- Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
- / ISBN・EAN: 9784823108761
作品紹介・あらすじ
母と引き離され海を渡った13万人の子供たち。英国最大のスキャンダルといわれる"児童移民"の真実をあきらかにし、幾千の家族を結びあわせた一人の女性の実話。
感想・レビュー・書評
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第二次世界大戦直後から20年程にわたり行われた、イギリスからオーストラリア等への子どもの集団移住について明らかにしたソーシャル・ワーカーの記録。
移住は政府の推奨に基づき、慈善団体等によって実施されたものだが、様々な問題を引き起こした。
問題は大きく3点。1つめはサポートもなく他国へ送られ、時には改名させられた移住児童のアイデンティティ喪失。2つめは移住が必ずしも家族の同意を得ずに行われた点。親の方は手放した子どもがイギリス国内の養子に貰われたと思っていたケースもあった。3つめは移住先の施設等の環境が劣悪だった点で、児童労働や虐待もあり、当事者にとって辛い体験となった。
著者は児童移民の相談を受け付け、公文書館での調査や関係団体への働きかけにより親探しに協力する。家族のルーツ探しという極めて個人的な問題を扱う一方で、出来事を社会に知らしめるためのPR、活動資金の調達など、社会運動という面からの記録としても生々しい。
たとえばテレビ局から児童移民のドキュメンタリー番組企画が持ち込まれた時、著者は当事者の心のケアに配慮しつつ、番組内での問題の扱われ方について慎重に調整を行う。交渉の中で、番組制作側に問合せ窓口の設置を求めるというのが新鮮だった。テレビ放映されれば一時的に問合せが殺到し、さばききれなくなることが予想される(実際そうなったらしい)。
調査の過程で度々登場する、ロンドンのセント・キャサリン館[ https://stcaths.com/ ]が印象的だった。「総合登録管理局の本部であり、系図研究家のメッカでもあり、この建物の中には二億六千万人分のイングランドとウェールズにおける出生、婚姻、死亡の記録が索引付きの八千五百の大分冊になって保存されている。(p33)」。日本で系図調査というと、どちらかというと前近代中心、郷土史、好事家の世界といったイメージが強いが、歴史的に移民の多い国ではまた異なるだろうか。
オーストラリアの白豪主義の歴史について[ https://booklog.jp/item/1/4532176794 ]で読んだことを思い出した。こうした政策をしてまで「白人のイギリス人」を増やそうとした過去があるのだと考えると、国としてのアイデンティティがイギリスに深く紐づけられていることに納得がいく。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画「オレンジと太陽」の元ネタ。海外って、英国ってやることが本当に大胆…!!
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離れ離れになったある一つの家族を再会させたい、というだけの思いで調査をしていた著者は、やがてそうとは知らず英国最大のスキャンダルの渦中に飛び込んでいくことになる。逆境に打ちのめされそうになりながらも、家族の支えと強い信念によって多くの家族を引き合わせた女性の、活動記録である。
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19世紀の終わりから1960年代まで、オーストラリアをはじめとする連邦各地にイギリスから移民として送られた児童たちがいた。
忘れられていた児童移民たちの事実を掘り起こし、世論を動かすきっかけをつくった人の手記。
ソーシャルワーカーである著者は養子に関心をもっていたこともあり、たまたま「オーストラリアへ行った子供とイギリスの親族」のことを知る。
そんなことがあるのか?→これは珍しいケースだろう→どうやら他にもたくさんいるらしい→これは国の政策だ。
離れ離れの家族を再開させるというだけのはずが、どんどんおおごとになっていく。
二つの大戦前後のイギリスには施設に入れられる子供がたくさんいた。
孤児もいないわけじゃないけれど、手元で育てる余裕がない親がいる子もいる。
帝国の植民地には白い人が足りない。じゃあ余ってる子供を送ればいいじゃない。
ということで、親の承諾どころか本人への説明すらなく世界各地に子供たちが送られた。
イギリスはずっと他国からほしいものを奪い、要らないものを押しつけてきたのか。国民でさえも。
著者は最初、聖職者による虐待にショックを受ける。善良なキリスト教徒として育ったからか。
この感覚はわかりにくい。(これはカトリック教会の性虐待が公になる前の出来事だからなおさらショックだったのかも)
信じていたものに裏切られたから余計に傷つくとか、色々の傷が一気に信仰という切り口から噴き出したということなのかな。
と思ったけれど、日本で言う教員の不祥事みたいな感じか?
虐待者を何事もなかったかのように他の教区に異動させるなど、カトリック教会ほか関係団体の無様な対応は学校の不誠実に似ている。
連れ去られた子供たちはアイデンティティがゆらぐ。つながりを断たれてしまう。
ローデシア(ジンバブエ)の話は特に、ルワンダを思い出した。
イギリスのスラムから賢い子を連れ出してエリート教育をほどこし、植民地の礎とする計画に合意して出国した子供たちの話。
彼らはアフリカで使用人を従えて王族のような暮らしを手に入れるけれど、イギリスにはもう戻れない。
イギリスでこの生活はできないし、生きるすべもない。
成功してさえも、根っこの部分をちぎられたような喪失感がある。
この悲惨な場所から連れ出してあげようという善意であっても、子供を連れ出すことは傷を作る。
カナダへの移民はオーストラリアよりも時期が古い分高齢化している。
カナダの人たちはもう親にあうには遅すぎるけれどせめて出自を知りたい。
けれどオーストラリアに間に合う人たちがいるときいて、自分よりも彼らを優先させてあげてくれという。
自分自身の「死ぬまでに」に間に合わないかもしれないのに、家族に再会できる人たちの時間の期限を思いやる。
この人たちも、決断しなきゃいけない著者もせつない。
古い記録の中にも、1940年代のオーストラリアの福祉監察官ら、子供たちの苦境を改善するよう要請するものがある。
これはつまり、当時にも児童移民のために闘った(そして敗れた)人たちがいたということだ。
その人たちは現状を何とかしたくて、できなかったけれど、その時の言葉が時を経て著者と大人になった移民の力になる。
遅すぎたけれど、無駄ではない。
今していることが今実らなくても、ずっと先で実るかもしれないというのは救いだ。
訳が古いのが気になる。最初の出版年が1997にしても古い。
ところどころ意味が違っていそうなのも気になる。「細部」が全体の意味で使われている気がするとか。
冒頭で登場したご婦人が「タイがまがっていてよ」とか言い出しそうな言葉遣いで、お嬢様育ちの老婦人かと思いきや教育機会さえ奪われた40代の児童移民だったので強烈な違和感を覚えた。
文章がちぐはぐなのは、ここで訳者が変わったんだろうな、と思ってしまう。
でも内容がいいのと、最後の訳者あとがきのまっとうさに打たれたのでマイナスというほどではない。 -
読む前は、文字も小さく2だんに分かれていたので、おえっとなったのですが、いざ読み始めると、まるで作られた物語のようにスラスラと読むことができました。
読むのが遅い中学生の私は1ヶ月かかったので、読むのが早い大人の方ならすぐに読めるでしょう。
今年母と観に行ったこの本が原作の映画「オレンジと太陽」だけでは到底伝えきれない、理解しきれない深く複雑な内容でした。
オススメします。 -
15年前にこの本が翻訳されていたが、全く気づかなかった。Oranges and Sunshine という映画(数年前のオーストラリアの映画)で、本のタイトルも映画の題名になってしまったが、翻訳はそのままであった。映画に合わせて名前を変えてもよかったと思われる。戦後のオーストラリアへのイギリスの施設の子どもの移民である。白人至上主義がイギリスなのでそれほど強くかかれていないがアジア人の移民で埋まることを恐れた政府の方針もあろう。親がいてもオーストラリアに送られ、しかも教会で虐待されるとは。
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映画を観たあとで、読みました。
一人のソーシャルワーカーが、埋もれていた「児童移民」を
人々の目の届くところに引きずり出したということに心を動かされました。
虐待や強制労働など、まったく愛情を受けず、
だれにも頼ることができない状況の中で、
子どもが育つことがどんなに危険かも、著者は訴えています。
日本の今の状況と重ね合わせて、いろいろ考えさせられました。 -
だいぶ前に予約して、順番待ちをしてた本。どこかの図書館からの相貸になるんやろと思って旧版をリクエストしたら、この新しい版が購入されるので、それを待つのでいいかと訊かれて、ハイハイと待っていた。後ろにもまだ予約待ちの人がいて、これも早めに読む。
さて読もうかとぱらっと開くと、けっこう小さい字の2段組で(読めるかなー)と思った。が、結局一晩で読んでしまった。読みながら、なにかに似てる、なにかに似てる…なんやったっけと思っていた。読み終わってから、『サラの鍵』に似てるんやと気づく。
この本で明らかにされていく英国からの児童移民は、英国にとっても、子どもたちの大規模な受け入れ国の一つであったオーストラリアにとっても、「恥ずべき秘密」であって、歴史的事実としては闇の中にあった。その一端を偶然に知ったソーシャルワーカーの著者が、一人また一人と児童移民として根こぎにされた子どもと出会い、そのルーツ探しに尽くしてきた中で調べたこと、知りえた事実を記録したのがこの本。
「子どもだけの移民」は、すでにできあがった大人を送りだし、受け入れるよりは容易だと考えられた。英国から送り出された子どもたちは、政府とさまざまな慈善団体によって、オーストラリアのほか、カナダ、ニュージーランド、ローデシアなどへ送られている。
著者のマーガレットは、自分と同年生まれの児童移民・デズモンドを知ったときに、この偶然は非常に意味深いことだと考える。
▼私たちは同じ年に生を受け、同じ歌を聞き、同じ踊りを楽しみ、同じ映画を見た。それなのに私たちの人生はまったく違うものになっつぃまった。この事実から、もしかしたら私や私の級友の誰かがあの船に乗ってオーストラリアに行っていたかもしれないということを私は悟った。ちょっとした環境の変化で、私たちの誰にでも起こりうることであったのだ。
児童移民たちは必ずしも貧しい、家庭環境に恵まれない労働者階級の子供ではなかった。彼らは社会のあらゆる部分、人生の多様な道筋から出て来ている。彼らがすべて貧困で家族から見捨てられた子供たちであると考えるのは間違いである。このような神話は、「孤児」というラベルが額面通り受け取れないのと同様に、あばかれる必要がある。(p.251)
児童移民として送られた子どもは「孤児」と呼ばれ、救援されるべき存在に仕立てられ、生まれた国や親から切り離された。実際、多くの子どもは「おまえは孤児だ」と言い聞かされ、親は死んだと思い込まされていた。親の側も、子どもは養子として受け入れられたと言われ、子どもを取り戻すことは、子どもの幸せを破ることだとさえ言われた。
だが、そうして送られた子どもたちは、養子として家庭に迎えられることはほとんどなく、施設に収容されている。そこで、暴力や性的虐待にあった子どもも少なくなかった。なぜ自分はここにいるのか、なぜ自分は慣れ親しんだ環境から切り離されて、送られなければならなかったのか、そして、なぜこんな目にあうのか。そもそも自分は誰なのか。
移民記録のずさんさのために、ルーツ探しは困難をきわめた。記録が不完全だからとオーストラリアで新しい名前と生年月日を与えられた子どももいた。児童移民の家族を見つけようと苦闘するうち、マーガレットは「子供の足跡をおおい隠し、親や親戚の目を届きにくくするために故意に書き換えられた情報もあるのではないか」(p.352)と考え始める。
訳者があとがきに書いている。「国家が、あるいは社会がなんらかの理由で犠牲にしてしまった一個人の人権を回復するとは、どのようなことなのか、マーガレット・ハンフリーズ氏と児童移民トラストの活動は、私たちにさまざまなヒントを提供してくれると思う。」(pp.369-370)
この本には、自分が何者かを探しもとめ、親に会いたいと願ってきた子どもの心のさけびと、マーガレットたちの尽力で、一つまた一つと自分につながるものを手にしたときの思いが、手紙やインタビューで収められている。それらを読むと、こんなことがあったのかという思いと、似たようなことはいくらもあるという思いで、胸がしめつけられる。
とりわけ、児童移民のひとり、ジェフリー・グレイが、なぜ今まで声をあげなかったのかと何回も何回も人に尋ねられたというのが、つらい。ジェフリーはこう続ける。「その理由を言いましょう。ぼくたちには働きかける相手がいなかったのですよ。誰もぼくたちに居てほしいと思っていなかったのだから。ぼくたちが働きかけることができたのは、マーガレット・ハンフリーズだけでした。」(p.365)
国家や社会が、組織的に「なかったこと」にしようとする力に対して、個人ができることは小さい。マーガレットたちが取り組んだ仕事は、個人や小さな民間団体で対応できるようなものではなかった。けれど、その小さな力がなしえた仕事を知ると、あきらめずにやれることがあるとも思える。
※映画「オレンジと太陽」の原作本だった、というのを思い出した(私は映画は見ていない)。
(9/18了) -
イギリスからオーストラリア、ニュージーランド、カナダへと孤児院に入れられていた少年少女が誰への確認もなく、移住させられてた事実。それに、イギリスでソーシャルワーカーとして著者があるクライアントの話をきっかけに巻き込まれ、さらに多くの患者に出会い、その一人一人のケースを解決していこうとする話。
著者の献身的な活動に、心から感動してしまう。本の内容にも一気に引き込まれる。
オーストラリアに滞在したことがあるが、このような歴史もあったことを全く知らなかった。
ただ、最後の訳者あとがきで、日本にも残留孤児問題等があることが触れられており、このような話が他国で起こった他人事では決してないことを最後に痛感させられ、単に驚き読み進めていただけだった自分を恥ずかしく思った。