ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAMAZONの隆盛

制作 : 滑川海彦 (解説) 
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822249151

作品紹介・あらすじ

世界最大のショッピングサイト、電子書籍ビジネス「Kindle」を成功させたアマゾンの戦略。

感想・レビュー・書評

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  • ジェフ・ベゾス率いるアマゾンはどうやって生まれたのか。比較されるのはスティーブ・ジョブズだろうがベゾスはジョブズほど不思議な人ではなさそうだ。ジョブズの情熱がアートと技術の交差点で飛び抜けたものを作るというのに対し、ベゾスからはそこまでの執着は感じない。もちろんアマゾンの焦点は顧客へのサービスという点に集約されるのだが。

    ベゾスの印象は非常に優秀な人、元々技術者でありながら早くから起業することを考えていたようだし、インターネット取引で書店という所に目を付け、シェアを取れば後から利益はついてくると拡大路線にひた走る。恋人をさがすのにもディールチャート(取引条件を予めリストアップしたもの)を使い、ロス・ペローの様な女性を捜したのは巧く機能しなかったようだが、インターネットの可能性に気づき同じくディールフローチャートを用いて書店を選んだのは当たった。また当初は地域は拡大せず電子取引のシェアを上げることに集中しあっという間に世界最大の書店を作り上げた。よく知られるワンクリック特許もアマゾン=ベゾスの特徴をよく表しているが、正直な所これを特許と認めるのはどうかしてる(利用者としては素晴らしいデザインだが)と思う。

    ベゾスは当初利益に焦点を当てなかったが、一方で顧客にどう見られるかと言う評判は凄く気にしている。自分たちのためには金を使わず顧客サービスに使っていると思わせることだ。また従業員も一部を除くとアマゾンで働くことに対するロイヤリティが非常に高い。時給10ドルちょっとのために推薦状3枚、論文2通にSATの点数と大学の成績証明を提出させる。そういうアマゾンカルトに入信できない人は早々に退社するらしい。

    アマゾンは調べるのには便利なのだが個人的には本屋が好きなので共存してくれればいいね。ちなみにベゾスも時間がある時は本屋を利用すると言っている。

  • ジェフベゾスとAmazon.comの物語。特許の考え方がアグレッシブ。『ある人からギフトを貰ったら配送の前に中身の通知を受け、気に入らなければギフト券に変換できる』など。変わった発想ができないとリーディングカンパニーにはなれない。

  • p18
    「業界2位の10倍になるには、実は10%だけ優れていればいいのです」―1998年、ベゾスはワシントン・ポスト紙にこう語っている。

    p20
    ランキングの話で、ベゾスがよく取り上げるのが、『エンデュアランス号漂流』(アルフレッド・ランシング著、新潮社)だ。極地探検にでかけたアーネスト・シャクルトンの船が氷盤につぶされ、最後は6ヶ月の南極大陸徒歩横断を経て29人全員が生還したサバイバルのノンフィクション物語だ。1956年に出版された本だが、1998年にアマゾンのベストセラー、トップ100に入る人気となった。

    p49
    「私は、初めて会って30分で『彼、かっこよくない?』と女性に言ってもらえるタイプではありませんから。ぼうっとしているほうで……『こういう人を探していたのよ』と言ってもらえるタイプではないのです」
    E・J・シシルニスキーというクラスメートも、学生時代はそれなりに接点があったが、ジェフ・ベゾスについて覚えているのは「優秀でやる気満々、理路整然」だけだという。

    p50
    1987年のプリンストン大学卒業記念アルバムでは、ジェフ・ベゾスの写真の隣にSF作家、レイ・ブラッドベリのなかなかに大胆で謎めいた言葉が引用されている――「宇宙はノーを突きつけてくる。それに対して我々は肉体の総力をもって反撃し、イエス!をたたきつける」
    これは、ベゾスにとって腎セオン大事な指針となった言葉だ。だからどのようなものに対してもノーという答えは拒否したし、特に職探しにおいてはおうだった。

    p51
    ジェフ・ベゾスは最初、プリンストン大学卒業後、そのままアントレプレナーになるつもりだったらしい。
    「最終的にはもう少し後回しにして、まずビジネスや世界の仕組みを勉強したほうがいいと考えたのです」
    このようにアントレプレナーになるのは早すぎると感じていたが(どういう会社を興せばいいのかもわかっていなかった)、将来的に自分の会社を持つ道を行こうとは考えていた。それなら、新興企業のほうがいい。そう考えたベゾスは、できたばかりでリスクが大きく、いろいろと大変そうなファイテルに飛び込むことに決め、マンハッタンへ移り住んだ。

    p54
    転職先はバンカース・トラストだ。ベゾスの言葉を借りれば、「コンピューターと金融の交差点で働く」企業である。ベゾスは副社長補佐として入社し、10ヶ月後には、26歳でバンカース・トラスト最年少の副社長になる。死語tはBTワールドという通信ネットワークを開発する部門の統括だ。

    p55
    「ベゾスは物事の新しい進め方やよりよい進め方にいち早く気づけます。このときも、だめな理由を探してばかりの人に対して『私はこの新しい技術を信じており、この技術を使えばどうなるのかを示してみせます』と宣言し、実際にそうしてしまいました。最終的には、否定派のまちがいだったと立証したのです。まちがった方法や不適切な方法が提案されたとき、そういう人の鼻を遠慮なくへし折る人物だと言えます。彼の議論展開は説得力抜群です。ほかの人たちがまちがっていると証明するわけで、それが摩擦を生じなかったとは言えませんが、ただ、ほかの人たちを怒らせるようなやり方でなかったことは確かです。とてもプロフェッショナルなやり方でした」

    p57
    D・E・ショーだった。コンピューターで自動化した最新の取引システムをウォールストリートに提供しようと1988年にデビッド・ショーが設立した会社だ。ショーはコロンビア大学コンピューターサイエンス学科の教授だったが、ウォールストリートに請われて株取引システムのコンピューター化を手伝い、結局、自分の会社を興してしまった人物である。

    p58
    デビッド・ショーはベゾスが親近感を抱きそうなタイプの人物だ。スタンフォードでコンピューターサイエンスの博士号を取得したあと、コロンビア大学コンピューターサイエンス学科の助教授となり、超並列スーパーコンピューターの研究に携わった。何百台ものコンピューターをつなぎ、1台の巨大コンピューターとして使うのだ。ショーが電子商取引の世界に入ったのは、教授の6倍にあたる給与と豊富な研究資金がモルガン・スタンレーから提示されたからだ。その1年半後、ショーはコンピューター取引を自前でおこなったほうがおもしろいと考え、D・E・ショーを設立する。

    p59
    ベゾスはショーが気に入ったらしい。何年もあとになるが、ショーのことを次のように表している。
    「十全に発達した左脳と十全に発達した右脳を持つひとりです。芸術的で頭脳明晰、分析能力にも優れています。あのような人と話をするのは楽しいですよ。

    ベゾスは1990年13月、26歳でD・E・ショーの副社長に就任し、その1~2年後には上級副社長に昇格する。D・E・ショーに4人しかいないマネージャーのひとりとして、ベゾスは、24人のチームを率いて新しい市場機会を探求した。
    ベゾスは、会社役員としては一風変わった人物だった。技術系でビジネスいn対しても体系的にアプローチするため、上司から変人に思われることも珍しくなかった。それでも昇進したのは、全体像を捉える力と細部にまで対応できる力があったからだ。

    p60
    「ジェフほど技術を深く理解し、戦略や戦術についてもすばらしく勘が働く人物は、ビル・ゲイツ以外、ほとんぢおないと思います」ハーシル・マイナー

    「彼を『いい人だ』と思ったことはありません。心は惹かれますが、温かい人だと思わないのです。非難するつもりは毛頭ありません。私にとって彼は火星人のような存在なのです。善意の火星人、いい火星人です」シシルニスキー

    p61
    仕事熱心な火星人では、マンハッタンでモテモテの独身男性になれないのも当たり前だろう。その状態で人生に恋愛風味をつけるため、ベゾスは「デートのプロ」になろうとした。いかにもギーク(オタク)という感じのアプローチだ。
    体系的な進め方を得意とするベゾスは、ウォールストリートの銀行が優れた投資先を見つけるときと同じ方法で優れた恋人を見つけることにした――「ディールフロー」チャートを用意したのだ。
    ディールフローとはウォールストリートの関係者が使うチャートで、案件に求める属性がリストアップされている。このチャートをあらかじめ用意しておけば、具体的な案件を前にしたときに感情で判断が曇ることなく客観的に考えられる。これをモデルにベゾスは、つきあうと決めるにあたって必要だと考えるパートナーの条件をリストアップし、「ウーマンフロー」チャートを作成したわけだ。
    「一番大事な条件は、第三世界の牢獄から私と出してくれる女性かどうかでした」
    こう表現したほうがわかってもらいやすかったとベゾスは言う。
    「私の望みは、知力に富む女性でした。でも、『知力に富む女性を探しているんだけど……』と言ってもわかってもらえません。第三世界の牢獄から私を出してくれる女性を探していると言えば、皆、ロス・ペローを頭に浮かべてくれます――頼りになる女性、です」

    p62
    「人生は短くて、知力のない人とつきあっている暇などありませんから」

    p68
    ベゾスは、スタート時はひとつの市場に集中するべきだとも考えていた。市場のニーズを把握し、それをインターネット側のニーズや能力とマッチングさせるためには範囲を絞るべきだと考えていたのだ。ひとつの市場で成功できれば、その後、他の市場についても同じようにできるはずだ。ここで問題にあるのが、どういう製品を販売するべきなのか、だ。この点を検討するため、ベゾスは、ディールフローチャートを作成することにした。候補として20種類の商品をリストアップ。どの商品がインターネットで存在感を素早く得られるのかを考えるわけだ。
    「オンラインでしかできないことはないのかと考えました。物理的な世界ではまねえきないことはないのか、と」
    こうして選ばれたのが本だったのだ。コンピューターが大好きな若者がディールフローを書いたのは、どのような基準なのだろうか。
    p69
    よく知られた製品であること
    市場が大きい
    競争が激しい
    仕入れが用意
    販売書籍のデータベース作成
    ディスカウントのチャンス
    オンラインの可能性

    p74
    1998年にレイクフォレスト大学でおこなったスピーチによると(ベゾスはレイクフォレスト大学から名誉学位を授与されている)、ベゾスはこのとき「後悔最小化理論」を思いついたらしい。年を取って人生をふり返ったとき、どちらの道を選んだほうが後悔したいのかと考えるのだ。
    「こういう考えで人生を送る人は少なくないのですが、それに『後悔最小化理論』などと名前を付けてしまうオタクはめったにいません。私くらいかもしれませんね」
    結論はこうだった。
    「1994年の半ばでウォールストリートの会社を辞め、ボーナスをもらいそこねても、80歳になったとき、それを後悔することは絶対にないと思ったのです。そういうことがあったと覚えてさえいないかもしれません。逆に、このインターネットというもの、燃えるような想いを抱いているものに身を投じなかった場合、あのときやっておけばよかったと心から後悔する可能性があると思いました。トライして失敗しても、それを後悔することがないのもわかっていました」

    p79
    ウェブビジネスとして成功しそうなアイデアをベゾスが探していた1994年春ごろ、ハーブとシェル・カファンも同じことをしていた。またこのふたりは、過去に参加したスタートアップには必要なものが欠けていたとも感じていた。カファンの言葉を紹介しよう。
    「僕らの技術系で、ビジネス能力の高い人と一緒に仕事をしなければだめだと思ったのです。なにをするにせよ、少なくとも資金調達、マーケティング、マネジメントの面で助けてもらう必要がありました」

    「ジェフはエネルギーにあふれており、きっと成功するタイプだと思いました。経歴も成功が続いていましたしね。会ってすぐ、明るい性格でユーモアのセンスもある人だと思いました。金融界にはもちろん詳しかったし。これは成功を左右するポイントだと僕は考えていました。そのあたりのスキルが経営陣に不足しているところを何カ所も経験していましたから。僕の担当部分は信用して任せてくれる、僕がベストだと思うやり方でやらせてくれるだろうとも感じました。僕にとって大事なポイントです。それになんといっても、ジェフは成功するために生まれてきた人だと感じられたのです」

    p80
    「もっと技術指向のスタートアップを転々としましたが、いずれもあまりうまく行きませんでした。だから、収益がどこから上がるのかが簡単にわかるアイデアがいいと思いました。そのとき、ジェフも僕も、アマゾンの成功はかなり小規模なものになると考えており、それもいいなと思った点です。結局、アマゾンはとても大きくなりましたけどね。

    p81
    このころベゾスは、どこで起業するのか決めていなかった。アントレプレナーの多くは当然のようにシリコンバレーへ向かうが、ベゾスはそうしなかった――ここでもディールフローチャートを作って検討したのだ。
    その結果、3つの条件が浮上する。まず、アントレプレナーやソフトウェアプログラマーが相当数いる地域でなければならない。次に、本拠地とする州は人口が少ないほうがいい。本拠地と同じ州に住んでいる人以外は、ベゾスから商品を買ったとき、売上税を払わなくていいからだ。最後の条件は、大手取次の倉庫が近くにあること。本をすばやく入手するためだ。ただし、発着便の多い空港を持つ大都市でなければならない。顧客に本をさっと届けるためだ。

    p85
    ベゾスは社名をアマゾンに変更。Aから始まるのでアルファベット順で最初のほうに並ぶし、アマゾンは世界最大の川で会社の目標も体現する名前でもあったからだ。誰でもスペルがわかるのも大きなポイントだった。
    「オンラインの場合、スペルがわからなければ目的の場所に行けません。これはとても大事な点なのですが、世の中ではあまり気にされていません」
    ただし、表記は必ず「アマゾン・ドット・コム」とし、新しいタイプの事業だとわかるようにした。いわゆる「ドット・コム」企業で初めて成功したのがアマゾンである――その後バブルがはじけ、ドット・コムがマイナスのイメージを持つようになってしまったが。

    p88
    ベゾスの家族が投資したのは、本人と同じくらいベゾスを信じていたからだ。家族が投資したのはジェフ・ベゾスに対してであってその事業に対してではない、だいたいインターネットなど聞いたこともないのだからと、母親は証言している。一方ベゾスも、スタートアップが多少なりとも成功できる確率はわずかに10%だとわかっており、自分の成功可能性も30%ほどだと考えていた。だから、出資を頼むにあたり両親にはこのような数字を示し、なくなってもいいと思うお金を出資してくれとした。アントレプレナーというのは、このくらい正直であるべきだろう。そうでなければ、失敗をおそれ、成功に必要だがリスクの高い動きができなくなってしまう。これをベゾスは
    「失敗を覚悟すると、心は軽くなるのです」
    と表現している。

    p94
    アマゾン時代、冗談として、検索ボックスなし、ナビゲーションのリンクなし、商品リストなしで、ただ、買いたい本、1冊だけがばーんと表示されれば、それが理想だよなとよく話していました。 ――グレッグ・リンデン、元アマゾン・プログラマー

    p104
    カファンによると、クレジットカード情報をオンラインで渡す恐怖をやわらげるため、注文プロセスを「優しく」するようにジェフは求めたという。
    p105
    「最後に注文を確定するまでは、取り消さないステップではないと必ず示すようにしていました。ショッピングカートに入るボタンの隣にも、『カートに入れた商品はいつでも削除できます』のような一文を書いた記憶があります」

    p129
    シリコンバレー最高といわれるベンチャーキャピタリスト、KPCBのジョン・ドーアに渡りをつけようとした。

    p138
    アマゾンでの職務に応用できる経験を持つ人間も中途採用した。マーケティングやプロジェクトマネジメント、流通、財務などの経験を持つ人間だ。バーンズ&ノーブルの元役員もいた。

    ベゾスは、最高の人材だけを雇うよう努力した。採用面接は、素粒子物理学博士号の口頭試問に引けをとらない厳しさだった。志望者は、何人もの社員と面接を重ねたうえでベゾス本人との面接に通らなければならない(ベゾスは採用担当者にも厳しく締め上げた)。ベゾスは、志望者の資質や能力をリストアップしてホワイトボードにチャートを描き、少しでも疑問に思うことがある人は容赦なくおとす。推薦状も、志望者の強みと過去に経験した最悪の失敗を記載するように求めた。面接では、「耳が不自由な人向けの車を設計するとしたらどうしますか?」など、突拍子もない質問を投げかける(鋭い回答――耳栓をして車を運転し、耳が不自由で運転するとどうなるかを体験する)。合否の検討会では、「この候補者について、すごいと思うのはどういう点か」から「ダメだと思うのはどういう点か」まで、幅広く検討した。
    「誰かを雇ったら、その人を基準に次はもっと優れた人を雇うことをジェフはモットーにしていました。そうすれば、人的資源が全体的によくなってゆくからです」
    そう、1995年に5人目の社員としてアマゾンに入社したニコラス・ラブジョイは証言している。ベゾス本人の表現は、「あのとき入社できてよかった。いまならとても入れないだろう」と入社5年後に社員が思うようにする、である。
    こういう採用方針にもかかわらず、給料は驚くほど安かった。誰もがアマゾンで働きたいと思うようになっていたからだ。

    p139
    もう一点、普通の会社になじまないタイプをベゾスは求めた。これは、カスタマーサービスのディレクター、ジェーン・スレイドが1998年、「人材紹介会社には『変人をよこしてくれ』を頼んでいます」とビジネスウィーク誌に語ったことからもわかる。書籍販売の経験を持つ者はほとんどいなかった。しかしベゾスは、仕事と関係のない分野に興味や才能を持つ人材を好んだ。小学校時代に書き取りチャンピオンだった、バロック音楽が大好き、運動が得意、登山が大好きといった人々だ。
    「長時間、一生懸命に働く場合、一緒にいて楽しいと思う人が同僚であってほしいと思うでしょう」
    とベゾスは言う。もちろん、頭もよくなければならない。就職希望者は、大学入学の共通試験、SATの点数と台が行く時代の成績を示すGPAの提出を求められた。戦略的成長担当バイスプレジデントのライアン・ソーヤーは、オックスフォードで詩を専攻するエリートだった。

    p154
    ベゾスのやり方は「競合他社より多くのイノベーションを実現し、顧客が望むものを提供する」で、実現は難しいが方針そのものはシンプルである。事業を立ち上げてしばらく経過し、経営が安定すると、企業はこういう初心を忘れることが多い。利益や株価ばかりを気にして、価格の引き上げと人員の削減が勝利への道だと考えるようになってしまう。ベゾスは、kのようなまちがいを犯さない。

    p155
    ベゾスはまもなく、CDS以外も取り扱うようになる。1997年11月、ベゾスはロンドンのアラン・ジェイに電話をかける。インターネット・ムービー・データベース(IMDb)というウェブサイトを作った人物で、そのIMDbでは、映画マニアがレビューを書き、映画やテレビ番組、俳優(現役の人も過去の人も)、トリビアなどの情報を交換していた。書籍販売で有名な米国のアントレプレナーから電話をもらうなど、ジェイは思ってもいなかった。

    p171
    1999年半ばには、旅行、金融、保険など、小売をまったく違う分野への参入に意欲を示していた。

    p177
    ドット・コム企業的だったアマゾンの経営は、損益重視で小売業らしいものに変化。不採算事業は精算し、失敗だった投資は償却する。コスト削減も推進。予算も現実的なものにすることを求めた。毎週、各部門の予算を部門長と見直す。役員に対しては、予算に具体的な売上目標とその実現時期を明記することを求める。マネージャーには、財務の入門セミナーをシアトル本社で受講させた。

    p211
    「私はいまも本の半分な書店で買っています。明日ではなく、いますぐ欲しいという場合もありますから、事務所を出て、気持ちのよい環境に身を置きたいと思うこともあります。今後どうなるのかは――いま、どうなりつつあるのいかは――リアル書店の居心地がもっとよくなる、だと思います。ソファが増える、おいしいラテが飲める、店員の質が上がるといった具合です。優れた書店は、20世紀末のいま、コミュニティセンター的な役割を果たしています。彼らは、これを強みに戦うことになるでしょう。皆が入るだけのスペースは十分にあるのです」

    p217
    ベゾスはまた、企業経営者としては珍しく、どうしたら成功するのかといった全体像だけでなく、技術の細やかな部分まで理解することができる。

    p218
    全員がベゾスの情熱に心酔しているわけではない。アマゾンでカスタマーケアを担当していたリチャード・ハワードが1998年に書いた記事、「アマゾン・ドット・カルトからの『逃亡』(How I 'escaped' from Amazon.cult)には、社員がベゾスをビジョナリーとしてあがめる様子がカルトのようだと書かれている。
    アマゾンの目標はオンラインの巨大小売店になることではなく、「世界を変える」ことだと社員がが口々に語りあっているというのだ。

    p220
    1999年12月にはタイム誌が「今年の人」にベゾスを選んだが、その記事においても、ベゾスは「病的なまでに幸福感が強く、その情熱には強い伝染力がある」とされていた。この記事を書いたジョシュア・クウィットナーは、アマゾンが掲げる6つの中核価値――「顧客最優先、オーナーシップ、行動重視、倹約、高い採用基準、イノベーション」――が書かれたたれ幕が社内のそこかしこに貼られているのを見て、アマゾンの社内文化は「文化大革命とサム・ウォルトンから生まれた子」あるいはもっと簡潔に「ドットコミュニズム」だと表現した。

    p221
    もちろん、アマゾンカルトは誰にでも受け入れられるものではなく、リチャード・ハワードなどにょうにそれが性に合わない人は早々に退職する。しかし、多くの人がベゾスの熱意は本物だと感じ、カルトを受け入れて結果を出す。だから難しい状況になっても社員は前に進むのだと、アマゾンの有名プログラマー、ペリ・ハートマンは言う。
    「彼はとても前向きです――楽観的と言ったほうがいいかもしれません。そんなことはできないと周りから言われたとき、そうなのかなと思ったら失敗すると彼は言うのです。我々はそういうものもなんとかするのだ、と。否定的な話の向こう側を見る人だと言えるでしょう。そういう問題への対処を楽しむ人なのです」

    p222
    管理職としてのベゾスが持つ強みについて、ベゾスと働いた経験のある幹部は人によってまったく違う評価をする。ベゾスは、常に「すてきな」CEOというわけではない。うまくおだててやる気を引き出すかと思えば、いらついてがみがみ叱ったりもする。全体象を見るかと思えば、あまりに細かな点にまで口を挟んでじゃまをする。奇橋であり、すばらしく頭がよく、要求が厳しい。彼のもとで働いた人のなかには、彼のことを尊敬している人がいる。粗がひどすぎると思う人もいる。ただ、長続きする会社が作れるすごいビジョナリーだという点では、全員の意見が一致しているようだ。
    アマゾンの社員第一号のシェル・カファンは、次のような電子メールを私に送ってきた。
    「ジェフが優れた経営者で、自分の会社をどこにもってゆくべきかしっかりとしたビジョンを持っていることはまちがいありません。同時に、厳しいマイクロマネージャーで、その下で仕事をするのが大変な人物でもあります。アマゾン草創期からずっと働いている社員がほとんどいないのは、こういう理由もあるからなのです。気むずかしいところもあり、大勢の前で部下をこきころすという悪い癖もあります(少なくとも私がいたことにはありました)」

  • Amazon創業者、CEOのジェフ・ベゾスの現在までの軌跡を簡潔にまとめています。

    他と比べてメディアの露出が少ない(実際は自分でコントロールしているんだけど)とされるベゾスの人物像にも迫っているが、自著でないので、想像が入ってる部分ありき。彼自身の言葉で、もう少しいろんなエピソードを交え、深く掘り下げた人物像を知りたいと感じた。

    いち早くインターネットの可能性に気づく先見性、エンジニアとしての技術開発、したたかな特許申請、買収戦略、何より彼の哲学。彼が、ゲイツ、ジョブズに並ぶ人物とされるのにも納得。

    ゲイツが『あらゆる家庭にコンピューターを』、ジョブズが『1000曲をあなたのポケットに』とうたい、ベゾスは『あらゆる人間のポケットにデパートを』『あらゆる人間のポケットに書籍棚を』を狙っているんだろうなあ。

    彼の4つの哲学『徹底的な顧客第一主義』『きちんとしたものを粘り強く発明する』『長期的に考える』『毎日が初日』もなるほどなあと感心させられる。

    加えて、彼の人生訓になっているだろう『後悔最小化理論』に基づき考え、自信を持って常に行動したいものです。

  • 2012年の作品だから、AmazonがKindleを急速に展開し始めたころ。既に本の業界は激変し、音楽業界にも大きな影響を与えていた頃。その後、AWSによりAmazonの事業はガッチリと安定し、その資金力、プラットフォームのカバレッジを活かして、ありとあらゆる領域に進出し、各業界ではDeath By Amazonなる言葉が語られるようになるに至る。
    本書は、ベゾズという人間に焦点をあてたもの。比較的裕福な環境に生まれ、若いころから理系の秀才、コンピュータ、ネットワーク技術者として頭角をあらわし、金融系の会社でその技術力を活かしたのちに、Amazonを創立する。大変な頭脳の切れ味と事業に対する執着心を持つ、まさにアントレプレナーの典型的な人。少し昔の作品ではあるが、十分に楽しめました。

  • 「業界2位の10倍になるには、10%だけ優れていればいい」
    コスパの金言

  • 最初はベゾスの生い立ちから始まりかなり眠かったが、読み終えると彼を語るには必要な事だったと思う。
    特に印象的だったのは、レビューや相乗りに対する考え方だ。悪いレビューは顧客が間違った商品を買わないように、相乗りはアマゾンが品切れしても顧客がいつでも買えるようにと、顧客第一主義に繋がっている。今まではこの目線では見れなかったから衝撃を受けた。
    またアマゾン最大の強みの物流センターも、創業時から重要視しており、R社やY社では太刀打ち出来ないわけだと納得。他のベゾスの本も読んでみよう。

  • ・「後悔最小化理論」
    歳をとって人生を振り返った時、どちらの道を選んだ方が後悔しないのかと考えること。
    ・シリコンバレーのスタートアップでは「なにができないのか」を知らない人間の方がなんとかしてしまうのでいいとよく言われる。
    ・ベゾスの哲学
    顧客第一主義
    きちんとしたものができるまで、発明・再発明を粘り強く続けること
    長期的に考える
    毎日が初日

  • 時間がなくさらっと読みました。アマゾンの話なので今だと少し古いかと思いましたが、いつ読んでも価値があるものだと思いました。

  • Amazon率いるジェフベゾスの生い立ちから、Amazonが成功するまでを書き記した一冊。

    こういう本はFacebookやグーグル、ヤマト運輸など有名な企業であれば沢山出版されているからなんら珍しいものではない。

    しかし、今回本を読んだ時には自分の状況が特別だったからか印象が異なった。

    自分の将来をノートに書き記していて、丁度1兆円の企業を創りたいと決めたのだ。

    1兆円はとてつもない額あるが、この本を読んで、ふと達成したいと感じたのだ。

    顧客志向のAmazonは自分にとって非常に勉強になるものばかりであった。こういう風にしてサービスを改善するのかと驚かされた。

    顧客志向からさまざまなサービスを作ってきたAmazonをこれからも参考にしていきたいと思った。

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