- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784800259431
感想・レビュー・書評
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日本には、小中学校時代を中心に、勉強ができることがうしろめたいという状況が存在する。学校カーストの下位になりがちで、メディアでの描かれ方は、勉強できる子は根っこが腐った嫌な奴。
勉強のできる子って、社会にとっては有益なのだから、卑下してしまう状況なんてもったいないと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ほぼ御意。よくまとまっている。
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おもしろ本かと思いきや、
真面目な社会学?教育論?な本だった。
まあまあ勉強できる子で、
とりたてて他に取り柄がないと、
サブカルチャーにはまりがちなのは
理由があったんだな。 -
タイトル通りの本。多分多くの人が感じているであろう、勉強(だけ)ができる子はこの日本で疎まれる。その事例紹介とメカニズム、勉強ができる子が人生を生きるうえでそのせいで学校での地位を落とさないようにするための対策を書いた本。
勉強ができる子に対する処遇、周りの反応、大人の反応。勉強ができる子が行うテストの点隠し。これらは自分だけでなく日本全国広く行われているということを、ここで初めて知ったという人もいるかもしれない。勉強ができる子を優遇しろとか偏差値主義に戻れだとかそういうことではなく、勉強ができることも運動ができる、絵が上手、というのと同じように個性として認められていくべきだと主張されている。
全くの同感である。勉強ができる子への冷ややかな目(特に大人。「勉強だけが人生じゃないんだぞ」と言うまでもないことをわざわざ言ってくる。)、それのみならず勉強ができる子への冷ややかな処遇への反論・批判を言おうものなら、ピントのずれた感想や批判が返ってくるというやるせなさ。これらを経験した人であれば、本著作は泣ける本ですらある。
また、勉強ができるということで嫌われないためにすること、は本当にこの人生で必要なスキル。悩んでいる人への方法伝授とも言えるがそれより、勉強できて勝ち組だと思われている人はこういう努力を人知れずしているので「貴方は頭がいいから悩みがないだろう」なんて決して本人の前で言わないでほしいというメッセージ的な意味もあるだろう。
強いて言うならば、もっと客観的なデータがあると学術論文並みに面白くなると思う。全国的に調査を行い、人数や割合も出してみたり、そのようなものも読んでみたい。だが日本においてはタブーにも近いであろうこのテーマに着目したというだけでも拍手を送りたい。 -
文字通り、日本においては勉強ができる子がスポーツができる子などと比べて卑屈にならざる得ない現状について問題提起した一冊。
逆に私立中学などに入って相対化してそこに埋没してしまう心境などは、自分の経験に照らし合わせても非常によくわかった。
反面、スポーツなど他のジャンルと比べて卑下される現状というのはおかしいわけで、そこに堂々と異を唱える著者の姿勢には非常に共感した。 -
それだけ勉強とお金というのが絶対的な価値になってるんだよね。2章の話とか、サブカル逃避の話とかはなかなか懐かしい感じがする。
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著者の出身大学はどこなのか、
検索しても分からなかった。
今後大学入試制度が大きく変わるようだが、
どうなっていくのか。
ペーパー試験で決まる方が絶対に公平だと思うのだが。 -
作者の年齢からか、現代というより昭和の頃の話が多くて、あーそうだったなぁと思いながら読みました。
勉強できる子よりスポーツができる子の方が褒められる傾向は今でも主流なんでしょうが、アメリカの映画や日本でも理系の学校はそうでもなくなってる気がします。それはステキなことだと思います。
私も学生時代は勉強してないふりとか、遊んでるふりとか必死でしてたなぁと思い出して、ちょっと笑ってしまいました。 -
ネットで見かけて読んでみた。
小中学校で勉強ができると不当に貶められて苦労した、という人は案外多いらしい。
なぜ運動ができたり、絵が上手い・歌が上手いなどの才能はポジティブに評価されるのに、成績がいいとネガティブに捉えられるのか。
その理由を、歴史的・社会的な面も含めて切り込んでいく、意欲的な本。
今まさにそれで苦労している子供たちに、どうすれば生きやすくなるか、というひとつの例も提示してある。
ツイッターの「勉強できる子あるある」に始まり、著書は「あるある本」として出したかったそうだが、それ以上に深い考察があり、面白く読めた。
「飛び級」制度を日本でも取り入れれば、勉強できる子にも、苦手な子にも解決策になるかもしれない。
胸に覚えのある人はどうぞ。当時のルサンチマンが少しは晴らせます。