- Amazon.co.jp ・本 (244ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861101069
作品紹介・あらすじ
ウィトゲンシュタインやデリダなどヨーロッパ現代思想を経由することで浮かびあがる、小林秀雄の知られざる核心。
感想・レビュー・書評
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内容よりも、まず本の作られ方が丁寧。
ここのところのキーパーソン、ウィトゲンシュタインに小林秀雄が重なった。
感想というほど、まとまっていないけど。
何度も繰り返される、小林秀雄が亡母(おっかさんという蛍)に突然出会ったという出来事。
デリダの言う「反覆可能性」に対し、この出来事は一回きりの特異な出来事だと述べる。
「事実と言語とが接触しているというのは錯誤だということを思い知った。そこで、出来合いの言葉を捨て、「童話」という妥協をする。」
「童話」でなければ「怪談」と言ったところか。
小林秀雄は「或る童話的体験」と言ったけれど、読み手はどこかで現実「的」に受け容れているように思う。
誰かにとっての「おっかさんという蛍」なるものがあって、それは「反覆可能性」とは言えないか。
それとは別に、小林秀雄がドストエフスキーの『白痴』を読みこむほどに、失語に陥るという部分は面白い。
ドストエフスキーによって自己を語る、というかつての方法を拒絶し、ドストエフスキーによって「自己理解」を突き破っていくと述べられる中、ついに「意味するもの」を前に、言い当てる「ことば」を見出せずに終わる。
言葉となることで姿を現す何かは、言葉とならなければ「分からない」で終わってしまうのだろうか。
言葉にしようのない、何か像のようなものを感じたり、触れたりする、あの経験は単なる幻想と言い切ってしまえるのか。
小林秀雄がドストエフスキーについて、あるところまで来て、言葉にしなかった、その事実が切実に感じられる。
まあ、私にとっては二人とも、もっと低い次元で言語化出来ない存在なんだけれど(笑)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読みたい
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理論は現実に追いつかない。言葉というものの特性を小林秀雄の視点から探っていく。言葉は現実を表すことができないという考えから、じゃあ現実って何なんだろうと、どうすればそれを表現することができるんだろうと考えさせられた。言葉の特徴もよくわかったし、芸術家のやっていることの意味もよくわかった。もう一度読み直して自分の考えのもとにしたいと思えた一冊。