『傭兵隊長』は、読むのにMP(Mind Powerの頭文字とでも)切れが心配になるタイプの文学作品でした。
結論から言えば、筆者にはとことん合わない作品でした。
文章能力には破たんなく、文学読みとしての基礎体力がある読者にとっては大変な好物である可能性を鑑みて、星三つとしました。
登場人物が何をやってるのか理解するのにMP使う。
語っている対象が主人公のこと(要は自嘲)なのか、他の登場人物についてなのか、理解するのにMP使う。
時系列を理解するのにMP使う。
第一部:依頼者を殺した贋作画家が、アトリエに死体を引きずって帰ったら、下男と鉢合わせ。大急ぎでアトリエ(地下)にひきこもり、あれこれ考えながら壁からトンネル掘り進んで脱出。
文章の8割以上は、『あれこれ考えながら』の中身。
第二部:時系列はついぞ理解できなかった。自虐と自嘲と懐古まじりの独白部分と、友人らしき人物との会話劇。
文章の8割以上は、『あれこれ考えながら』の中身。
ヴィンクレールの分裂し、贋作という行為のために失った自我(ペルソナ)探索をたどった一作なんだろうな、というところまでは理解できました。
「贋作画家以外の何者にもなれない自分に告ぐ!」
「あたしってホント、バカ」
で要約しておきます。
評者にはとことん、文学というものが合わない、と思い知らされる。MPがもったいない作品であった。
同じ傭兵隊長の銘を冠した作品なら、『ワレンシュタイン』のほうがまだ、筋書きというもののある娯楽作品である。