知はいかにして「再発明」されたか

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制作 : 長谷川一 解説  冨永星 
  • 日経BP社 (2010年9月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822248253

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知はいかにして「再発明」されたかの感想・レビュー・書評

  • I・F・マクニーリーほか『知はいかにして「再発明」されたか アレクサンドリア図書館からインターネットまで』日経BP社。知が完全にパッケージ化されている現代では、そのものに興味を持つ。しかし重要なのはそのプラットフォームかも知れない。本書が概観する見取り図はその経緯を明かにする。

    本書の注目する「知の制度」は6つ。図書館(BC3C-AD5C)、修道院(1~11C)、大学(~15C)、文字の共和国(~18C)、専門分野(~19C)、実験室(1770~1970)、そしてインターネットへ--。

    プラットフォームの変遷史は目新しいものではないが、本書の細論はそのリアリティを伝えてくれる。「知の制度」が時代の変化を促し、そして消えていくのが知の歩みとすれば、固定的図式で事足れりとする臆見をうち砕く。


    専門分野と実験室の「知」は国民国家に収斂することで現代世界を生成した。勿論返す刀となり、その起爆剤としてインターネットに注目が集まる。しかし筆者は抑制的。知と枠組みに対する信仰的態度こそ慎むべきなのだろう。訳文が読みにくいのと、世界史的知見が所与の前提で進む議論も少なくないが、おすすめの一冊。

  • “知性”はどのように認識され,どのような形をとり,どのように発展させてきたか,という話.副題の通り,当時弁論によってこそ知は深まるというのが常識だった時代にどうしてアレクサンドリアの図書館ができたのか,に始まり,文書化による知の進化を解説した後,その知が修道院,大学,実験室と場所と概念を変えながら知がパラダイムシフトしていく様を語られる.
    哲学や宗教(特にキリスト教)の話がつらつらと書かれており中々理解できない部分もあるが,その概念が知の場の源泉となっているのが分かる.知と哲学・宗教は切り離せない.自然現象が知の探求対象となったのは中世であり,実験による客観視が一般化したのは19世紀とのこと.16世紀以降,手紙は回し読みされるものであり,サインが証書代わりになったという“文の共和国”の解説は,数学史や物理学史を読む上で非常に参考になる.
    副題に「インターネットまで」とあるが,結論の章で数ページ割かれているだけで相対的にボリュームは少ない.しかし知の変遷を読んだ後,今確かにパラダイムシフトが起ころうとしているのかもしれない.
    自分たちが“学問”と認識している概念は,ごく最近にできたものであり,1世紀も経たないうちに学問という概念は自分たち認識しているものとは違うものになっているかもしれない.

  • ずっと手元において、他の本を読むたびに読み返したい本。


    特に第6章「実験室」に衝撃を受けた。


    以下、第6章「実験室」からの抜粋。


    ・「客観性」は、4つの要素から成り立ちます。
     1)制御された平穏で予測可能な環境の中で、再現可能な結果が意のままに生み出されること=「実験室(ラボラトリ)」
     2)実験室で導きだれた法則は、同じ環境であれば宇宙のどこでも、100万年前も1万年後も変わらない。言い換えると、時空を超えてどこでも成り立つ。
     3)1,2の特徴があるので、基本的に「論争」は必要ない。「正しい」とされた業績は、科学者の共同体全体から「事実」として受け入れられる。
     4)実験室で導き出された法則を正しく見定める科学者の共同体を大衆は受け入れているので、3で現れた「業績」は広く世間に受け入れられる。

    ・この「客観性」は実験科学、上記の1を実現する環境が生まれてはじめて成り立ちます。
    それが、西洋で1790年ごろに成立します。
    というのは、その時点で、質量を始めとしたさまざまな要素を正確に数値で表すことが可能となり、その環境でフランスのラボラジエが、「客観性」に重きを置く実験を行い、「客観的な知識」を得る方法を確立したからです。
    ラボラジエの方法は、誰でも、いつでも、どこででも、結果を再現できます。

    ・誰でも、いつでも、どこででも、結果を再現できることで、「真理」の「神秘」は消え、科学は技術になる。

    ・でも実際には、実験室は環境を整えれば整えるほど閉鎖的。それなのに大衆が科学という「客観性」を受け入れたのはなぜか。

    ・それは、肥料や化学染料、医薬品といった「利益を生み出すもの」を、誰でも、同じ材料、同じ手順を踏めば、製造できたから。「富を生み出す」という事実は強い。

    ・「再現可能」で「客観的」、という概念は、なので1800年代以降に生まれたもの

    ・それ以前は、そもそもそういう環境がなかったので、「事実」を様々に「解釈」して、議論を戦わせることが「真理」へ近づく道。「知識」=「政治」の時代。

    ・科学者の共同体は、高い技術を習得し合う「合意の文化」で発展していった。それは、技術の未熟なものは高いものから習得する「師弟制度」を科学者の中に根付かせた。


    という具合。


    これって「パラダイム」論を、パラダイムという言葉を使わずに描いているのだけれど、重要なのは「パラダイム」論が論じられた60-70年代は「核兵器」が何よりも大きな問題で、物理偏重になっていたこと。

    それに対して、「化学」の成果、具体的には肥料・染料・薬品など、実際に富を生み出し、その富が「近代国家」の幻想を支える土台になったような業績を重要視している(と僕には読めた)点で、論理上の整合性に重点を置く従来の「パラダイム」論よりずっとすっきりしてわかりやすくなったと思う。


    さて、よく「議論」のテーマになる、
    ・「科学は死んだ」
    ・「文系」と「理系」
    ・「議論」の意義
    なんかは、ココらへんで一発で粉砕されている。


    (僕の)結論
    1.「習得可能な「技術」が問題になっている「知」なら、師弟制度が有効。「議論」の余地なし。
    2.「論争」をふっかけるのは多くの場合「政治」がらみ。めんどい。めんどいが、1800年代までそもそも「技術的な知」は地上に存在しなかった。
    3.とはいえ、こういう「客観性」が「常識」として受け入れられているのは、産業とか希望とかの「現世利益」を「科学者の共同体」が生み出すと信じられているからこそ。その「信仰」が薄れると、「科学は死んだ」となる。


    とりあえず読んだ本に追加。

  • 本著は古代ギリシアから現在までの知の制度の遍遇を辿った本である。
    著者が注目するのは「知の制度」であって、知そのものではないのがポイント。
    本著を読むと、知というものがそれ自身の正当性によって生き残るのではなくて、政治的、社会的要因によって決まると思えてしまうのは
    学問を志す人にとっては悲しい話だが…

    結論部はインターネットも含めた現代の知の体制についての考察。
    19世紀に出現した「専門分野」と「実験室」という知の制度が現在残っている知の制度である。
    実験室の制度は、その実験的性格とカウンターカルチャーが結びつき、シリコンバレーを生み出した。
    著者はインターネットが新たな知の制度というわけではなく、「実験室」の制度に大きく貢献した技術であると見ているよう。

    「いまや「知識労働者」にとって、知的な興奮が経験できるのは、学術の自由がある伝統的な避難所たる大学ではなく、
    実験室の実験主義が企業の起業家精神と出くわして絡み合った場所であることが多い。」
    というのは慧眼。
    これからは純粋な学問の府ではなく、私企業が知を生み出す場所の中心になってしまうのではないかと思うと悲しい。

  • 選書テーマ:知のあり方が変わると私たちはどう変わるのかー

    紀元前3世紀のアレクサンドリア図書館で知識を得ることとグーグルでつぃきを得ることの何がちがうのか?

    作成者:文学部文学科○年

  • 2011 8/22パワー・ブラウジング。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
    知識の社会史、の中でも知識の制度史について、西洋史を中心におき、中国・アラビア・インドを必要に応じて参照しながら扱った本。主な主張は「知が六度にわたって根本から再発明された」(図書館、修道院、大学、文字の共和国、専門分野、実験室」というもの。
    この6つが再発明の担い手である、と明言しているところは面白い。
    面白いけど、知識の社会史的な話としてはそれほど新しい発見は含まれていないようにも思う・・・つくづく6つを「再発明」と捉えてそれを中心に変遷を描いているのが特徴っちゃあ特徴って感じ。

  • 知のあり方について。今年中に。

  • 副題に在る通り時間軸を非常に広くまたその場所も図書館から教会、インターネットにいたる多様な視点で捉えていて、知が単に企業や商業目的に、あるいは時の政治的、経済的理由からそのために知的活動の自由度を落とすようなことが有ってはならないと強く感じた。個人的に宝物の書にするつもりです。翻訳者と解説者に特に敬意を払いたい。

  • 文字が発明されて以来、西洋世界において、知識が集積され発展していく「知の拠点」がどこにあったのかを追っている。2300年前のアレクサンドリア図書館から始まり、現代のインターネット検索の話まで、人類の知の来し方を大雑把につかむことができる。
    興味深かったのは、アレクサンドリア図書館が試みた世界中の本を収集しよういう行為が、今のグーグルと同じ発想ではないかということ。今グーグルでは世界中の大学や図書館と提携して、歴史上の本をすべてスキャンしようとしているが、この本の後で読んだ『グーグル秘録』のなかでラリー・ペイジが、それを思い立ったのはまさにアレクサンドリア図書館が念頭にあった、と書かれており、時空を越えた知の結びつきに感動を覚える。
    また、著者も述べているとおり、この本の中に出てくる拠点のなかで私たちに馴染みがないのは、「文字の共和国」という知識人のネットワークである。1500年から1800年まで、ヨーロッパはここが知の拠点であったとされているが、これは具体的な場所ということではない。絶対王政や長期の戦争が続くなかで身動きの取れなかった知識人や研究者たちが、主に手紙を媒体として、何百人、何千人という単位で結ばれ、情報交換したり、共同研究していたのだという。そんなネットワークが、何百年も昔にかなりの規模で存在していたと知ったのは、この本からの最大の収穫だ。
    非西洋世界(中国やインド、イスラム)で、同時代にどのような知の拠点が存在したか各章で簡単に比較されている。最終章の「実験室」以外は、非西洋世界に西洋を凌ぐような知の拠点が存在しており、「実験室」だけが「西洋以外の文明にまったく類似品のない知の制度なので」(p.288)ある。これは、現在、西洋が優位であることの証でもあるが、それがごく最近のことでしかないことも示している。
    これから先、知はどのように発展していくのか。インターネットともに、「群衆の叡智」が注目されているが、行く末を展望するうえで、この本のように来し方を振り返るのは意味があるだろうと思う。

  • 退屈な歴史モノ。

  • あるときあるひとが「あ、いまめっちゃええことおもいついた」と思い、そしてそれは事実めっちゃええことで、今までの人の暮らしを大きく変えること、だったとしても、それが人々のみんなのものになり、人々の役に立つまでにはまだ大きな隔たりがあります。

    そこで人々はどうしたか、ということ、と、その結果としての体制、制度、組織、が逆に人々のものごとに対する取り組み方にどう変化を与えてきた、というようなことがこの本では語られ、そしてぼくらはこれからどうするかな、ということを考えます。とてもおおざっぱにいうとそういう本だった気がします。

  • 読みたいが、量と堅苦しさで躊躇う。

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図書館、修道院、大学、実験室、そしてグーグル…すべては知識を組織化するために生まれた。

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