今求められる学力と学びとは: コンピテンシ-・ベ-スのカリキュラムの光と影 (日本標準ブックレット No. 14)

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  • 日本標準
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  • Amazon.co.jp ・本 (78ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784820805823

感想・レビュー・書評

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  • ブックレットだが分かりづらい。
    今求められている学力とはなにか。
    真正な学びとはなにか。

    学習が学校の中だけで終わらず、ほかの文脈、特に現実の文脈に転移することが重要。
    子供たちにとっての真正の学び、本物の学びとは、学問の先達である学者の思考、学問的探究も重要。

    ここが渡辺竜也さんとズレるところ。
    教科する学びは子どもにとって真正なのか?

  •  パフォーマンス評価や逆向き設計などを支える考え方を、非常にわかりやすい表現で説明をしてくる石井先生ははやり凄いです。共同的な学習の意義や、知識と思考の関係なんかの説明も分かりやすいです。
     本書の最大の主張は、コンピテンシー重視の教科教育の授業を考える際に、思考スキルなどをベースで考えるのではなく、プロジェクト学習的、目的的なものとして捉えるべきであるという点。そのためにパフォーマンス評価を生かしつつ、生徒自身が自分の学びのレリバンス(意義、有効性)を感じられるような、本物の文脈を想定した学習を設計すべきという点、の二点に集約できる気がします。
     個人的には、本書が、プロジェクト学習的な単元開発をしようとしている点、学習を目的的行為として捉えている点、学習としての評価の視点を強く持っている点、などにかなり共感した。
     一方で、教科そのものをなぜ教えるのかという点については不問になっているように感じました。各教科の存在意義などについては、踏み込んで語っていない印象を持ちます。だからこそ、石井先生の言う「真正の学習」というのが、どういう場面だと成立して、どういう場合だとそうでないのか、やや曖昧なような印象を持ちました。例えば、歴史新聞をパフォーマンス課題としてさせるレリバンスと、将来の自分が直面するかもしれない少子高齢化問題を考えさせるレリバンスとでは、質が異なっているような気がします。(そのあたりがあえて曖昧に書かれているのだろうか。)

  • 2017年?冊目「今求められる学力と学びとは―コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影 (日本標準ブックレツト) 」読了。
    流行りの方向性にちょっと待ったをかけてくれるというか、解釈を正してくれるというか、うまく表現でいないが、教育の新しい方向性を落ち着いて認識させてくれような一冊。
    (以下抜粋)
    ●「OO力」自体を直接的に教育・訓練しようとする傾向は、思考の型はめにより学習活動の形式化・空洞化を呼び込む危険性をはらみますし、教育に無限責任を負わせることにもなりかねません。また、資質・能力の重視が、アクティブで社交的であること等、特定の個性や人格を強制したり、日々の振る舞いすべてを評価・評定の対象にしたりすることにつながるなら、学校生活に不自由さや息苦しさをもたらしかねません。さらに、コミュニケーション能力など、全人的な能力であればあるほど、それは生まれ落ちた家庭の初期環境に規定される側面が強くなるため、学校教育が既存の社会的・経済的格差を拡大する傾向を助長することになりかねません。
    ●思考スキルを教えたからといって深く思考できるとは限らないし、また、自転車に自然に乗れている人が、なぜ乗れているかを意識しすぎてかえって乗れなくなるように、「思考スキルを使って考える」ということを意識させすぎると、むしろ思考することを阻害することもあります。
    ●「わかる」レベルの思考と「使える」レベルの思考の違いに関しては、ブルームの目標分類学において、問題解決という場合に、「適用」(特定の解法を使えばうまく解決できる問題)と「総合」(論文を書いたり、企画書をまとめたりと、これを使えばうまくいくという明確な解放のない課題に対して、手持ちの知識・技能を総動員して取り組まなければならない課題)の二つのレベルが分けられていることが示唆的です。「わかる」授業を大切にする従来の日本で応用問題という場合は、「適用」問題が主流だったといえます。しかし、「使える」レベルの学力を育てるには、折に触れて、「総合」問題に取り組ませることが必要です。
    ●「知っている・できる」レベルや「わかる」レベルの学力がめざされている場合は、教科の内容が目標と評価の単位となるため、内容ベースののカリキュラムでも不都合はないでしょう。これに対し、より目的意識的で複合的な「使える」レベルの学習では、課題追及の期間が長くなり、問い答えの間が長くなるため、思考プロセス自体を意識的に育てていく必要性も生じてきます。…内容のみならず知的・社会的能力もカリキュラム上で明確化する必要が生じます。逆に一時間を主な単位とする「わかる」レベルの学習で止まっているのに、思考スキルの直接的な指導を行うことは、授業の煩雑化や形式化を招く危険性があります。
    ●認知的・社会的スキルの育成は、長期的な視野で考えねばなりません。「使える」レベルの学力を育てたいからといって、毎時間の授業で「使える」レベルの学習を組織する必要はありません。…「使える」レベルの思考を試す課題は、単元末あるいは複数の単元を総括するポイントで取り組むようにするのが現実的かつ効果的です。
    ●学力・学習の質的レベルに対応した各教科の課題例(スライドP10参考)
    https://www.highedu.kyoto-u.ac.jp/…/pdf/…/20150313_Ishii.pdf
    ●知識も、新しい知識と既有知識とをつなぐ能動的な思考なくしては獲得できません。既有知識と関連付けられず納得が得られないまま与えられた知識は、定着せずすぐはげ落ちてしまいます。知識は主体によって解釈・構成されるものであって、「知識は詰め込みたくても詰め込めない」のです。
    ●やっていることの意味がまったくわからなくなったとき、わかった感・納得感がえられなくなったとき、子どもたちは勉強についていけなくなります。
    ●アクティブに活動や発言をしていることにしか思考は見いだせないのでしょうか。実は質問されて、ウッと詰まったその一瞬の間や沈黙の中に猛烈な思考が起こっていることもあるのではないでしょうか。現代を生きる子どもたちと大人たちに真に求められるのは、見た目のわかりやすさの陰で見落とされがちな見えないものの価値にも光を当てられる、想像力や思慮深さではないでしょうか。

  • 学力って何だろう。

  • コンピテンシーの育成は、豊かな学習の結果として育むべきと著者は説く。
    「無駄」を惜しむばかりに「手間」を惜しんでいては人は育たない、という言葉が印象に残った。

    結果を出すことに目がいきがちだけど、大切なのは結果にたどり着くまでの過程です。

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著者プロフィール

京都大学大学院教育学研究科准教授。

「2022年 『学習者端末活用事例付 算数教科書のわかる教え方 3・4年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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