「企み」の仕事術 (男のVシリーズ)

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  • ロングセラーズ
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845420797

感想・レビュー・書評

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  • 阿久悠さんの仕事と「あの時代」のことを語った本。

  • 「歌は世に連れ、世は歌に連れ」、作詞家阿久悠さんの歌を見ると、確かに1970年代、1980年代の歌、歌詞の中にその時代が見えてきます。「ざんげの値打ちもない」(北原ミレイ、1970)、「せんせい」(森昌子、1972)、「五番街のマリーへ」(ペドロ&カプリシャス、1973)、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり、1976)、「雨の慕情」(八代亜紀、1980)、「契り」(五木ひろし、1982)、「熱き心に」(小林旭、1985)・・・。昭和から平成に、歌が世に連れなくなった時代に変わったのでしょうか。。。?!
     昭和が終わって半年後に美空ひばりは亡くなった。その美空ひばりと同じ昭和12年生まれの阿久悠さん「企みの仕事術」、2006.8発行、再読。歌謡曲らしくない作品、歌らしくない作品作りが身上だそうです。ピンク・レディ「UFO」、八代亜紀「雨の慕情」、山本リンダ「どうにもとまらない」、森昌子「せんせい」、都はるみ「北の宿から」・・・、なるほどです。そして、歌手のために作詞していることがよくわかりました!

  • 昭和の歌謡曲黄金時代を語るときに欠かせない作詞家の阿久悠 先生。
    多数のヒット曲の歌詞にまつわるエピソードのみならず、タイトルにあるように仕事術的なエピソードも多数書かれており、楽しく読ませていただきました。
    病院での待ち時間などを利用して読了。
    付箋は14枚付きました。

  • 阿久悠さんと言えば、
    作詞家として、昭和の歌謡曲に
    多大な影響をもたらした人です。


    本日ご紹介する本は、

    数多くのヒット曲を送り出した阿久悠さんが、
    これまでに書いた歌詞を実際に紹介しながら、
    それを手がけたときの思いや時代との関係などを語る1冊。

    ポイントは
    「戦略」

    本書を読んでみると、
    曲をヒットさせるためには詩の才能よりも、
    それなりの時代を読んだ戦略や、
    事前のマーケティングのようなものが
    とても重要だと思ました。

    我々のような企業が商品を開発するときの考え方に、
    非常に参考になることがありました。


    「アンテナ」

    阿久悠さんは一時期、アンテナを100本くらい
    立てていた時期があったそうです。
    そして、その日になにがあり、その日はどうだったか。
    アンテナに引かかったものを、なんでもかんでも日記に書いたそうです。

    それぐらい、日頃から情報をつかむ努力をしていないと
    簡単にはヒット曲は生まれないのだと思いましました。


    「かっこよさ」

    かっこよさとみっともなさは表裏一体

    ピンクレディーがデビューした時は、
    かなり、センセーショナルでした。
    見ようによっては、少しみっともない部分も
    あったのではないかと思います。

    しかし、”みっともないと思われるかもしれない”
    ということを怖がっていると、
    新しいものは生まれないのかなと思いました。


    「流れ」

    作詞家の仕事は、1発のホームランを出すことではなく、
    1人の歌手をいかに育てていくかということ。

    流れを切らさないように1歩づつヒットで塁を埋める
    事が重要だそうです。

    我々の仕事も同じように、
    1発をねらうのではなく、
    流れを切らさないように、ひとつひとつ
    ヒットを蓄積していくことが重要だと思いました。

    ぜひ、読んでみてください。



    ◆本から得た気づき◆
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    早すぎても遅すぎてもいけない。ちょっと前くらいのところでつかまえることが大切
    初めて自分が聞き手になって、詩のときにはわからなかったことがわかるようになる
    かっこよさとみっともなさは表裏一体
    視野の広い人には見える程度のギリギリのところにあるものを探すのが作詞家の仕事
    その見えない飢餓にボールをぶつけて、「ああそれだったんだ」と言わせるのが歌の役割
    仕事は不思議なもので、どんなに見えない努力や工夫も見る人はしっかりと見ている
    日記を書き続けるということは、僕にとって重要なこと。日記を書くために、いつもアンテナを張っていられる
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ◆目次◆
    第1章 仕組んだ成功と意外な成功
    第2章 かっこよさとみっともなさは表裏一体
    第3章 時代の飢餓感にボールが命中したとき
    第4章 男と女は五分五分
    第5章 人と同じ作品は書きたくない
    第6章 「祭り」を作り上げろ
    第7章 まだまだ何かある
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ◆マインドマップ◆
    http://image01.wiki.livedoor.jp/f/2/fujiit0202/83e3b70249952ac5.png
     

  • 曲を三曲提供して、ヒットを演出するなど、考えてみれば当たり前のことだけど、しっかりやっていたんだ。へー。

  • 普通に文章を読んでいて、何か気になる単語が引っかかってくる。それに関する言葉を近頃やたら耳にする。それが何かは分からないが、みんなが話題にしている。それくらいの時点でしっかりキャッチすることではないかと思う。誰かが情報として伝えているものを「あ、いいこと聞いた」とばかりに取り入れたのでは意味がない。何でだろうという、ある種の気配みたいなものの段階で、それを意味あるものとして感じられるかどうかということろに成功の要因が隠されている。気持ちの中で相当意識しておかないと、感じることが鈍くなる。自然に任せておくと、何も聞こえなくなってしまう。
    歌手のイメージを作るには、最低3曲が必要。だから、3曲連続で作らせてもらえたら、しっかりとしたその歌手のイメージが作れる。イメージを定着させるためには3曲分、つまり、1年かけた仕掛けが必要。
    あるターゲットを狙って知性で書いたものを知性でとらえられるだけでは大ヒットにはならない。最初に想定した20万なら20万は行くだろうが、それが100万の大ヒットになることはない。
    「上の句」と「下の句」が相反している男がいい。「あいつ不良に見えるけど、実はナーバスなところがあるんだよ」「学校の成績は悪いけど、実は頭がいい」などと言われる人間はそれだけで人として幅の広さや奥深さを感じさせることができるのではないか。
    「No」と言ってはいけない。Noの後には、必ず「But」や「Because」が続かなくてはならない。「しかし」「なぜなら」があって始めて「いいえ」が正当化される。


  •  我が家には、そこらじゅうに、私の読みかけの雑誌、文庫本、単行本がころがっている。ちょっと手を伸ばせば、いずれかがすぐに読むことができる。時として、片付かないからと、妻が整理する。ひどいときなんか、雑誌だったら(日経ビジネス、ベンチャー、グローカル、到知が多いのだが)捨てられてしまうこともある。

     今、そんな感じで、最も手にする機会が多いのは、阿久悠の『「企み」の仕事術』である。阿久悠は以前このブログでも「歌謡曲の時代」に触れたこともある。他に、時流をとらえたエッセイなんかもあるのだが、それらは、私にとっては、どうにも説教臭くてあまりなじめなかった。

     「『企み』の仕事術」は「歌謡曲の時代」同様、自身の書き上げた詩を基に、まさに仕事の取り組みが映し出されていて、また、うなづけるところや教えられることも多く何度でも読み返している。

     しかし、あの天才、怪物阿久悠にして、「仕事を辞めたくなるほどの衝撃と刺激を受けた二曲の歌」があったという。

     その一つが、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」であったという。

     「あんた あの娘の なんなのさ」

     このフレーズを聞いて、あぁ、どうして自分はこのことばを思いつくことがなかったのか、やられたと心の底から悔しい思いをしたという。私は、阿久悠がその言葉を発する場面をなにかのテレビで見たのだが、一流には一流ならではの呻吟というものがあるということを、改めて感じいった。その呻吟の詳細な理由は、著書に譲るとして、「フレーズの一つ一つに劇画のコマが浮かんでさらに感心した。」と追記もされている。

     もう一つが、小椋桂の「シクラメンのかほり」

     「真綿色した シクラメンほど
      すがしいものはない 

      出逢いの時の きみのようです
      ためらいがちに かけた言葉に

      驚いたように 振り向くきみに
      季節が頬を染めて 過ぎていきました

      うす紅色の シクラメンほど
      まぶしいものはない

      恋する時の 君のようです
      木もれ陽あびた 君を抱けば

      淋しささえも おきざりにして
      愛がいつのまにか 歩き始めました

      疲れを知らない子供のように
      時が二人を追い越してゆく

      呼び戻すことができるなら
      僕は何を惜しむだろう」

     「フレーズの一つ一つに劇画のコマが浮かんでさらに感心した。」がこの詩にも当てはまる。短い言葉だけで一幅の絵を表し、一遍の映画を完成させてしまった。

     実は、この二つの歌は同じ昭和50(1975)年に出された歌である。阿久悠にとっては、それなりに成功をおさめていた時期であったという。成功をおさめていた時期だからこそ、そんな歌に出くわす。いや、そのように感じられる謙虚さが、天才たるゆえんなのだろうか。

     まだ、しばらくは、部屋の中で片付かないまま置かれていることになる本である。 

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著者プロフィール

1937年兵庫県生まれ。明治大学文学部卒業。82年『殺人狂時代ユリエ』で横溝正史賞、97年菊池寛賞、99年紫綬褒章、2000年『詩小説』で島清恋愛文学賞、03年正論新風賞を受賞。2007年、逝去。

「2018年 『君の唇に色あせぬ言葉を』 で使われていた紹介文から引用しています。」

阿久悠の作品

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