女子の教養 (武士の娘だった祖母が教えてくれた)

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  • 致知出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784800910783

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  • ・武士が何より重んじたのは「誠」。「言」ったことを「成」すというこの字の成り立ちは、サムライが行動の人であることを物語る。つまり、知識は行動にあらわれなければ真の知識ではなく、また、「言行一致」と言って言葉と行いを一致させることに尽力しなければならなかった。今でも周囲から絶大な信頼を得ている人は言葉だけでなく必ず行動が伴っているはず。

    ・武士道の道徳律には儒教における8つの徳「仁(他者への愛)」「義(損得ではない人としての正しい行い)」「礼(思いやり)」「智(大自然の叡智、真理)」「信(信頼)」「忠(裏切らない)」「孝(目上の人への敬意)」「悌(弱い立場への配慮)」が取り込まれた。

    ・教養はふつう「きょうよう」と読むが、国民教育の師父と称される森信三先生が教養(=たしなみ)とは、すべての知識や技能が人間的に融かされ、生かされている状態をいうのであり、真に自分自身の体に融け込んだものをいう」と述べていた。

    ・笑顔のいい人というのは、相手を大事にする心をもっている。人を思いやることができれば、人からも大事に思ってもらえる。人を大事に思える人、大事にしてもらえる人におなり。

    ・つらいときこそ笑顔で。空元気でも、そのうちホントの元気になる。大事なのは自分から元気になるっていうこと。男女問わず、魂が揺さぶられたとき、日本人は本能的にそのことが外へ表れるのを静かに抑えようとする。日本人にとっての笑いは、逆境によって乱された心の平衡を取り戻そうとする努力をうまく隠す役目を果たしている。つまり笑いは悲しみや怒りとのバランスをとるためのものなのだ。

    ・武士道における「惻隠の情(相手を憐れむ気持ち)」は、自己抑制によって磨かれるのかもしれない。人のために流す涙は、むしろ尊ばれた。泣くことを我慢した経験があると、人の涙に対しては人一倍同情心をかられるようになる。涙が抑えようもなく流れてしまうのはよほどのことに違いないと、頭で考えるより先に心が激しく揺れ動いてしまう。

    ・大切なのは「人にどう見られるか」ではなく、「自分がどうあるべきか」を基準にすること。人にどう見られるかということに基準を置くと、人が見ていないところでの素行に配慮するのが難しくなる。素行のたしなみも自分自身の修養として身につけてこそ、何気ない瞬間に人となりとなってあらわれる。

    ・徹底して「自分はどうあるべきか」にこだわり、人には「こうあるべき」と求めないこと。なぜなら「どうあるべきか」は自分自身で決めることだから。相手も自分のあり方は自分で決めればいいわけで、そこに介入すべきではない。心ある人であればあえて言葉にせずとも、こちらの行いから何かを感じて自然と我が身のあり方にも思いを馳せることだろう。

    ・言われたことはすぐなさい。すぐ取りかかる姿勢は気持ちのよいもの。

    ・「でも」と「だって」は言わないこと。言い訳するほど品性が下がるもの。武士道は知行合一・言行一致を重んじる。言ったことを行うのは当たり前。口ではいろいろ言いながら行動が伴わない人は誰からも信頼されない。すぐに「でも」「だって」と言い訳する人は、結果的に敬遠されてしまうだろう。言い訳とは自分の言葉や行いに責任を持とうとしない、不誠実な行為。いくらうわべをよく見せていようとも、心に誠のない者は品が感じられないもの。

    ・人を責める前に、立ち止まっておのれを省みる。

    ・厳しい意見を避けるのはもったいないこと。大事なものを自分から放り出すようなもの。格好の学ぶ機会と心得る。

    ・譲ることのできる人におなり。譲ることによって一歩先に進める。人とぶつからない、争わない人になるために、常日頃から「たいていのことは譲るようにすること」を心がける。「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本」by菜根譚 世の中には譲って差し支えないことが多い。人世は多数の人とともに乗り合う渡し船のごときものである。人とともにこの世を渡るには、おだやかに意気地ばらずに、譲り得るだけは譲るべきものと思う。譲ることと負けることは違う。それどころか譲ることによって一歩先へ進める。またひとつ、徳のある人に近づくことができるということ。

    ・君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。君子は調和するが、自分の考えもなしにむやみに同調することはない。小人は考えもなしにやたら同調するが調和はしない。意見の異なる相手を否定しない。意見がちがうからといって争わない。それでいて自分の信念を曲げることもない。流されやすい世の中では、自分を見失いかねない。「和して同ぜず」は、現在こそ必要。

    ・相手を思う「やさしいうそ」。私たち日本人は相手を思うがゆえのうそを、うそと認識せずに言うこともある。

    ・文句を言ったところでどうしようもない。まわりまわって自分を不愉快にするだけ。愚痴は呑み込むに限る。愚痴なんてものは埃と同じように、つつけばきりもなく出てくるもの。やがては雪だるまの如く、はては山となって爆発するであろう。そんなものは、小さなうちに呑んでしまうに限る。はじめはにがいだろうが、呑み込むことを覚えてしまえばわけはない。「つい不満が出るのは、ほかでもない自分のことが不満なんだろう」は言い得て妙。自分自身に対して心のどこかで不満を抱き続けているからこそ、何かの拍子に誰かや何かに、それが向けられてしまうのだろう。

    ・見返りを期待しない、評価を他者に求めない。何事も褒められるためにやっているわけではない。人はいろんなことをいうもの。何を言われてもよいように受け取めたほうがいいもの。何でも楽しめる心を。何でも「面白い」と前向きに受け止められるほうが発展的になる。

    ・お金にならないことも熱心になさい。お得はその時だけのもの、徳は一生の宝もの。「損得を考えるな」「行ったことはすべて自分の力になる」「尽くすことは得ること」の延長線上には祖母の教えがあった。

    ・幸福という名の景色を抱きしめるために苦難の道が用意されているのであれば、むしろ喜んで受け入れ、難局に取り組みたいもの。必要なのは、何事にも負けない心の強さ=「克己心」。

    ・才能は誰にでも与えられているもの。それは人のために使うと光る。才能というのは、その人の持っている優れた能力のこと。人より優れているとか、勝っているとかいうことではない。才能は神様が誰にでもちゃんとお与えくださるもの。自分に才能がないなんて思うのは、神さまに失礼だから、そんなこと思ったらいけない。

    ・努力は涼しい顔でなさい。人のためになることは呼吸するように行いなさい。いかにもがんばっているという様子をひけらかすのは、周囲の者の関心をひきつけようとするみっともない行い。褒められていい気分になりたい、自分はこんなに立派なんだぞと自慢したい、名声を得たいという思いが心の中にあり、それを満足させんがために行うのはおのれのことしか考えていないことを証明しているようなもの。

    ・人が咎めようとも自分は咎めない。人が怒ろうとも自分は怒らない。怒りと私利私欲を捨ててこそ、常に心は楽になれるものだ。

  • この手の本は坂東眞理子さんの「女性の品格」以来。
    レビューを振り返ってみると、やはり★3つ。

    特に印象に残ったのは以下の文。
    「誰が見ているわけでもなくても自分のありように心を配る」
    「派手に着飾るのは野暮ったいからおよしなさい。自信がないと、かえって派手に装うようなことがあるようだね」
    「ハイ、という、こんな短い一言の中に、その人の全部が入ってるんですよ」
    「何でも肯定的に捉え、受け入れることは、女性ならではの心の強さやしなやかさに通じていく」
    「立場の弱い者に対して強く出るのは卑怯で恥ずかしいこと」
    「悪意に対して悪意を返すのは負け」
    「他人の見ていないところで、どれほど自分を慎むことができるか」
    「つい不満が出るのは、ほかでもない自分のことが不満なんだろう」

    最近、特に品性や品格というものについて考えることが多く、自分のそれに全く自信が持てなくなっていたので読んだのですが、タイミングとしてはちょうどよかったのだと思います。

    タイトルは「女子の教養」ですが、ほとんど全て男性も心がけるべき内容です。
    人として、日本人として心得ておきたいことがたくさん記されてきました。
    もちろん、著者のおばあさまがご存命だった時とは時代が違うので、全てに納得できるわけではありません。
    そういう部分については著者の自己満足感が強く出てしまっているように感じられるのがマイナスかな。

    本題とは逸れますが、国際化が進み、ジェンダーレスが叫ばれているけれど、日本人らしさ、女性らしさを持ち続けることは悪いことではありません。
    良い意味での「らしさ」を失わず、平等が実現できたら最高なんだよねぇ、と1人思うのでした。

    2021年8冊目。

著者プロフィール

1966年、東京都に生まれる。文化女子大学服飾学科を中退後、インポートアパレル会社に勤務。同業界で数回転職を繰り返したのち25歳でコピーライターに転身、大手出版社の編集プロダクションに勤務。1年弱で独立、以降フリーランスとなり現在に至る。広告企画&コピーライティング、女性誌の特集記事の取材執筆、書籍の出版プロデュースおよび編集・執筆、WEBサイトのディレクション&コピーワークなど、幅広い分野でプランナー&ライターとして活躍している。著書に、ADHDと診断されるまでの半生を綴った『ADHDとして生きる——おりこうでない私の半生』(診断と治療社、2005年)がある。妻であり一男一女の母でもある。

「2006年 『ADHD・アスペルガー症候群のある子と親のためのポジティブライフガイド』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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