- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784822248253
感想・レビュー・書評
-
ずっと手元において、他の本を読むたびに読み返したい本。
特に第6章「実験室」に衝撃を受けた。
以下、第6章「実験室」からの抜粋。
・「客観性」は、4つの要素から成り立ちます。
1)制御された平穏で予測可能な環境の中で、再現可能な結果が意のままに生み出されること=「実験室(ラボラトリ)」
2)実験室で導きだれた法則は、同じ環境であれば宇宙のどこでも、100万年前も1万年後も変わらない。言い換えると、時空を超えてどこでも成り立つ。
3)1,2の特徴があるので、基本的に「論争」は必要ない。「正しい」とされた業績は、科学者の共同体全体から「事実」として受け入れられる。
4)実験室で導き出された法則を正しく見定める科学者の共同体を大衆は受け入れているので、3で現れた「業績」は広く世間に受け入れられる。
・この「客観性」は実験科学、上記の1を実現する環境が生まれてはじめて成り立ちます。
それが、西洋で1790年ごろに成立します。
というのは、その時点で、質量を始めとしたさまざまな要素を正確に数値で表すことが可能となり、その環境でフランスのラボラジエが、「客観性」に重きを置く実験を行い、「客観的な知識」を得る方法を確立したからです。
ラボラジエの方法は、誰でも、いつでも、どこででも、結果を再現できます。
・誰でも、いつでも、どこででも、結果を再現できることで、「真理」の「神秘」は消え、科学は技術になる。
・でも実際には、実験室は環境を整えれば整えるほど閉鎖的。それなのに大衆が科学という「客観性」を受け入れたのはなぜか。
・それは、肥料や化学染料、医薬品といった「利益を生み出すもの」を、誰でも、同じ材料、同じ手順を踏めば、製造できたから。「富を生み出す」という事実は強い。
・「再現可能」で「客観的」、という概念は、なので1800年代以降に生まれたもの
・それ以前は、そもそもそういう環境がなかったので、「事実」を様々に「解釈」して、議論を戦わせることが「真理」へ近づく道。「知識」=「政治」の時代。
・科学者の共同体は、高い技術を習得し合う「合意の文化」で発展していった。それは、技術の未熟なものは高いものから習得する「師弟制度」を科学者の中に根付かせた。
という具合。
これって「パラダイム」論を、パラダイムという言葉を使わずに描いているのだけれど、重要なのは「パラダイム」論が論じられた60-70年代は「核兵器」が何よりも大きな問題で、物理偏重になっていたこと。
それに対して、「化学」の成果、具体的には肥料・染料・薬品など、実際に富を生み出し、その富が「近代国家」の幻想を支える土台になったような業績を重要視している(と僕には読めた)点で、論理上の整合性に重点を置く従来の「パラダイム」論よりずっとすっきりしてわかりやすくなったと思う。
さて、よく「議論」のテーマになる、
・「科学は死んだ」
・「文系」と「理系」
・「議論」の意義
なんかは、ココらへんで一発で粉砕されている。
(僕の)結論
1.「習得可能な「技術」が問題になっている「知」なら、師弟制度が有効。「議論」の余地なし。
2.「論争」をふっかけるのは多くの場合「政治」がらみ。めんどい。めんどいが、1800年代までそもそも「技術的な知」は地上に存在しなかった。
3.とはいえ、こういう「客観性」が「常識」として受け入れられているのは、産業とか希望とかの「現世利益」を「科学者の共同体」が生み出すと信じられているからこそ。その「信仰」が薄れると、「科学は死んだ」となる。
とりあえず読んだ本に追加。詳細をみるコメント0件をすべて表示