なぜ、地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか (歴史新書)

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制作 : 千田 稔 
  • 洋泉社 (2015年7月8日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784800306562

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なぜ、地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか (歴史新書)の感想・レビュー・書評

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  • 日本の昭和史と古代史で一番注意しなければならないのは、どうしても現在の地形でその内容を把握しようとしてしまうことにあります。

    古代から今まで、多くの方の努力により、土地が埋め立てられたり、または気候変動の影響で地形が変わっています。これを頭に入れておかないと正確な理解がなかなかできないのですが、その時の地形を調べるのも難しくて苦労していました。

    そのせいで今まで避けていた可能性もありますが。この本では、地形・地理が歴史に影響することを踏まえた上で、多くの地図と共に古代史を解説しています。元来、地理好きの私には最高の本に出会った気分です。続編が出ることを期待しています!

    以下は気になったポイントです。

    ・最も寒冷な時期であったいまから約二万年前は、年間平均気温が現在よりも7度前後低く、高緯度地域では大きな氷河が発達した。海水面は約120メートル程度低くなっていた、大陸と繋がっていた可能性あり(p17)

    ・縄文時代前半(約6500年前)は海水面は、現在より2メートルほど高く、関東平野には海岸線が侵入しており、最深部は茨城県古河市付近、内陸部で海水産の貝殻が検出あれる貝塚が見つかる理由(p27)

    ・山内丸山の集落は、海上交通の要衝になると同時に、交易圏の中心的地位も確立させた(p31)

    ・稲作が開始されたのは、ちょうど日本列島の気候が寒冷化していた時期にあたる、このため、東日本から西日本へ人口の移動が起きた(p37)

    ・卑弥呼に授けられた「親魏倭王」の称号は、格の高いものといわれ、並び立つ称号は西の大国である、大月氏国の王に贈られた「親魏大月氏王」があるのみ(p44)

    ・三輪山の山麓一帯には、纒向遺跡があるが、初期のヤマト王権や邪馬台国と関連する場所が多く見つかる(p51)

    ・弥生時代には、北九州を中心に、銅剣・銅矛を祭祀に用いる文化圏、近畿では銅鐸、出雲は山陰地域の要地であった(p55)

    ・王宮と王墓がともに河内に存在するのは、仁徳と反正の二人のみ(p58)

    ・推古天皇が即位した当時、飛鳥の地は蘇我氏の本拠地であった(p72)
    ・塔を中心として、東・西・北の三方に金堂を配置する伽藍は、当時の朝鮮半島の寺院に倣ったもの、これが、法隆寺、現在飛鳥寺として知られている寺(p77)

    ・聖徳太子は飛鳥から離れた「斑鳩」に宮殿を建てたのは、当時の交通路を考慮するとわかる。飛鳥を流れる飛鳥川は大和川と合流して、難波江(大阪湾)へ注ぐ。竜田道と太子道の交わる辺り(p79)

    ・唐と新羅が手を組んだことで、高句麗・新羅・百済の均衡が崩れて、660年に唐と新羅により、百済が滅びる。百済復興の協力を求められて、663年の白村江の戦いがある(p81)

    ・天皇は、夫婦別居で、子は妻の実家で養育されていた。皇子は父大王の宮とは別のところで育つので、皇子居所がそのまま次の大王の居所、宮とされた。(p88)

    ・大化の改新(乙巳の変)以降は、律令制導入を通じて中央集権化へ舵を切っているので、天皇の住まう宮と、それに見合う整然と区画された京を志向した、これば藤原京(p91)

    ・風土記の編集において、国・郡・郷の名において、発音はそのままに好字(このましい漢字二字)を当てて表記するように命じた(好字二字化令)(p93)

    ・宇治橋、山崎橋、勢多橋は、東海道・中山道方面から京都へ向かうために、避けては通れない唯一の交通路である、壬申の乱・源平合戦・承久の乱・本能寺の変・大坂冬の陣等(p96)

    ・五機七道とは、当時の都(難波京・平城京・平安京)周辺を畿内5か国とし、それ以外の地域を七道をして分類したことに起因する、七道で最も重要視されたのが、山陽道、九州(西海道=大陸との外交の場)と都を結ぶ唯一の大路、外国からの客人が通る道なので(p100)

    ・東海道とは、畿内から東に伸びる太平洋沿岸(三重県から茨城県)のことをいう(p101)

    ・都に近い方が上(かみ)、東海道の場合は、相模国から海路で上総国に渡り、その後下総国に向かうのので、都に近い方が前(p101)

    ・良質の麻が成長したため、総(麻の古語)の国と呼んだ、大化の改新のちに、上総・下総の二つに分かれた(p102)

    ・流刑は中国の律令における五刑の1つで、罪の重さによって、二千里、二千五百里、三千里(1里=560メートル)、遠流は、東は常陸、西は五島列島、南は土佐、北は佐渡より遠いところとされた(p109)

    ・奈良時代において、蝦夷(東北)と対立関係にあった朝廷は、武蔵国分寺を東国における重要拠点と定めた、奈良東大寺と並ぶ規模(p110)

    ・藤原京と平城京は、大和三道によって結ばれている(p117)

    ・山陽道は地方官である国司が往復して、各地域からの税(庸・調)を運んでいたが、水路のほうが効率的であったため、駅(原則30里ごと)は10世紀後半には廃絶した(p119)

    ・琵琶湖の西岸に位置する、大津は壬申の乱の後、「古津」を呼ばれていたが、先帝の旧都で新都に接する津であるとして、遷都の際に大津と改められた、先帝とは桓武の曽祖父の天智天皇、旧都とは白村江の戦いのあとに天智が立てた大津京のこと(p129)

    ・三関とは古代、畿内周辺に置かれた三つの関所の総称、美濃国の不破関、伊勢国の鈴鹿関、越前国の愛発関をさす、東山道・東海道・北陸道の要衝であった。畿内で生じた政変が東国へ及ぶのを阻止するのが三関の最大の役割(p140)

    ・奈良時代以降は、北九州の五島列島から直接東シナ海を横断して蘇州に上陸する南回りのコースが多くなる、新羅が朝鮮半島の大部分を支配下におさめるため、北回りコースが利用できなくなったため(p151)

    ・外交使節である、遣唐使は長安で行われる元旦朝賀に参加するのが原則で、陸路の旅程も含めて逆算すると、出発は9月頃にならざるを得ない。これが遣唐使の渡航をより困難にした(p151)

    ・租庸調のうち、調は全国各地の特産品を治めさせる税、奈良に近い地域は平城京、東北地方は多賀城、九州は大宰府に納めた。それとは別に、皇室に水産物の貢進を命じられた国がった、御食国とよばれ、若狭(福井県南部)、志摩(三重県東部)、淡路である(p176)

    2016年5月4日作成

  • 縄文〜平清盛くらいまでの日本史を地図付きで解説。なぜ〇〇なのか?という形式で都や古墳等について興味深いトピックを扱っている、その数50。同じ地面上で生きてて過去どんな重大なことが起きてきたのか気になったので読んでみた。どれもサラッと答える程度で深掘りしたい人には物足りないかもしれないが、要点の図示部分は割とわかりやすいものだった。

  • 地理地形がテーマなので手に取ったが、どちらかというと古代史QA集といった内容で、地理に関わるトピックの配分が多め、といった按配だった。それはそれで1つのスタイルだが、地理と古代史の必然的な関連性をより知りたいなら、テーマを絞った本の方が良いかと思う。

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なぜ、地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか (歴史新書)の作品紹介

全50項目に地図がついてよくわかる!日本人の誕生〜平安時代まで…新しい歴史の楽しみ方。

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