道徳感情論 (日経BPクラシックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (752ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822250003

作品紹介・あらすじ

アダム・スミス『道徳感情論』新訳である。その冒頭ーー。

 「人間というものをどれほど利己的とみなすとしても、なおその生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがあり、他人の幸福を目にする快さ以外に何も得るものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる」

スミスといえば、利己心が市場経済を動かすという『国富論』の記述が有名だが、スミスの『国富論』に先立つ主著である『道徳感情論』では、他者への「共感」が人間行動の根底に置かれる。

 本書序文を書いているノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センは、こう述べている。

 「スミスは、広くは経済のシステム、狭くは市場の機能が利己心以外の動機にいかに大きく依存するかを論じている。(中略)事実、スミスは『思慮』を『自分にとって最も役立つ徳』とみなす一方で、『他人にとってたいへん有用なのは、慈悲、正義、寛容、公共心といった資質』だと述べている。これら二点をはっきりと主張しているにもかかわらず、残念ながら現代の経済学の大半は、スミスの解釈においてどちらも正しく理解していない。」

 リーマン・ショック後の世界的な経済危機を経て、新しい資本主義を考える際の必読書といえる。

感想・レビュー・書評

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  • 他人の喜びに共感しない者は、礼節が欠けているだけかもしれないが、
    他人の苦しみや悲しみに共感しない者は、不人情として軽蔑の対象となる。
    しかしながら、相手と完全に感情が一致することはない。
    相手の苦しみや悲しみを少しでも和らげてあげたいと思えば十分である。
    誰もが胸の中に住む中立な観察者(良心)と対話しながら、自分の行動を決定している。

    多くの者は、富と権力の道を選択する。そうすれば人から注目、賞賛され、承認欲求が満たされるからである。
    しかし、ごく少数の者は、知恵を極め、徳を実践する道を選択する。
    知恵と徳の価値を知る賢い者は、世間の賞賛よりも自分自身の納得感に重きをおく。
    評価基準は、他人ではなく、自分の胸の中の観察者である。
    健康な体を持ち、借金に悩まされておらず、心にやましさがないこと。平穏な日常に楽しみを見つけて過ごすこと、それが幸福(心の平穏)。
    それ以外の基準はいらない。
    他人と比較して自分を評価する必要はない

  • 人間は、他の人のことを心に懸けずにはいられない。“経済学の父”が、『国富論』に先立って構想した、「共感」原理に基づく道徳哲学を読み解く書籍。

    私たちは、他人が悲しんでいると自分も悲しくなる。
    それは想像力の働きによって、自分の身を他人の身に置き換えて考えるからだ。想像こそが、他人を思いやる気持ちの源である。

    私たちは、友人に喜びよりも悲しみをわかってもらいたいと願う。
    不幸な人は、共感が得られたら悲嘆を引き受けてもらったと感じる。この時、相手は悲しみを分かち合ったと言える。

    私たちは自分の富を誇示し、貧しさを隠そうとする。それは、人間が悲しみよりも喜びに共感する傾向があるからだ。

    栄達を求めず、何者にも頼らず、ひたすら自由に生きる。
    そのための方法は、野心を抱かないこと、そして人々の注目を独占する支配者と自分を比べるような愚を犯さないことだ。

    人々の尊敬と賛美に値するようになるための道は、2つある。
    「富と権力を手に入れる道」と「知恵を究め、徳を実践する道」だ。そして、大多数の人間は、前者に惹きつけられる。

    生活の程度が中流~下流の人の場合、堅実な職業的能力を備え、注意深く、不正を犯さず、慎み深く振る舞えば、失敗しない。「正直は最善の処世術である」という諺の通りである。

    幸福は、心の平穏と楽しみの中にある。心が穏やかであれば、たいていのことは楽しめる。不幸に陥る大きな原因は、他者と自分の境遇を比べ、その差を過大視することにある。

    個人にとって有用な資質は「理性と理解力」「自制心」だ。この2つの資質が「思慮」という最も有用な徳を形成する。

  • アダム・スミスといえば国富論というイメージが強かったけど、本作は哲学者として人間の徳とは、なぜ他者に対して共感するのか? スコラ哲学・ギリシャ哲学とアダム・スミスの主張との共通点は?

    色々な内容を平易な文章で書かれた名作。
    哲学とか小難しい話が理解できなくても分かるのでは無いだろうか。

    もっとも大作なので読むのに苦労した。
    keywordは中立的な観察者。

  • 国富論に並ぶアダム・スミスの主著。

    「道徳感情論」と「国富論」前提となる人間観が、共感的か、エゴイスティックかということで矛盾しているみたいに言われることもあるが、「道徳感情論」の初版は、「国富論」出版前だが、「道徳感情論」の第6版は、「国富論」の出版後に出ていることから、アダム・スミスとして、この2冊には、一貫した人間観があると考えて良いはず。

    実際に読んでみると、人間の共感性を基本としているが、同時にエゴイスティックな面やしょうもないまでにセコイところ、とほほな面もしっかり観察している。

    そして、そういうしょうもなさも含めて、自然、神の大きな意思(見えざる手)のもとでは、全体としてOKなんだとおおらかに包み込む感じ。

    個人的には昔の哲学は、言葉の定義から初めて、そこから演繹的に展開していくイメージがあるが、ここはイギリス経験論の世界。日常の観察を積み上げながら、論を一つ一つ進めていく感じですね。(なので、この議論って、MECEなんだろうか?とか思ってしまう)

    親しみやすい卑近な例も多いが、時代的になんとなくピンとこないところも。

    色々な日常的なお話の積み上げだし、18世紀のイギリスと21世紀の日本の文脈の調整をする必要があるので、なかなか全体が見晴らせない。

    とりあえず全体を通読したが、まだまだ、その偉大さは見えてこない感じ。

    でも、スミスさんって、いい人だったんだろうな〜、みたいな人柄は伝わってくるな〜。

    次は、「国富論」に進め、もう一度、「道徳感情論」に戻ることとする。

  • 訳としては本書はとても読みやすかったです。

    道徳感情という、自分の中の「当たり前を言語化」しようとしている試みが面白かったです。私自身も今まで読んだ本を振り返っても、自分とのギャップを見つけて言語化することはあっても、ギャップがないものの輪郭をつかんで表すという行為はしたことも見たこともないので、その点が「さすが”見えざる手”を説いた人だ!」となりました。

    ただ、話しとしては17世紀イギリスの「当たり前を言語化」なので、退屈です。
    今の道徳感情を考えるにあたって、スミスと同じように「どんなことに共感するのか」「どんな人が立派な人か」「どんな立ち位置が中立な観察者なのか」みたいな流れで再考してみたら面白いかもしれません。

  • 何とも言えない満足感が得られる書籍でした。ただ中身が非常に濃いので(ページ数も700ページほどある)、正直最初の方の議論がほとんど頭から抜けつつあり、なんとか時間を見つけて2度目に挑戦したいと思います。

    冒頭にノーベル経済学賞受賞者でもあるアマルティア・センの序文がありますが、これだけでもお金を取れるレベルです。アダム・スミスの代表作である「道徳感情論」と「国富論」、表面的に読むと、同一人物が書いたとは思えない、あるいは互いに主張が矛盾しているという印象を持つ人は多いかもしれません。前者が「徳」「正義」「共感」などを論じているのに対して、後者はそのような感情を排した「利己心」を中心に経済メカニズムを論じているように見えるからです。しかし私自身は本書を読んで、道徳感情論こそがアダム・スミスの包括的な書であり、その中の「交換メカニズム」について詳細に分析したものが「国富論」であるという見方をしたいと思います。実は「道徳感情論」は、「国富論」に先立って執筆されましたが、その後亡くなる直前までスミスは「道徳感情論」を加筆・修正しています(日本語版も最終版をもとにしています)。つまり、アダム・スミスは若かりし頃に道徳や共感のメカニズムを本(道徳感情論)にしたけれども、宗旨替えをして利己主義が経済メカニズムの中心だ(国富論)と論じるようになったわけではないのです。むしろスミスの頭の中心には「道徳感情論」で書いたこと(あるいは書ききれなかったこと)があって、その中の極めて狭い領域について詳細に議論したのが「国富論」だと考えるべきです。

    センが指摘しているように、「道徳感情論」は「国富論」ほど注目されていませんが、その理由は、本書がカバーするテーマの包括性(幅広さ)にあるのではないかと感じました。取り上げているテーマの広さと、それぞれについて複数の説を丁寧に解説しているので、何冊もの専門書を一気に読んでいるような感じがする、つまり悪く言うとキーメッセージが頭に残らないのかもしれません(対照的に、国富論では見えざる手などのキーコンセプトが明瞭に頭に残ります)。逆に言えば本書からは、アダム・スミスの知識の恐ろしいほどの広さ、また視野の広さをうかがいしることができます。視野の広さを示す例として、本書でたびたび登場する「中立の観察者」があります。人が何か行動を行う際に、心の中にいる「中立の観察者」がそれをどう感じるか(称賛するのか、恥ずかしいことだと思うのか、やり過ぎだと思わないだろうか、など)を考えよということなのですが、センはこの概念を「開かれた中立性」と呼び、ジョン・ロールズの「公正としての正義」が論じている「閉じた中立性」よりも優れていると評価しています。

    資本主義の限界が議論されるにつれて、最近マルクスブームがまた起こっているようです。マルクス主義者がマルクスの再評価を試みる本が巷にあふれていますが、私自身ははっきりいって食傷気味です。マルクスではなく、むしろアダム・スミスこそが再評価されるべき人物である、そして「道徳感情論」の中に資本主義の進路変更の答えがあると私は思います。

  •  自分の持っている一つひとつの能力が、他人の持つ同様の能力を判断する尺度となるのである。私は、他人の見え方を自分の見え方で、聞こえ方を自分の聞こえ方で、理性を自分の理性で、怒りを自分の怒りで、愛情を自分の愛情で判断する。そのほかに判断する方法を持っていないし、持つこともできない。(p.78)

     愛という感情は、それだけでも感じる人にとって心地よいものであり、心を落ち着かせ、活力を刺激し、さらには身体の健康をも増進する。愛を注がれた人の心の中には感謝と満足が湧いてくるはずであり、それを感じればなおのこと、愛は喜ばしいものとなる。愛を注ぐ人と注がれる人は互いを思いやり、互いを幸福にする。そして互いを思いやる姿は共感を誘い、他のすべての人にとっても快いものと映るだろう。(p.125)

     喜びは気持ちのよい情念であり、どれほど小さなきっかけであっても、私たちはこの情念に身を任せようとする。だから、嫉妬や羨望に毒されていない限り、他人の喜びにすんなりと共感できる。これに対して悲しみはいたましく、自分自身の不幸に対してすら、この情念に身を委ねまいと自然に抵抗する。(p.131)

     きわめて格調高いある種の芸術や学問は、その優劣を決めるのに微妙な好みに頼らざるを得ない。だがそのような決め方は、つねにある程度は不確実である。一方、明白な証明や確実な証拠によってはっきりと優劣を決められるものも存在する。前者で優劣を競う人々が世間の評価が木にする度合いは、後者よりはるかに大きい。(p.295)

     聡明な人は、取り返しのつかない災難が自分の身に直接降りかかってきた場合でも、数カ月あるいは数年先には必ず心の平穏を取り戻せるのだということを見抜いて、初めから心に波風を立たせまいと努めるのである。(p.337)

     宗教は人間の自然な義務感を強化する。だからこそ世間は、深い宗教心を抱いているらしく見える人々の誠実さは信頼して大丈夫だと感じる。このような人々は、人間の行いを縛るさまざまな制約以外に、神からの制約も受けていると想像されるからだ。宗教心の篤い人にしても世間一般の人と同様、適切にふるまうことを心がけると同時に世間の評判を機にするだろうし、胸中の人からの称賛だけでなく他人からの称賛への顧慮が行動に影響を与えるだろう。(p.374)

     多様性は、変化のない退屈な画一性より楽しい。とりわけ、新しく現れるものが先行するものに導かれ、隣り合うもの同士は互いに自然に関係付けられているというふうにゆるやかな秩序を持った多様性は、ばらばらのものの無秩序な寄せ集めよりも好もしい。(p.431)

     思慮深い人は、自分が修得すると明言したことは何であれ、単に自分の知識をひけらかすためではなく、つねに真剣かつ熱心に学ぶ。したがってこのような人の素養は、並外れてすぐれているとは言えないにしても、例外なく本物である。思慮深い人は、巧妙な詐欺師のように悪知恵を働かせたり、学者きどりで傲慢な態度をとったり、底の浅いあつかましい偽善者のもっともらしい口上で人を欺いたりはしない。実際に持っている能力さえ、けっして誇示しない。(p.461)

     宇宙という偉大なる体系の統治、あらゆる賢慮と知性を備えた存在の普遍的幸福に対する配慮は、神の役割であって人間の役割ではない。人間に割り当てられているのははるかに些末な仕事であり、その乏しい能力や限られた理解力にふさわしい仕事、すなわり自分自身、家族、友人、祖国の幸福への配慮である。(p.508)

     現代の宗教や習慣は、大人物に自分が神だと思わせることはおろか、預言者だと思い込ませるようなこともない。だが成功は、ちがう。成功が大衆の人気を勝ち取った暁には、とりわけ偉大な人物の頭さえ狂わせ、自分が実際以上に重要で能力のある人間だと思い込ませてしまう。(p.534)

     率直に心を開く人は信頼される。人は、自分を信じてくれる人を信じ、行く先がはっきり見通せるような人に喜んでつき従う。逆に、どこへ行くつもりかはっきりしない人にはついて行きたくないもので、隠し立てをするヨソヨソしい人は信用しない。また会話や社交の楽しみは、たくさんの楽器が調子を合わせて戦慄を奏でるように、感情や意見が響き合い、精神が相和すところからも生まれる。だがこの心楽しい調和も、感情と意見の自由なやり取りがなければ生まれない。(p.701)

  • 原題:The Theory of Moral Sentiments (1759)
    著者:Adam Smith (1723-1790)
    翻訳:村井章子, 北川知子
    底本:250th Anniversary Edition(ペンギン・クラシックス 2009)

    【目次】
    アマルティア・センによる序文 [001-035]
      『道徳感情論』と『国富論』/共感と利己心/経済学と利益追求の制限/市場と他の制度の必要性/倫理、徳、結果/政治哲学と正義/中立性と中立的な観察者/利益の相互依存と中立的な観察者/中立的な観察者と地域的偏向の回避/傾向、包摂性、平等/注
    第六版序文 [037-038]
    目次 [041-049]
    凡例 [050-051]

    第1部 行為の適否について(三篇構成)
    第1篇 適否の感覚について 055
    第1章 共感について 057
    第2章 互いに共感する快さについて 067
    第3章 他人の情念が自分と一致するかしないかによって、それが適切か不適切かを判断することについて 073
    第4章 続き 079
    第5章 愛すべき徳と畏怖すべき徳について 088

    第2篇 さまざまな情念が適切とみなされる度合いについて 095
    序 章 097
    第1章 身体に起因する情念について 099
    第2章 想像の特別な性質や傾向に由来する情念について 107
    第3章 敵対的な情念について 113
    第4章 親和的な情念について 123
    第5章 利己的な情念について 127

    第3篇 順序と逆境が行為の適否の判断におよぼす影響について、また順境にあるとき方が逆境にあるときより是認を得やすい理由について 133
    第1章 悲しみへの共感は一般に喜びへの共感より鋭いが、当事者が抱く情念の激しさにはるかにおよばない 135
    第2章 野心の根源および身分の区別について 147
    第3章 富や権力をもつものを賛美し、貧しく地位の低いものを軽蔑あるいは無視する傾向に起因する道徳感情の堕落について 166


    第2部 価値と害悪、すなわち報いる対象と罰する対象について(三篇構成)
    第1篇 価値と害悪の感覚について 177
    はじめに 179
    第1章 感情の適切な対象と認められるものはすべて報いに値し、復讐心の適切な対象と認められるものはすべて罰に値すること 181
    第2章 感謝と復讐心の適切な対象について 185
    第3章 恩を施す人の行為が是認できないときには恩を受けた人の感謝に共感できず、危害を加えた人の動機が是認できるときには被害者の復讐心に共感できないこと 189
    第4章 第1~3章のまとめ 193
    第5章 価値または害悪の感覚の分析 196

    第2篇 正義と善行について 203
    第1章 二つの徳の比較 205
    第2章 正義の感覚、悔恨の感覚、価値の自覚について 214
    第3章 自然の摂理の効用について 221
    第3篇 行為の価値と害悪に関する感情に偶然がおよぼす影響について 233
    はじめに 235
    第1章 偶然が感情におよぼす原因について 239
    第2章 偶然がおよぼす影響の範囲について 246
    第3章 感情が公平の原則から逸脱する究極の原因について 261


    第3部 自分自身の感情と行動に関する判断の根拠について、および義務感について 
    第1章 自己是認の可否の原則について 271
    第2章 賞賛および賞賛に値することを欲し、非難および非難に値することをおそれることについて 278
    第3章 良心の影響と権威につて 310
    第4章 自己欺瞞の性質および徳の原則の形成と活用につて 348
    第5章 徳の原則の影響と権威について、またこの原則が神のさだめとみなされることについて 358
    第6章 義務感が行動の唯一の原動力となるべきとき、他の動機が義務感とともに働くべきときについて 375


    第4部 効用が是認の感情におよぼす影響について(一篇構成)
    第1章 人間の作ったものに見かけの効用が与える美について、またこの種の美がおよぼす広範な影響について 391
    第2章 見かけの効用が人間の性質と行動に与える美しさについて、この美しさが感じれることを是認の基本条件の一つとみなせるかどうかについて 406


    第5部 慣習と流行が是認の可否の感情におよぼす影響について(一篇構成)
    第1章 慣習と流行が美醜の感覚におよぼす影響について 421
    第2章 慣習と流行が道徳感情におよぼす影響について 433


    第6部 徳の性格について(三篇構成)
    はじめに 455
    第1篇 個人の性格のうち自己の幸福に関わる面について、すなわち思慮について 457

    第2篇 個人の性格のうち他人の幸福に関わる面について 471
    はじめに 473
    第1章 私たちが配慮と注意を払う個人に関して自然が示した序列について 475
    第2章 私たちが善行を行う社会に関して自然が示した序列について 491
    第3章 博愛について 504

    第3篇 自制について 509
    第6部の結論 554


    第7部 道徳哲学の学説について(四篇構成)
    第1篇 道徳感情の学説において検討されるべき問題について 561
    第2篇 徳の本質に関するさまざまな説明について 567
    第3篇 是認の原理に関するさまざまな説明について 653
    第4篇 徳の原則をさまざまな哲学者はどう扱ったかについて 681

    ペンギン版編注 [710-749]
    訳者あとがき(二〇一四年三月 村井章子) [751-754]

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:150//Sm5

  • しばらく枕です。

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著者プロフィール

1723~1790年。英スコットランドの社会哲学者、政治経済学者。主著に『国富論』『道徳感情論』などがある。

「2023年 『国富論(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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