- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784828416519
作品紹介・あらすじ
いま、大阪のまちを奇怪な妖怪がのし歩いている。その妖怪とは橋下徹ひきいる大阪維新の会。名付けて橋下主義(ハシズム)。閉塞した社会を生きる市民のやり場のない不平不満をエネルギーに仮想敵をつくり上げて、大衆を煽る。このハシズムを大阪で許すと、全国に広がり、日本の民主主義は崩壊の危機に瀕する。そんな危機感を抱いた論客たちがハシズム斬りに立ち上がった!-。
感想・レビュー・書評
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内田先生の「おせっかい教育論」はいつもの論調で、教育者の論調だ。僕ももちろん教育者のはしくれとしてまったく同意である。
で、あとはひたすら残念な本となった。タイトルからして「橋下主義を許すな! 独裁者の野望と矛盾を衝く!大阪府庁では自殺者・うつ病患者続出!権限を集中させて、この男はどこに向かうのか?」である。やれやれ、、と思う。
(想像だけど)筆者というより、編集者のセンスの問題が大きいように思う。
本書のテーゼは、橋下主義は「決めつけ」「ステレオタイプ」「二者択一」だからけしからん、、というものである。けれども、奇妙な話である。そのような批判を重ねれば重ねるほど、橋下批判は「決めつけ」「ステレオタイプ」「二者択一」になっていくからである。このパラドックスに気付いているのだろうか?この本自体が売れればよい、という刹那主義(と権力志向)そのものではないか。
内田先生は、「街場のメディア論」の中で、メディア批判をメディアが語らないようなやり方で行うというアクロバティックな知的作業を行って支持を集めた。僕もその手法に舌を巻いたくちだ。対照的に、本書は極めて(ステレオタイプな)橋下的に橋下批判を展開するという極めて奇妙な本である。
ところで、冒頭の内田先生の文章だけが実は本書で異なる様相をもっている。内田先生は「教育とはこうあるべきである」を繰り返す。そして、その背景から照らし合わせて、現在の大阪府のこれとあれはけしからん、という批判として展開される。他の論者はほとんど「橋下のこことあそことこれがけしからん」と始めに批判ありきである。まさに、本書でだれかが述べたような「手段と目的の倒錯」である。
香山さんはどちらかというと疑問提示役になってこの「決めつけ」型の論調から少し距離を置いているように見えたが、さて。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
奥付には2011年11月15日発行とある。橋本徹氏がまだ大阪府知事在職中。大阪維新の会が大阪を席巻しているを見て、危機感を懐いた論客による橋本主義(ハシズム)批判の書。しかし、橋本氏は大阪府知事を辞して大阪市長に立候補し、平松市長を破って当選した。大阪市民の選択した結果には唖然とさせられた。しかし、大阪維新の会は日本維新の会として組織を拡大して衆議院議員選挙に打って出たが、その勢いはやや失速した感がある。日本全国の選挙民は、まだ冷静だったということか。しかし、やはり、気になるのは、今夏の参議院選。
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昨年11月に発行の、橋下氏が大阪府知事だったときの本です。内田樹さんの教育についての話が出ているので読んでみました。そこは、期待通りというか、いつもどおりの、教育を産業にするな、という主張がありましたが、全体としては好ましいとは言えない本でした。
ハシモトは二極対立を作り出してドラマを仕掛ける、こんなのは政治ではない、というのだけれど、この本自体も同様な落とし穴に向かっているように見えます。
「このハシズムを大阪で許すと、全国に広がり、日本の民主主義は崩壊の危機に瀕する」と表紙に書かれています。日本の民主主義は崩壊している、という前提で読むか否かで印象はかわるのでしょうが、この本も、相手の妄言を断片で取り上げて茶化すような、ワンフレーズ型に近い切り口が見え隠れします。
僕自身は、維新の会にも橋下氏にも、まるっきりよい印象を持っておらず、対岸の火事が近くまで広がってきたことに懸念をしてはおりますが、それはそれで、こういう反論ではだめだなあという点では、勉強になりました。 -
教育基本条例の時代錯誤。幻滅に耐え個人に頼らないのが民主主義。
タイトル、表紙のキャプション、鼎談の編集、引用、語録はすごく過激で、いったいどんな独裁が行われているんだろうと思いました。
でも、具体的なことは、いまいちよく見えてきません。
有名人著者が前面に出ていますが、むしろ、この構成を作った編集者の本ですね。 -
第一章の内田樹さんの教育論がすべてだった。
わたしは教育に関しては素人だし、自分の子供もいないけれども、この話はすごいと思った。橋下市長抜きにして読んでおいて良かったと思った。
残りの部分については、タイトルほどのインパクトには欠けるのと、本全体としては寄せ集め感がぬぐえないので、それほどのものにはならないか?といった感じである。
最終章に、「暴言一覧」というようなものがあるが、あれも、前後含めて真意をくみとらないと、揚げ足取りにしかならず、反論としては弱い。 -
橋本徹の本(『体制維新』)を読んだので、橋本徹に批判的な本も読んでみようと思って手に取った。
内田樹による橋本教育行政への批判(教育現場には急激な変化は馴染まない、市場経済の尺度で成果を測るのは間違い)は確かにその通りだと思う。それ意外の論者(山口二郎、香山リカ、薬師院仁志)による批判は、いまいち説得力が感じられず、決めつけの論調のように感じられた。
大急ぎで作ったパンフレット本で、それは別にいいのだけれど、編集者がつけた乱暴な見出しはいかがなものかと思う。そのあたりの減点で★★とした。『体制維新』は★★★★★にしましたが、それはあくまでも本の評価なので念のため。 -
内田樹さんの見解を読みたくて購入。
まぁ想像にかたくないご意見でしたが。
教員とか大学教授が書いたコラムが2週間に1回くらい職員室に回ってきて、そのたびに橋本市長への疑問が綴られたエッセイが書かれており、まぁ、知っといて損はないかと思い読んでみる。
わたしは内田樹さんに、大学4年の後半くらいから感化されているため、まぁ、なんだ、橋本さんの言うことにはうーん、と思うところがあったのだけど。
この感化は、なんなんだろうなぁ。自分の考えてきたことを、うまく説明してくれる気がしたからか、今に限らず、教育に関することに抱いていた疑問に、あぁ、そうか、と自分にとって肯定的に納得をすることが多かったからか。
一つだけ言えるのは・・・、
なぜ、内田樹さんは納得できていたのは、まるで対極にいるように思える橋本さんの出現により、
あぁ、自分は、競争原理から逃げていた人間だったからか・・・っていうか、誰かと比べられることが嫌で、自分は、学ぶことを楽しみたいと思う人間で、それに比較は必要なくて、要は、なんでもかんでも競争に持ち込まれたら、すぐに淘汰される人間だったからか、と。
だから、競争することを、肯定的に捉えられず、選べなかったのかと、そう思った。
わたしは、自分の成績とか、あんまり覚えてない。一回、中学のとき、オール5を取った記憶は、なんだか残っているのだけど、高校進学のための内申だとか、評定平均だとか、何にも覚えていない。
でも今、先生をやってると、大概の先生が、それを覚えてるんだよね。きっと、競争の中におかれている自分を、よく意識されていたのだと思う。
わたしは、なんとなく大学まで出て、なんとなく教職についているのだけど、流れに流れてそのようになったという感覚しかなくて、誰かと競って勝ち取った何かなんて、今の今まであったんだろうかと思うと、そんなものは容易に思い出すことができない。あっても思い出すほどのものではないのだと思う。
大学の教授に、
「お前ほど、解放された人間はいないと思う。」
と言われたことがあり、
わたしは、その意味がまるでわからなかった。
自分は、いろんなしがらみに、がんじがらめになって生きてる人間だと思っていたから。大学時代なんて、がんじがらめになってるものはなにかと考えて、一つ一つ解きほぐしてく作業に、躍起になっていたから、解放されてるように見えているのは、自分が努力して得たもので、無意識のものではない、とその当時は若干の反発を持っていた。
でももしかしたらそれは、「学ぶ」という態度のことなのかもしれない。
大学の講義は、楽しそうだと思うものは、履修単位に限らず片っ端からとった。もっとほかの学部の講義も取っておくべきだったと後悔してるけど、卒業に必要な単位とかは、必修以外はぜんぜん考えずに取ってた。知ることができるのが、とても楽しかった。
競争するということから逃げまくって、自分の楽しいと思うもの、いつか役立つかもとかいう根拠のない理由で単位を取っていた自分は、そう考えると、教授の言う「解放された人間」なのかもしれない。
だから、内田樹さんを、もっと読みたいと、思ったのかもしれない。たぶん、そう。
わたしは、公務員として働く限りは、上の言うことに従わなくてはならないけれど、自分の軸はぶらさずに、間違っていると思うところは、できる範囲で、「違う考え方もある」ということを、訴えかける気持ちは、失わずに痛いと思う。
目先の利益を得るための、甘やかなささやきに、生徒さんたちの耳を、やさしく覆うことができる、強い人間でありたいと、願う。 -
以前、橋下さんに肯定的な本を読んだので、今度は批判的な本を読んでみた。いやあ、手厳しいね。内田樹の論理にはちょっと?な部分もあったけど、他は概ね分かりやすかったかな。でも、橋下批判の論理はちょっと難しいと思う。みんながみんな理解出来るわけではないと思う。それに比べて、橋下さんの言うことは本当に分かりやすい。だから多くの人に支持されるんだろうな。