- Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
- / ISBN・EAN: 9784837956563
作品紹介・あらすじ
なぜ今一つの歴史が終わるのか!幻想のうちに崩壊した「自由の王国」。社会進歩のメカニズムと新しい歴史を創造させるエネルギーとは。現代史を総括する歴史的教訓。
感想・レビュー・書評
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エキサイティングな本である
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人間の気概には、優越願望と対等願望があるのではないか。
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変貌する民主主義より
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面白かった。人間の歴史を「認知を巡る闘争」という点にまとめられると主張し、人間の気概を重視する本。何度も読み返したい。
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ヘーゲル→コジェーヴ→フクヤマだって。
世界史の哲学者は、言ってることが、あまりにも観念的すぎて、理解に苦しむよ。
「歴史が終わった」なんて、そんな机上の空論を振り回して、いったい何になる? -
了
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興味深い著作でした。読む前は、哲学系用語が使用されており、難解な本を想像しました。予想は、はずれました。具体例も提示され、分かりやすい本です。右翼、左翼の独裁政権の不安定性を指摘しています。政権が継続するためには、正統性が必要である。民主主義は、その体制そのものに正統性がある。それに対して、独裁政権には、その体制そのものに正統性がありません。東アジアの開発独裁政権は、経済成長が正統性を支えました。そして、ロシアの共産党政権は、アメリカに対抗する大国であるという事実が正統性を支えました。上記の正統性は、成功するときもあれば、失敗するときもあります。不安定な正統性に依存する不安定な政権となります。そのため、独裁政権は、外部の力で倒れることは稀です。政権内部のテクノクラートが、自発的に民主主義体制に転換するそうです。
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原題は「歴史の終わりと最後の人間」。
「歴史の終わり」はヘーゲルからのモチーフ。「最後の人間」はニーチェからのモチーフ。
フクヤマは、リベラルな民主主義が、第二次大戦でファシズムに勝利し、冷戦をへて共産主義にうち勝った歴史の流れについて、哲学的なアプローチで読み解いている。
すなわち、リベラルな民主主義が全体主義や共産主義に打ち勝った時点で、ヘーゲルの言うように歴史は完成し、人類のイデオロギー上の進歩が終点にたどりついた。しかし、自由な民主主義の世の中が実現したことで、ニーチェの言ったように、人間は目的を見失っているという問題提起。
もととなる論文を発表した時期が、ソ連や東欧諸国の自由化と同時期だったため、非常に注目された。
リベラルな民主主義に基づく社会形態が、さらに優れたものに取って替わられるということは考えにくい。
しかし、弁証法の考え方に従うなら、そこに矛盾が生じる余地がないと考えるのはいかがなものか。
現に、東西対立後はイデオロギーではく、宗教的な対立が世界的な問題となっている。
また、平等な社会が実現した後に、生きる目的の喪失という問題が残るならば、リベラルな民主主義内に新たな対立と発展の契機となる「矛盾」がなくはない。
そして、ことの重大さで言えば、「最後の人間」すなわち、生存権が保障される中での、人間が人間たるゆえんをどこに持つかという価値観の問題の方が大きい。
人間が生きるための後ろ盾になる価値といった問題となると、ここで引き合いに出されている西洋哲学の枠組みの中だけで考えるのはしっくりこない。
例えば、生きる意味を問うキーワードとなっていた「気慨」といった言葉も、ヘーゲルやニーチェが使ったように「命をかけて」といった具合で現代に持ってきても、ろくなことにならないと思う。
現実的にも、「気慨」というレベルではなくとも、何かをして他人に認証されたいという願望は、現代社会や組織内において大きな問題となっている。
この問題に対して、ニーチェを引用するにしても、近代の西洋哲学だけでなく、現代における彼らの後継者の成果を引き合いに出せば、もう少し現実味を帯びたものとなったのではないか。
とはいえ、上下600頁にも及ぶ大作で、自由主義社会の成立に至る思想史的背景については、学ぶところが多々あった。 -
『読書の軌跡』阿部謹也より