- Amazon.co.jp ・本 (482ページ)
- / ISBN・EAN: 9784826901765
作品紹介・あらすじ
なぜ人間にだけ道徳が生まれたのか?気鋭の進化人類学者が進化論、動物行動学、文化人類学、考古学、霊長類のフィールドワーク、狩猟採集民族の民族誌などの知見を駆使して人類最大の謎に迫り、エレガントで斬新な新理論を提唱する。
感想・レビュー・書評
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かなり専門的な内容で難しい部分もあったけど、全体的には面白く読めた。
本の中で描かれている大きなテーマは、「なぜ人は利他行動を行うようになったのか?」ということ。本来生物というのは、"自分が生き残る"ことを最重要命題に置くはずだけど、人は時に自分の適応度を下げてまで他者のために何かしようとする。
この人間独特の寛大さ・道徳性に溢れた行動はどこからきているのか、またなぜ頻繁に行われるのか?私は大学受験のために生物を少し齧った程度だけど、それでもこの疑問には共感したので、序盤から一気に引き込まれた。興味深いことがいろいろ書かれていたけど、一番面白かったのは最後のエピローグの部分。
そこまでの内容を通して現在の世界情勢や、人間の道徳の未来についての著者なりの見解はすごく説得力があった。
狩猟採集民時代の小さなコミュニティとは違って、現在の国家社会ははるかに複雑で大きな問題を抱えてはいるけど、何十万年もかけて進化してきた道徳心という"遺産"こそ、この今の社会をさらに良くしていく鍵なのかもしれない。
普段小説ばかり読んでいるけど、こういう少し専門的な本を読むことでさらに自分の世界を広げられるなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中断期間も含めてなぜか一か月ほどもかかった一冊。当初期待していた「善」の定義にまつわるような本ではなかったが、利他を促進し、利己を抑制する(ただ乗りを防ぎ、暴君を殺す)システムについて詳しく知れたのはよかった。イヌイットの仲立ちとして“しゃしゃり出た”学者が、代表者面をする人物として敬遠されるくだりなど、普段は気づかない観点のおもしろいエピソードもあった。
惜しむらくは10年前の本だということ。最新の論で何か更新された点はあるのだろうか? -
利己主義、身内びいき、利他主義を飢餓の時代から豊かな時代まで使い分ける柔軟さが人間にはある
動物に恥の感情はなく人間にしかない
道徳は恥
フリーライダーをつぶすために道徳がある
タダ乗りする遺伝子を残せば集団の害になる -
我々ヒトは、極めて社会に依存した生き方をしていて、かつ社会におけるルールを強く意識し、大半の人はそれに遵守するように生きている。
だがそもそも、それはなぜ可能なのか?
それは、ルールの遵守を良しとする規範を持っているからだ。
では、なぜその規範を持っているのか?
それは、進化のプロセスの中で、その規範に関する遺伝子が残されやすくなっていたからである。
では、なぜその遺伝子は残されやすかったのか?
またあるいは、だとしても、反社会的なふるまい(サイコパス含め)をする人々はなぜいまだに存在するのか?
そういう風にヒトの道徳規範に関して掘り下げていくと、単純な遺伝学的な発想でも、人文学的な推論でも、いずれにしても科学的な真理にたどり着ける気はしない。
だがクリストファー・ボームは、人類学と進化生物学の二軸に基づき、かつ先人たちの知見を積み重ねて、さらに独自の仮説を打ち立てることによって、この難しい問いに答えようとした。
それが、本書である。
ボームの仮説自体は、そんなに難しい話ではない。そこが、よい。
p.385
歴史的経緯にかんする私の理論によれば、道徳の進化の第一段階で進化的良心が生まれ、人間がひとた道徳的になると、ふたつの新しいパターンが発展できるようになった。ひとつは利他的な者に有利な「評判による選択」で、もうひとつは、道徳を語ることによるフリーライダーの抑圧であり、これは乱暴者だけではなく泥棒やいかさま師も標的になっただろう。その時点で、利他的な者同士がペアになりはじめたという説も立てられる。そして進化する良心の助けもあり、より高度な戦略をもつ社会統制によって、人々は、集団のルールや願望に比較的敏感な逸脱者を、傷つけたり殺したり追放したりせずに、矯正することができるようになったのだ。
上記の段落の引用で、ほぼ仮説のすべてである。
ボームが語るように、この仮説は、物理学の仮説などと違って検証が難しい。あくまで進化学と人類学的な、知見とデータの積み重ねで、強い帰納的推論の果てに、あとは聞き手がそれに納得するかどうかというレベルの話に思える。でも、私はこの説に、だいたい納得した。
なぜか。それは、現生人類の祖先が大型哺乳類を狩り始めた頃に成立したというこの性質について、私自身が、今生きている社会において、そういう性質を発揮している人々がいることを、リアルに感じているからである。
少なくとも遺伝子の変化には、1000世代くらい、25,000年くらいはかかるだろうとボームは推定している。
この推定が正しいならば、農耕と定住を始める前の遺伝的気質を、私たちはまったく捨てがたく保持しているといえるだろう。
それは、本書によれば、平等であることを強く望み、食料が飢餓レベルにはない状態では、血縁を超えた利他行動を好み、評価する性質である。
さて今日、産業革命以来の、圧倒的な生産性向上により、とりわけ農業分野においては、それまで人口の98%くらいが従事していたものが、まったく逆転し、せいぜい2%程度が従事するだけで、残りの人々含めてすべてを食わせられるようになった。それでいて、農業従事者は権力者でも高所得者というわけでもない。そして、飢餓は遥かに遠ざかったのだ。低所得層、栄養学教育が不十分な層における、不健康な食習慣という問題は発生してしまったが、飢餓に直面していた時代からすると、天国のようなものだろう。
さて、であれば、本書の仮説に基づけば、我々はとことん利他精神の発揮を望み、評価する気質が発揮されて良さそうに思える。
だがしかし、資本主義の「誤解」(だと私は思う)により、金銭や資産の蓄積に価値基軸を置く人や、あるいはそれらの人に過剰に敵意を示す(相対的な)低所得層といった、人類史上初めてのタイプの感情を発揮する人々がいっぱいいっぱい、出てきてしまっていると思う。私も、「あー、なんて給料安いのだろう」と言っているあたり、それの一人なのだが。
経済学者ピケティの説を引っ張り出すまでもなく、超富裕層は生まれ、所得差は拡大している。だが、そこに人間の気質が引きずられることが当たり前だという発想は、本書で示したような進化学的な人類の見方からすると、実はそんな当たり前ではないということが言えると思う。
私たちは何をもって幸福と感じ、何をもって不幸と感じるのか。改めて、進化学的な観点から、人間はどうしてこうなっているのかを考えた上で、見つめることの重要さを感じさせられた。
本書に批判をすると、エピローグの「人類の道徳の未来」が蛇足感があるなーというところか。どうして個人の気質と社会性の問題を、強引に国家間の関係に敷衍させているのかが、まるでぴんとこない。それまでの科学的な仮説立証プロセスを、なんか自分で台無しにしてないっすかね・・・(笑)。
http://www.amazon.co.jp/dp/4826901763
クリストファー ボーム (著), Christopher Boehm (原著), 斉藤 隆央 (翻訳), 長谷川 眞理子 -
利己的な行動を続けた方が強者になれそうにも思うが、なぜ利他的な行動をとるのか、という視点は私にとってとても新しかった。社会的な関係性の中だけで捉えるのではなく、生存本能から選択されたモラルというのが面白い。噂話の役割についての記述が最も印象的だった。
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社会
心理 -
原題:Moral Origins: The Evolution of Virtue, Altruism, and Shame (2012)
著者:Christopher Boehm
【目次】
ダーウィンの内なる声
高潔に生きる
利他行動とただ乗りについて
われわれの直前の祖先を知る
太古の祖先をいくつか再現する
自然界のエデンの園
社会選択のポジティブな面
世代を越えた道徳を身につける
道徳的多数派の働き
更新世の「良い時期」と「悪い時期」と「危機」
「評判による選択」説を検証する
道徳の進化 -
【選書者コメント】ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだ時のような感動に出会えるだろうか?
[請求記号]4600:663