グーグル化の見えざる代償 ウェブ・書籍・知識・記憶の変容 (インプレス選書 4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784844331438

作品紹介・あらすじ

鋭利な視線、冷静な考察。グーグルをめぐる知識の未来へのアプローチ。

感想・レビュー・書評

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  • 積読本シリーズ。
    知識、記憶、すべてがグーグルというテクノロジー原理主義の一企業に委ねられてしまうことに対して危険性を説く。
    
    2012年発売の本だけど、グーグルはあいかわらず健在なので状況はそれほど変わっていない。むしろグーグルでもFacebook やLINEなど勝てない分野があるんだなと。
    
    検索エンジンの歴史が少し紹介されているので、久々にグーグル登場以前(アルタビスタとか)を思い出しました。
    逆にいうとグーグルがなかったらインターネットってここまで一般的にならなかったんじゃないかとか、もっとカオスなままだったのだろうかとか、サイトやブログの数ももっと限られていたのだろうかと考えてみたりしました。
    ふたりの青年がつくったシステムが、ここまで世界を変えてしまうなんて、よく考えるとたしかに怖い。
    
    それくらいグーグルのある日常に私たちは慣れている。グーグルを通してインターネットという世界を見ている。
    「グーグル化された世界、それははたしていいことなのだろうか」というのが本書の問い。その問いにうまく答えられているようにはあまり思えず。だってもうグーグルのない世界は考えられないし。
    
    「インプレス選書」ということなのですが、作りがやや雑というか、文字ヅメが粗くて上の活字と下の活字がくっついていたりして、デザイナーの問題なのか、編集の公正が甘いのか、1ページに1ヵ所くらいの勢いでくっついているので、読みながらそんなことばかりが気になってしまいました。
    
    以下、引用。
    
    私たちはグーグルのインターフェースと構造を、自分の認識そのものに織り込んでいるのである。たとえばなにかが、あるいは誰かがグーグル検索結果の1ページ目に表示されなかったとしても、そのようなことが重大なことだろうか。
    
    1990年代末に「Asian」で検索したところ、他のほとんどすべての検索エンジンでは、アジア人モデルを呼び物にしたポルノ・サイトばかりだったが、今日、グーグルで検索すると、1ページ目にリンクされているのは、アジアおよびアメリカの歴史と文化、アジア料理についてのサイトである。
    
    フランスとドイツでは、グーグルは反ユダヤ主義色の強いサイトや、特定の対象への憎悪に満ちたサイトを積極的に封鎖しなければならない。
    
    グーグルは、二十一世紀初頭のアメリカ文化の産物であり、アメリカ文化が世界の文化に与えている影響の産物でもある。
    
    2007年までに、グーグルは多くの巧妙な方法によってページの順位付けに人為的に介入してきた。今では、検索結果を評価する「品質査定人」チームを雇い、エンジニアはその報告に基づいてアルゴリズムを微調整している。
    
    グーグルの企業精神は、近代アメリカの模範的な価値基準の一つである技術的能力と、ぴったりと調和するのだ。ウォルター・カーンは「アメリカは『アプトクラート(聡明なテクノクラート)』によって管理されている」と書いている。アプトクラートとは、統一試験や数学であらわすことができる学業成績のように、統制された事柄の処理に秀でた人たちのことである。彼らは、優秀さについて高度な要求水準を満たしており、彼らが上るべき成功への梯子のすべての段を明確に認識している。
    
    数台のプリペイド式携帯電話と大量のホムス(アラブ料理)を買った人は、潜在的なジハード戦士としてプロファイルされるかもしれない。アトランタの裕福な地域の郵便番号を記入してバーンズ・アンド・ノーブル書店でアレクサンダー・ハミルトンの新しい伝記を買った日に、スターバックスでラテを買うためにアメリカンエキスプレスのプラチナカードを使った人は、共和党の選挙運動に寄付する可能性が高い人物と見なされるかもしれない。
    
    管理の行き届いている「そういう路地を歩くときには、路地の周りの家のほうをじろじろ見つめることはしません」と述べている。日本の都市部は人口密度が高いため、たとえ見たとしても、他人の生活空間をのぞき込むのは失礼だという感覚を互いに持ち合わせているのだという。
    
    このような樋口の要望や意見に多くの日本人が共感したため、グーグルは2009年5月、グーグル・モービルで日本の都市部を撮影する際は、垣根越しに中をのぞき込まないようにカメラの位置を低く設定し直すと発表した。
    
    町であれ、人であれ、物であれ、グーグルに表示されないということは、存在していないも同然に思えるからである。
    
    テクノロジーはけっして中立的なものではないし、本来、自由と抑圧のどちらかを支援するものでもない。すでに見てきたように、同じテクノロジーが、ある集団を監視し抑圧するためにも、彼らを強く結びつけるためにも利用されているのである。
    
    シドニーで検索したときは高く格付けされていた重要な情報が、サンパウロでは検索結果の9ページ目に埋没しているということは起こりうるのだ。
    
    インターネットそのものは、経験、知識、コミュニケーションなどを自動的に普遍化するわけではないということだ。ある特定の基準に従って人々を結びつけることもあれば、別の基準に従って人々を分断することもある。
    
    インターネットは、あらゆる人と人を、あるいはあらゆる人とあらゆる知識の断片を、薄い膜のように均等に結びつけるのではなく、交流を断たれた人々を結びつける機会を提供したのである。最もうまく成功したのは、国外移住者のコミュニティを結合させたことと、国の内外で政治的な提携を作り上げたことである。これらの分野でグーグルが果たした役割は、単純なものではない。
    
    グーグルは、新しいやり方で世界を結びつけているのだが、また別の新しいやり方で、世界を断片化してもいるのである。
    
    私たちは、私たちの文化遺産や知識の集積を、十五年も経ていない企業に委ねるべきなのだろうか。
    
    グーグルにフィルタリングに必要とされる知識を与えてやれば、グーグルもまた力を発揮することから、私たちはグーグルを快適に使うことができるかもしれない。筆者を含めてほとんどの人がそうしているのだが、私たちはその検索結果を盲信してはならない。
    
    グーグルの企業文化がアカデミックな研究生活の最良の部分を反映しているのは驚くべき話ではない。組織化されていない就業時間、水平的な管理構造、多方面にわたる情報とフィードバックの流れ、利他主義的な使命感、「キャンパス」を中心に集約されたリクリエーションや運動施設、不安を感じさせてしまうほどくつろいだ服装などが、なにより雄弁にそれを物語っている。
    
    「ほとんどの人々がグーグルに望んでいるのは、質問に答えてくれることではないと思います」「彼らは次になにをすべきかを、グーグルに教えてほしいのです。…私たちは、あなたが誰なのか、あなたがなにに関心があり、誰があなたの友達なのか、おおよそ知っているのです」
    
    私たちの最も大切な文化的・科学的資源の管理者としての役割をグーグルに委託すべきでないことは明らかである。私たちが望んでいるものーあるいは、望んでいると思っているものーの配信に力を入れることによって、私たちが本当に必要なものをグーグルが配信してくれると思い込んではいけない。
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    

  • 緒言の中で、グーグルを使うことに対して「読者の方々にもっと鋭敏な感覚を持っていただきたい」とソフトに書いてあるけれども、実はグーグル批判の急先鋒とも言えるような内容。グーグルファン―というヒトがいるのかどうか知らないけれど―が読んだら烈火の如く怒り出しそう。
    この著者がグーグルに代わるものとして提案しているのが「ヒト知識プロジェクト」 さんざん批判したあげくの結論がこれか、と思うとなんとも拍子抜け…。でも、その拍子抜けを救ってくれたのが「グーグルの理想主義を批判している著者といえどもアメリカ的理想主義とけっして無縁ではない」と綴った訳者あとがき。これでスッと落ちた。



  • mmsn01-

    【要約】


    【ノート】

  • 特に得るものがなかったように思います。

  • The Googlization of Everything
    : AND WHY WE SHOULD WORRY ―
    http://www.impressjapan.jp/books/3143

  • 【新着図書ピックアップ!】米国図書館界が蔵書デジタル化でグーグルと争ったてん末は、電子書籍の普及しない我が国において試金石となりうるのか、興味深い(¯―¯٥)

  • 大学教授の著書なので、仕方ないっちゃァ仕方ないのですが、どうも書き様が徒らに小難しいように思います。

    無駄に冗長な比喩は読んで理解しているうちに何の話だったか忘れてしまうほど。

    もちろん、それは読み手である自分自身にも問題はあるのですが。

    にしても、結局大したこと言ってなかったりもするような気がしないことも、、、(弱腰)

    優しいことを難しく、難しいことをさらに難しく書いてる感じがします。

    タイトルの示すとおり、大意はGoogleの毀誉褒貶であり、持ち上げて持ち上げて落として、の、繰り返しっぽい。

    我慢して半分は読みましたが、あとは流し読みしようと思います。

  • 半分ほど読んだが、グーグル化の見えざる代償って結局なんなのか?というところが見えず。
    議論が細かすぎて飽きる。退屈な本。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784844331438

  • 全体として、日本でもよく見るタイプの議論が、米国でも同様に展開されていることがわかった。

    変化の悪い面にのみ焦点をあてており、従来の制度の悪い点には目もくれない。
    著者の価値観と事実関係がないまぜになっている。

    警句を弄する、あるいはないものねだりをしている感じ。

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