど、原文は読むだけでひと苦労しそう。。。
    と、腰が重い方にこそオススメの1冊。
    かなり砕けた表現になっているので論語の世界を気軽に感じ取ることができます。
    いつの間にか「小人」にならないよう定期的に読み返したい。

  • 他人を批判する暇はない
    君子は自分に能がないことを気にするが、他人が自分をわかっていないことなど気にしない

  • とても重要な本。著者は本書を「私自身が、論語から聞き取った響きをお知らせするもの」と語る。著者のフィルターを通じて、論語が「生の言葉」の形に近くなっている。だから読みやすく、私にとって、論語を考える大変大きな助けとなった。「学習」と「三年の愛」と「喜び(を感じる感覚)」がどれほど大切なものか、気づかせてくれた素晴らしい本のひとつである。

    しかし、読む上では細心の注意も必要となる。己の思考と感覚を流されないようにしないとならない。著者のフィルターを通しているがゆえに、著者の「歪み」と無理解もまた混入していると私には思えるからである。それは決して消し去ることはできないから、致し方ないし過ちでもない。

    また、孔子自身の言葉のなかにも、やはり私には響かないものがあるのだと思う。

    私は、「真理」や「進むべき道」や「本質」などを言語化しただけでほぼ誤りに陥る気がする。仕方なく言語化したとしても、囚われてはいけないし、一層危険が増すからこそ意識を手放さないようにしないといけない。そういう部分で、危うい本でもあると思えた。その刹那を無自覚に通り過ぎないように、と自戒しつつ。

  • 論語を筆者なりの視点で訳している。
    分かる部分もあるし、そうでない部分もあるが、一つの考え方として捉えたい。
    やはり長い時を超えて読み継がれているだけあり、人間の本質や求めるものは変わらないのだなぁと感じる。
    少しでも人間的なレベルが上がるようにチャレンジしていきたい。

  • 装丁が美しく、読みやすい。
    内容的にも学ぶところが多かった。

  • チェック項目28箇所。論語では「仁」ではなく、学習回路の閉じている状態を「悪」と呼ぶ、そして君子とは逆に、学習回路が閉じている者を「小人」と呼ぶ。何かを学ぶことは危険な行為だ、なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから、しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、「なんてくだらないヤツだ」と思ってしまいがちだ、しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君子」なのだ。君子は、常にありのままの自分自身でいなければいけない、言葉と心とが一致していなければいけない、だから、自分をごまかしているような人間を友としてはいけない。礼というのは、形式ではない、双方が互いに心を開き、調和のとれた関係が成り立っていることを「和」と言い、その状況でとり交わされるコミュニケーションが、必然的に礼にかなったものになっているのだ。「他人が自分を知ってくれない」なんてどうでもいいことだ、「自分で自分を知ろうとしない」ことが問題なのだ。三十歳になってようやく、学んだことを自分のものにして、自分自身の感覚を回復し、自分で立つことができるようになった。学習回路が開いた君子は、状況に応じて自分を新しくしていくことができる。何かを学んでも、それが何であるかを自分で考えなければ、学んだことにとらわれてしまう、とはいえ、何も学ばないで、自分で考えているばかりでは、堂々巡りして、知性が死んだようになってしまう。仁であることは、それ自体が美しいことだ、仁でいるなら、まっすぐな分岐なき道が、きみの前に広がっているはずだからだ。私は、仁を好む者など、見たことがない、なぜなら、仁でないものには、仁が何かわからないので、仁を求めようがないからだ。君子は「義」すなわち「何をすべきか」をまず考える、小人は「利」すなわち「何をしたら得か」をまず考える。古の人は思ったことを軽々しく言葉にしなかった、我が身のありさまがそれに追いつかないことを恥じたからた。「他人がどう感じるかは、君の身体の及ぶところではない。それを感じようとすると、君の感覚を他人に譲り渡すことになってしまう。それはとても危険なことだ」。「知っている」よりは「好む」ほうが上だ、「好む」よりは「楽しむ」ほうが上だ。自らの身体の教える道をひたすらに進もうと決意し、その道を自らの魂の力によって突き進み、次々と生じる事態の一つ一つから学んで成長し、必要となる知識や技芸を自由自在に駆使すべく身につける、これが大切だ。仁は学習過程を開くという態度のことなのだから、私が仁でありたい、と思ったなら、それはもはや仁がここにある、ということだ。勇者とは恐れない者のことだ、知者とは、惑って自らの進むべき道を見失うことのない者のことだ、仁者とは、自らの内からも、周囲の人の心からも、憂いをなくすことのできる者のことだ。「自分自身のありさまを、無意識を含めて反省し、目をそむけたくなるような事実を受け止め、自分のあり方を変える。このような家庭を経て、人々との調和によって礼を実現する。これが『克己復礼』だ。これができれば『仁』だ」。「自らの心のままに感ずるところを相手に告げて、自分が善いと考えるところに従って相手を導く。これが友だちとしてすべきことだ。しかし、そうしても聞き入れなければ、それ以上はやるべきではない。無理に自分の考えを相手に押し付けたりすると、結局は自分が傷つくことになる」。その身が正しければ、誰にも何も命令しなくとも、ものごとはうまくいく、その身が正しくなければ、何を命令しても、誰も従わない。古の学ぶ者は、自分自身のために学んだ、知識とはそういうものだ、ところが今の学ぶ者は、世のため人のために学んでいる、大変な堕落だ。他人を批判する暇はない。君子は矜持が高いが、他人と評価を争うことはせず、多くの仲間がいるが、徒党を組んだりはしない。素直な友人、道理のわかる友人、もの知りの友人は有益である、うまい話を持ってくる友人、善人だが腰抜けの友人、口達者な友人は、有害である。儀礼や音楽を楽しみとし、人の優れた点を話すのを楽しみとし、賢い友人をたくさん持つことを楽しみとするのは、有益である、好き放題の大騒ぎを楽しみとし、怠け遊ぶことを楽しみとし、酒盛りを楽しみとするのは有害だ。

  • 3月に学位授与される本学マネジメント大学院コースMBAゼミのメンバーに贈る本はこれに決定。
    危機にこそ、人間の、日本の真価が問われるのです。
    皆さまにも、お薦めします。

  • この本で論語を理解した気になってはいけないことは承知の上で、雰囲気、エッセンスを感じ取れればと。
    ブッダの言葉も読んだが、孔子先生の方が人間らしい。
    ときに、あの時こう言っていたのに…と矛盾を感じる場面もあったり。
    それはこちらの読み方のせいかも。

  • 短い一文一文に、都度考えさせられました。

    何度も繰り返し読み、しっかりと自分の中に落とし込みたい一冊です。

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危機にこそ、人間の真価がわかる。今この時代に読み直したいまったく新しい「論語」。

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