超・反知性主義入門

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  • 日経BP
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784822279288

感想・レビュー・書評

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  • 雑誌で短いコラムを目にすることはあってもまとめて読むのは初めて。口は悪いが主張は全うで、優しい。

    [more]<blockquote>P14 謝罪はむしろ、情報のやり取りを一時的に棚上げにする手続だ。理屈を外れた、どちらかといえば「話しをずらして曖昧にする」ことを目的としたコミュニケーションだ。

    P21 われわれは「いま現にそうである」ことに対して、疑いを持たないように強く動機づけられている。

    P40 クラブが、あの横断幕を即座に撤去できなかったことの罪は非常に重い。スタジアムの安全とチームの健全さを担保する最後の防衛ラインであるクラブ職員が、明らかに差別的でチームの名誉と観客の安寧を毀損している横断幕を確認していながら、試合終了まで撤去できなかったことは、寿司屋の板前が、ハエの乗った鮨をハエごと握って客に供したのと同様の取り返しのつかない失態と申し上げなければならない。

    P47 ショックを受けた人間は、あらゆる情報を貪欲に収集することで気持ちを落ち着けようとする。結果として、被害者とその周辺の人々は、ショックを受けた視聴者のエサみたいなものになる。

    P50 学校は工場ではないし、子供たちは工業製品ではない。教育の目指すゴールも、効率や均一性ではない。歩留まりでも生産速度でもない。とすればごく稀な例外のために全体のラインを見直すことは教育そのものの質的向上に寄与しない。むしろ、教育課程の恒常性を脅かして、子供たちに無用の動揺を与える。

    P53 大丈夫。命の教育は、まずまず成功している。失敗する事があるのだとしたら、それは「命より大切なもの」を教えようとする人たちが現れたときだと思う。

    P92 政治における選挙や野球にとっての甲子園のような、「登竜門」にあたる存在が、本体のあり方までゆがめてしまっている例は、他にも例えば小説にとっての文学賞など、探してみればよく似た組み合わせがいくつか見つかるはずだ。

    P97 仮に出来のいいユーモアといったものがあったのだとして、笑ってくれるのは読者のうちの2割にすぎない。半数の人間は無反応だし残りの3割は気分を害している。笑いというのはおおよそそうしたものだ。とすれば、ユーモアを発信している側の人間が、受け手の無理解を責める態度は、傲慢以外の何物でもない。

    P98 暴力とユーモアは、コインの裏表みたいな関係で、お互いを補完しあっている。同じものの別の側面と言ってもよい。

    P99  ユーモアを介さない人間がとユーモアを介する人間がいるのではなくて、ユーモアが通い合わない人間関係と、ユーモアが通じる人間関係があるだけで、ユーモアの需要は、能力やセンスよりも、関係性に依存しているということだ。


    P116 我々は、磔獄門の時代の感覚に戻りつつあるのかもしれない。会見の様子が動画としてネットにアップされることが前提となってしまっている現在『会見』は辞書に載っている意味とは別の何かになってしまっている。

    P157 政権の中枢に近いメンバーの中に、人権と人件費の区別がつけられない人々が含まれていることは、笑いごとではないのだが、かといって泣いてどうなることでもない。

    P166 大学は、そこに通った人間が、通ったことを懐かしむためにある場所だ。本人が通ったことを後悔していないのなら、その時点で採算は取れている。

    P176 そもそも「テロに屈しない」態度と「人命を第一に考える」方針は両立しない。

    P182 思春期の子供にとって、人生は半分以上物語の中の話なのだし、だとすれば、設定として非情なルールが共有されているほうがストーリーの進行が劇的になって、読者としてはわくわくするのだろうからして。しかしながらいい大人が「冷徹」一点張りなのは感心しない。【中略】われわれのようななまぬるい大人がいるからこそ、世界の平和が保たれているということを忘れてはならない。

    P195 勇気は必ず一定量の蛮勇を含んでいる。そういう意味で蛮勇だから勇気ではないという言い方は不当だと思う。

    P216 時間軸にそって考えると、高校時代は、中年期を過ぎた人間にとって、ほとんど唯一のファンタジーの供給源ということになる。実際の高校生活がどうであったにしろ「高校時代の自分」というセルフイメージが、年を取ってからの人生を支えている。これはとても大切なポイントだ。

    P289 反社会的な行動、例えば壷を売ったりメンバーが外に逃げられなくなるとカルトと呼ばれるということでしょうね、セクトってどちらかと言うと「出て行って新しく作る」ものだから。

    P294 憲法がそういう(聖句のような)存在になっている国って、実はそんなに多くない。結構セークレッドな文章で、日本人にとって宗教的な意味を持っているんですよ。</blockquote>

  • 面白い。文章が平易で上手。時として、前提を口説く述べ過ぎて読みにくいが。
    「クジラの凱歌」が大変面白かった。

  • ネットの普及のためか、世の中は建前と本音が分かれていたが、本音化が進み、露悪化している。よく考えてみると、ネットが隆盛をする前から本音をテレビで語る芸人が脚光を浴びてきたのだから、ネットだけの影響でないのかもしれない。ただ本音だけが語られると、人間の関係を保っていた建前が薄れてきて、世界の根本が揺れてくる。著者の文章は非常にまどろかしいが、そういう文章でしか、この現状を変えていく表現にしかならないのが現状なのかもしれない。

  • この人のコラムが好きなので読んで見た。

    本で読むと、途中でやや辟易してきて後半は流し読み。
    目の前の世相に対してこの人が示す鋭い視点に興味があることと、この人に効いている特定の角度のエッヂを好ましく思うかは別問題だと感じた。
    単行本は、安倍嫌いの人には過去の事例も反芻できて痛快かと。

  • 良質のエッセー集。文章は「楽しむために読む」。

  • 小中高の同級生である森本あんり氏との対談の中で、「政治や法律で保証できるのは、有限なこの世止まり」であるから、「恒久の話」「永久の話」をする日本国憲法は、宗教の話、日本人にとって聖なる文書(293頁)であると会話していた点になるほどと思いました。

  • おもしろかった。ギャグというか、まあ、ユーモアですな。(笑)かる〜く読める、ああこういうこともまじめに勉強しなきゃな、でもとりあえずは目の前のオダジマさんの文章を楽しんどこうかな、みたいな。内田樹も村上春樹もそうだけど、なぜこの年代のこういう少女趣味(失礼)のオッサンたちがかく文章はおもしろいのだろう。読み始めた頃わたしは19才の子供だったけどいつのまにか30前のババアになってしまった。その間にこれ系の言論はもはやある種懐古的な、勢いの失われたものにはなったと思う。それでもおもしろいからかる〜く読んでしまうのだけど。もうちょっと軽くないものを読んでいるべきだけどこうして自分の居場所を振り返るのも重要かしらとも思う。

  • 『斜に構えた人間は嫌みでやな奴だ。が、自分が斜に構えていることを自覚して、それを幾分反省もしている人が、私は何故か好きだ。』と本書の中で著者はいっている。私は青春時代のある時期とそれにいたる少年時代の後期、まさに斜に構えた人間だったと思う。つまり、やな奴だったと思う。加えて、3人兄弟の真ん中、それも兄と妹に挟まれて育ったせいか、人の顔色を見るのがうまいガキだった。今風にいえば、空気の読めるガキだった(これはこれできっとかわいくないガキだったと思う)。そのくせ、人と同じことをするのは嫌いだった。(だから、大洋ホエールズのファンになった)。なんで、この著者のようなものの見方が何故か好きだ。本書は2013年~2015年「日経ビジネスオンライン」の連載コラムからピックアップされたものということだが、時々のトピック的なニュースを取り上げて、著者独特の視点からコメントを述べている。すべての意見に賛成するわけではないが、ちょっと斜に構えたコメントが面白い。世の中ってやっぱりこんな風に多面的に見たり、考えたりすることが大事なんだろうねぇ。ところで、反知性主義(anti intellectualism)というのは、知性をまるごと否定することだと思っていたけど、本書によると「既存の知性」に対する反逆、知性の否定というより、「今、主流となっている、権威となっている知性や理論を壊して次へ進みたい」という、別の知性のことだという。(もっとも、反知性主義という言葉はまだバズワードらいいけど)。それなら私も反知性主義者に入門しようかしら。

  • 物事を判断する。あるいは、事件の裏に何があるのかを見極める。批評家の言っていることが的をえているのかという事を判断するといった能力を少し得た。

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著者プロフィール

1956年東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業。食品メーカー勤務などを経て、テクニカルライターの草分けとなる。国内では稀有となったコラムニストの一人。
著作は、『我が心はICにあらず』(BNN、1988年、のち光文社文庫)をはじめ、『パソコンゲーマーは眠らない』(朝日新聞社、1992年、のち文庫)、『地雷を踏む勇気』(技術評論社、2011年)、『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社、2012年)、『ポエムに万歳!』(新潮社、2014年)、『ア・ピース・オブ・警句』(日経BP社、2020年)、『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房、2020年)、『災間の唄』(サイゾー、2020年)、『小田嶋隆のコラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)など多数がある。
また共著に『人生2割がちょうどいい』(岡康道、講談社、2009年)などの他、『9条どうでしょう』(内田樹・平川克美・町山智浩共著、毎日新聞社、2006年)などがある。
2022年、はじめての小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス)を刊行、6月24日病気のため死去。

「2022年 『諦念後 男の老後の大問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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