禅、「持たない」生き方 (知的生きかた文庫)

著者 :
  • 三笠書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784837978770

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  • 禅、「持たない」生き方

    有馬賴底著
    2010年8月10日
    知的生きかた文庫(三笠書房)

    著者は臨済宗相国寺派第七代管長。京都五山第2位の相国寺はもちろん、末社の鹿苑寺(金閣寺)と慈恩寺(銀閣寺)の住職でもある。東京の名士(久留米藩主)・有馬家出身だが、幼い頃に両親が離婚して九州に。小僧から修行して8歳で得度。有馬記念の有馬頼寧の従兄弟の子にあたる。「宗教者九条の和」の呼びかけ人。
    彼の本を少しまとめて読んだ。

    (メモ)

    1982年、古都保存協力税騒動、拝観拒否(11寺)を決めた時に昔からよく知る旧大蔵省出身者が来た。「閉門すれば拝観料収入はなくだろうし、銀行も寺には金を貸さなくなる」と脅してきた。「私らが銀行の金をあてにしてると思っているのか?私らには托鉢がある。乞食をして食っていけばいいだけのことや!」。官僚退散、1988年古都税廃止。

    「欲を持っちゃあいけない」などと考えるから間違える。ほしいという心をすっきりと働かせればいい。邪に働かせようとするから人を欺いたり盗んだりする。

    座禅中に警策(きょうさく)で肩を叩くのは、緩んだ神経を一瞬集中させるため。一瞬でいい。

    一週間の断食をしばしばする。水のみ。しんどいのは3日目、容赦ない空腹感。それが過ぎると頭が冴えさえに。体から食べ物が全部出て行って水だけに。毒が抜けるみたいに爽やかな日々。

    修身なんていうわけのわからんことを教えて、「一億火の玉」と焚きつけ、帝国主義に走っていった苦い経験があるのに、型にはめることのバカらしさ、間違いが分からんのだろうか。

    法話をするために長い時間をかけて、文献や資料を読み込んだりすれば体がしんどくなる。しかし、そこで横になったりすることはまずない。書をしたり、お茶をしたり‥…。それまでとはまったく別のことをやる。すると、疲れたという感じは、きれいさっぱりなくなる。要は体の疲れではなく、心の疲れ。

    人は理性に邪魔される。理性とは執着(しゅうじゃく)。人から悪くいわれてカッとくるのは“賢い自分”に執持しているからだし、咎められて腹が立つのは“正しい自分” への執着があるから。それがどうしても捨てられないが、それもまた人なんです。

    「いまだ木鶏たりえず」の故事。
    紀渻子(きせいし)という人が王に命じられて、闘鶏を訓練することに。訓練開始から10日が経って、王が「もう闘えるか?」。
    紀渻子は「まだです。いまは無間にやる気を見せているだけですから…」
    さらに10日後。「まだです。ほかの軍鶏の声や姿にいきり立つ状態ですから…」
    また10日。「まだです。相手を睨みつけ、闘志を見せますから…」
    再び10日後。
    「ものになってきました。ほかの軍鶏が鳴いても、まったく動じる様子がありません。まるで木鶏(木彫りの鶏) のように、徳が身についた状態です。ほかの鶏はみんな闘うことなく、後ろを向いて逃げ出すでしょう」
    周囲の鳥がしかけても、木鶏のように微とも動じることなく、その威厳で相手の闘志を萎えさせてしまう。まさしく心技体が完璧に整った姿。
    (幡大介の長編時代小説「大富豪同心」はこれのパクリか?!)

    禅の修行は厳しい。なかでも、12月1日~8日までの臘八大接心(ろうはちだいせっしん)は群を抜く。釈迦が瞑想して悟りを開いた時期に同じ体験をさえるもの。8日間は眠ることも休むこともいっさい許されず、食事以外の時間は老師の講義を聞き、坐り続ける。坐禅をはじめる合図も終える合図も、すべて鐸(たく)と鐘、言葉は発せられない。その音で本堂と坐禅堂、食堂の三カ所をめぐるだけ。
    22歳以降、13回経験。
    坐禅堂の窓という窓は開け放たれ、雪が舞い込むという過酷な状況の下での修行。体力的にも精神的にもつらさがひしひしと迫ってくるのは、三日目くらい。そこを乗り切れるのは、20人、30人がいっしょに修行に取り組むから。一人では萎えそうになる心も、隣に仲間がいることで持ちこたえられる。
    脱落したらそれでおしまい。その寺の道場には二度と入ることはまかりならん、というのが禅の世界の決まりごと。しかし、の四日目をすぎると、つらさはふっと消、五日日以降は日を追うごとに、精神性が高まってくるのを感じる。感覚がまさに研ぎ澄まされるという状態になります。実際にはそんなことはないが、体が浮くような感じになる。
    その浮遊感は、体が極限状態に置かれ、心から余計なものが全部削ぎ落とされて軽くなるからだろう、と思う。空っぽになった自分を実感する瞬間だ、といっていいかもしれない。

  • とても良い本です。
    シンプルで素直に心に入ってきました

  • 生きることが辛くなったら自分というコップを一度全部「からっぽ」にしてみてはどうか?と思えるようになった。自分の想いの世界で執着していたものを思い切って捨ててしまって新たに見えてくる境地があるのかもしれない。

  • 小見出しはよいものの,内容がいまいちだった
    ――小見出しだけ立ち読みしてもよいかもね。

    達観,意見の押し付け,
    なのに論理の矛盾が鼻に付いてしまったからかなぁ…。

    もう少し引いた感じ,謙虚な感じの方がよいと感じた。

    後半,ちょっぴり盛り返した感はあったけど…う~ん。
    『プチ出家入門―少しだけ捨てて楽に生きる方法』の方がお勧めかなぁ。

  • 慌ただしい毎日に、心の余裕がなくなった時にこそ、もう一度開くべき本。はっと気づかされることがあるはず。

  • 「人は、生まれた時から増え続けてきた荷物を、いかに整理し手放して行けるか。その作業を行うのが生きていくってことなのかもしれない」

    そうぼんやり思ってた。あんまりぼんやりし過ぎて自分でも何が言いたいのかよく分からなかったんだけど、それに対して一つの考え方を提示してくれた本。

    実践あるのみ。

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著者プロフィール

現代日本の仏教界を代表する禅僧。臨済宗相国寺派館長、金閣寺・銀閣寺住職。京都仏教会理事長、「宗教者九条の和」呼びかけ人。久留米藩藩主有馬家(赤松氏)の子孫。

「2020年 『宗教者と科学者のとっておき対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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