超・反知性主義入門

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著者 : 小田嶋隆
  • 日経BP社 (2015年9月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822279288

超・反知性主義入門の感想・レビュー・書評

  • 日経ビジネスの連載が面白く読んでみた
    小難しく理屈っぽいとこもあるが、納得感あり。
    反知性主義というのが最後までよく分からなかったけど、まあいいか

  • ネット上でおなじみのコラムニスト・小田嶋隆による社会風刺論集。この手の本にありがちだが、どんどんよどんでいく世相に対する皮肉は言えても、「では、どうしたらいいのか?」という建設的な視点が、この本にはほぼ皆無に等しい。筆者の立ち位置は「左派リベラル」といったところだが、個人が持っている不満を筆にぶつけても世界は変わらない。世相はどんどん筆者のいうところである「露悪化」の道を辿っているのに、良心的な市民はどのように立ち向かえばいいのかという視点が見られないのは、筆者に限らず「リベラル派」の人たちに多いのはどうしてだろう。本書の一番の目玉は、ベストセラー「反知性主義 アメリカが生んだ『熱病』の正体」の著者である森本あんり(この人は「男性」なのでお間違えないよう)との対談。「日本では『憲法』が、宗教の代わりになっている」という、二人の視点は実に興味深い。そして本書の中で、筆者の意外な過去が明らかになる。

  • 小中高の同級生である森本あんり氏との対談の中で、「政治や法律で保証できるのは、有限なこの世止まり」であるから、「恒久の話」「永久の話」をする日本国憲法は、宗教の話、日本人にとって聖なる文書(293頁)であると会話していた点になるほどと思いました。

  • おもしろかった。ギャグというか、まあ、ユーモアですな。(笑)かる〜く読める、ああこういうこともまじめに勉強しなきゃな、でもとりあえずは目の前のオダジマさんの文章を楽しんどこうかな、みたいな。内田樹も村上春樹もそうだけど、なぜこの年代のこういう少女趣味(失礼)のオッサンたちがかく文章はおもしろいのだろう。読み始めた頃わたしは19才の子供だったけどいつのまにか30前のババアになってしまった。その間にこれ系の言論はもはやある種懐古的な、勢いの失われたものにはなったと思う。それでもおもしろいからかる〜く読んでしまうのだけど。もうちょっと軽くないものを読んでいるべきだけどこうして自分の居場所を振り返るのも重要かしらとも思う。

  • インターネットがなかった時代、思ったことをそのまましゃべってしまう口の軽い人間がいても、彼の軽佻な声は周囲数人の耳に届くだけで、その場で揮発していた。個人の発言が炎上する危険はほぼ皆無であった。ところが21世紀に入り、スマホに向かってつぶやいた些細な言葉が記録に残り永遠に蒸し返されることとなる。ネット上にはゲシュタポさながらの言語サークルができあがりる。マスメディアも失言をネタとした謝罪と制裁をワンセットにしたシリーズ物のレギュラープログラムに仕立て上げる流れを定着させてしまった。テレビは制裁機関へと変貌を遂げる。他人の恥辱は群衆にとって最もポピュラーなスポーツ。些細な失言で大臣が相次いで失職させられていく。群衆という残酷な架空人格により生贄を求める社会が形成されつつある。実に奇妙で嫌な空気が流れている。

  • 『斜に構えた人間は嫌みでやな奴だ。が、自分が斜に構えていることを自覚して、それを幾分反省もしている人が、私は何故か好きだ。』と本書の中で著者はいっている。私は青春時代のある時期とそれにいたる少年時代の後期、まさに斜に構えた人間だったと思う。つまり、やな奴だったと思う。加えて、3人兄弟の真ん中、それも兄と妹に挟まれて育ったせいか、人の顔色を見るのがうまいガキだった。今風にいえば、空気の読めるガキだった(これはこれできっとかわいくないガキだったと思う)。そのくせ、人と同じことをするのは嫌いだった。(だから、大洋ホエールズのファンになった)。なんで、この著者のようなものの見方が何故か好きだ。本書は2013年~2015年「日経ビジネスオンライン」の連載コラムからピックアップされたものということだが、時々のトピック的なニュースを取り上げて、著者独特の視点からコメントを述べている。すべての意見に賛成するわけではないが、ちょっと斜に構えたコメントが面白い。世の中ってやっぱりこんな風に多面的に見たり、考えたりすることが大事なんだろうねぇ。ところで、反知性主義(anti intellectualism)というのは、知性をまるごと否定することだと思っていたけど、本書によると「既存の知性」に対する反逆、知性の否定というより、「今、主流となっている、権威となっている知性や理論を壊して次へ進みたい」という、別の知性のことだという。(もっとも、反知性主義という言葉はまだバズワードらいいけど)。それなら私も反知性主義者に入門しようかしら。

  • 物事を判断する。あるいは、事件の裏に何があるのかを見極める。批評家の言っていることが的をえているのかという事を判断するといった能力を少し得た。

  • 請求記号:304/Oda
    資料ID:50081063
    配架場所:図書館1階東館 め・く~る

  • 日経BB連載中の「ア・ピース・オブ・警句」をテーマごとに編集したシリーズの最新作。
    ネットでほとんど全部リアルタイムで既読。実際その内いくつかは問題意識とともにシェアをした。でも、改めて時系列を思い出しながら読むと、謝罪会見、人質、号泣議員、高倉健さん、突然の解散
    NHK‥当時の報道の質量と政治の動きに不自然さ、怖さを感じる。
    自分自身の忘れ易さ、影響の受け易さを思い知らされた。
    2015年11月

  • 「日経ビジネスオンライン」の連載は時々読んでいておもしろいなあと思っていたが、本になったのを読むのは初めて。もうこれが5冊目らしい。
    「日経ビジネスオンライン」にこのコラムって合ってるのかなあと、「日経ビジネスオンライン」のその他の記事を読んだこともないのに思っていた。
    どのコラムも「着眼点がすごい」とか「よくぞ言ってくれた」というものばかりで、これからまた愛読していきたいと思わせる。
    いろいろ目を開かされることが多かったが、特に一つを上げると「エリートは撤退しない」というのが印象に残っている。確かにそうだなと身近な例を考えても納得する。今もう1度読み返しても、そのコラムの指摘は鋭いと思うので、ぜひエリートの人に読んでもらいたい。
    各コラムの最後に付けられている小田嶋さんの似顔絵の表情が、なんとも文章に合っていていい。どのコラムにもこの表情が当てはまっている。

  • 小田嶋さんは、文章を書くときの頭がいい。一つ一つの文章の締め方がいちいちオシャレ。さすが、コラムニストとして生きているだけある。とは言っても、けっこうついていけない部分があったりで、反知性主義章について理解が深まったかと言われると、口ごもる。半分くらい読んだところで、話題になってる『紋切型社会』に似てるなぁと思った。あれほど尖ってないけど、目の付け所とか掘り崩し方に、同じ匂いを感じた。あ、あと構成について何も説明されることなく始まったので、そこだけちょっと読みづらかった。

  • 当代きっての名コラムニストの新刊本です。
    日経ビジネスオンラインに連載しているコラム「ア・ピース・オブ・警句」から誕生した書籍は本書で5冊目。
    私は本コラムの愛読者ですので、本書に掲載されているコラムはすべて読了済みですが、国際基督教大教授の森本あんりさんとの対談が巻末に収録されているので取り寄せました。
    小田嶋さんのコラムの魅力は、やっぱりその文章の面白さ。
    もはや至芸の域だと私などは勝手に評価しているのですが、小田嶋さんのコラムを読んだ方なら頷いていただけると信じています。
    もちろん、1編1編のコラムの内容もオリジナリティにあふれ、読みごたえがあります。
    その時々のニュースや社会問題を俎上に載せていますが、凡百の書き手とは明らかに一線を画しています。
    いいね、小田嶋隆。

  •  レイシズムの横断幕を擁護している人々は、自分たちが、他者や他民族を「攻撃」をしているとは考えていない。差別をする人間は、邪悪で、残酷で、他人の苦しみを見ることで快感を得るタイプのとんでもない冷血漢だ、と、私も、大筋ではそう思っていた。しかしながら、横断幕を擁護する人たちのタイムラインを見に行って目につくのは、邪悪さよりも、むしろ、被害感情であり、義憤であったりする。つまり、彼らは、「いつもいつも的に攻撃され続けていることに堪忍袋の緒が切れただけで、本当は自分だって、こんなことは言いたくないんだ」ぐらいに思っている。(p.44)

     われわれは、世界を効率的ならしめるためにこの世に生まれたわけではないし、社会的な生産量を極大化するために活きているのでもない。順番が逆だ。むしろ、そもそもバラつきのある個々人であるわれら人間が、それぞれに違った方法と条件で、個々の快適な時間を過ごすために、社会が設計されている…というふうに考えるのが本当のはずなのだ。(p.156)

     大学というのは、そこに通ったことを生涯思い出しながら暮らす人間が、その人生を幸福に生きて行くための方法を見つけ出す場所だ。きれいごとだと言う人もいるだろう。が、われわれは、「夢」や「希望」や「きれいごと」」のためにカネを支払っている。なにも、売られて行くためにワゴンに乗りに行くわけではない。(p.165)

     勇気は、必ず一定量の蛮勇を含んでいる。そういう意味で、蛮勇だから有機ではないという言い方は不当だと思う。お国が、国民よ臆病者たれというのなら話を聞かないでもないが、蛮勇を排して勇気を持てという言い方には、耳を傾ける気持ちになれない。
    その言葉は、私の耳には、「国のために死ぬのが勇気で、自分のために死ぬのは蛮勇だ」というふうに聞こえる。私は、自分のために死ぬ所存だ。(p.195)

    ヒマラヤで登山隊のポーター(荷物運び)をつとめるシェルパ族は、休憩を取る時、「速く歩き過ぎると魂がついてこれないから」という言い訳をするのだそうだ。(p.237)

    海外旅行中にたった2号読まなかっただけで、10年も定期購読してきた漫画雑誌がたいして面白くもない紙束であったことに気づいてしまうみたいに、日常性(あるいは習慣)からの離脱は、人を別人に変えてしまう。
    東日本大震災は、そういう意味で、突然の入院とよく似た体験だったのかもしれない。
    震災以来、私たちは、それまで深く考えることなく受け容れていた日常の様々な事柄について、ひとつずつ考え直さねばならなくなった。
    それは、一方において貴重な経験である反面、とてもキツい日常の再構築でもある。(pp.259-60)

    (森本)禁酒も信仰もそうだけど、頭の中で考える青年期に出会ったものって、実はあまり信用できないことが多いね。自分が入信して実践してきた積み重ねの結果として、無意識に行動できるようになったときに、「ああ、こういうことか」と、初めて信用できるものになる。僕の言葉では「ハビット」というんですけど。
    (中略)習慣というのは生まれつきではなくて、後から手に入れるものなんだけど、でも身に付くんです。そうすると、それが第二の天性、第二の自然になるわけ。持って生まれたものじゃないんだけど、でも身に付いて、それが自分にとって自然なことになる。繰り返し反復することでそうなる。実はこれはアリストテレス以来の理解で、習慣っていうのは可能性と現実性の間にある存在論のレベルなの。日本国憲法だって、日本人が持って生まれたものじゃないかもしれないが、60年間繰り返し使っていて、僕らのハビットになっているんですよ。第二の天性になっている。身体的な存在論なの。それが僕は大事だと思うんですよね。(pp.296-7)

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