- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784831872258
作品紹介・あらすじ
自然科学も宗教も「生きる意味」を教えてはくれない-科学者への道を断念し、神秘体験に出遭い、精神共同体の甘い罠をくぐり抜けてきた著者が、学者の肩書きをかなぐり捨てて、この時代を自分らしく生き抜く方法を考える。森岡「生命学」シリーズ第一弾。
感想・レビュー・書評
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「オウム事件」を見てしまった「私」は、
宗教なき時代において、科学に真理を求めることもできず、かといって「宗教」を信仰することもしない。
しかし、「宗教性」そのもの自体を否定するわけではない。
このことは、1章で繰り返し誤解のないように語られている。
オウムと尾崎豊はつながっている。
両者とも、「癒しの共同体」という偽りのでっち上げによって挫折したが、
著者は孤独を受け入れつつ第3の道を探してゆく。
そこで語られるのは「煩悩の哲学」、等身大の自分と向き合っていく、ということであるという。
現代に対する深い、深い問題意識が感じられた。
そして大きく共感したものの、自分にはどこかでやはり「いや、まだ道があるのではないか・・・」と思いつつ・・・。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/27960 -
宗教に頼らず自分で考えて生きていく。緩やかな他者とのネットワークを通じて。森岡の自分をさらけ出し書くスタイルはとても誠実である。自分の子供にイラついて物を投げたくだりとかは凄まじい。尾崎論というものを初めて読んだ。そういうことだったのかと納得。
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タイトルからして俯瞰的なものかと思ったら、存外著者の叫び声が直接聞こえてくるような本だった。俗世と神聖の境界にいる人は一読推奨。
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「無痛文明論」への流れがよくわかった。
一番最後のページにパソコン通信についての記載があり、時代を感じる。 -
オウムと尾崎の話が面白い。
かなり熱っぽいのが特徴か。