悪い娘の悪戯

  • 作品社
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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861823619

作品紹介・あらすじ

50年代ペルー、60年代パリ、70年代ロンドン、80年代マドリッド、そして東京…。世界各地の大都市を舞台に、ひとりの男がひとりの女に捧げた、40年に及ぶ濃密かつ凄絶な愛の軌跡。ノーベル文学賞受賞作家が描き出す、あまりにも壮大な恋愛小説。

感想・レビュー・書評

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  • はたから見たら異質も異質でしょうが、相思相愛な恋愛物語だなーと思いました。

    確かに女は貧しい環境から抜け出すために犯罪に手を染めながら金持ち男たちを渡り歩いて最後にはボロボロになっていくような人生を歩み、愚直なまでに一途な平凡男を傷つけて去ることを繰り返していました。

    でも、何年離れていても幾度も彼と巡り合って、時には自分から彼を探しだして、つかの間じゃれ合ってから去っていくその40年間分の不安定な姿の見事な描写は、形はおかしくても実は彼女も男のことが好きで、男もただ根拠なく期待して待ち続けていたわけではなく苦しみながらもそれを心のどこかではわかっていたからお互い幸せだったんだろうな、と思えました。作中、女が男に「あなたは私の人生で最良の贈り物よ」とささやくシーンがありますが、あれは冗談でもまやかしでもなく、女の本心だったんだろうな、と。やっていることはひどく、常に寄り添い助け合う一般的で平和な家庭を築くことはなかった彼らだけど、これも一つの愛ですね。

    それから、この物語では、男と女が邂逅する縁を繋ぐものとして、章ごとに登場する男の友人たちと世界の都市、そして時代や政治情勢がかなり重要な意味を持っていて、そういった絶妙な構成もこの小説を心から楽しむことができた大きな要素でした。

    最後に、表紙の装丁について。
    イギリスの画家ウォーターハウスの2枚の絵(どちらもギリシア神話のキルケを題材にしたもの)を使っているのですが、読み終わってみるとこの装丁が、中身のストーリーだけでなく女の不可思議で危うい精神性を見事に象徴していることがわかり、感激しました。これは日本限定の表紙なのでしょうか。だとしたら、本文にはキルケのキの字もないのにこの絵を選んだ方の炯眼に感服するばかりです。

    ニーニャ・マラ(悪い娘ちゃん)とニーニョ・ブエノ(良い子ちゃん)の歪で深い恋物語、またいつか読み返したいですね。

  • 読みやすい
    ずっと波乱万丈 恋愛ごっこというか
    ちょっとこってりしすぎて食傷気味だったけど
    途中エログロ?までいっててひえぇーと
    かなりの大人向け
    70歳でこれ書くなんて脱帽です
    最後の最後でニーニャマラは死ぬ前に会いに来たんだな、と
    相容れない性格で、ほんととんでもなく悪い娘、なんだけど
    金をずっと望んでた彼女が、それをニーニョブエノに遺そうとする
    そこに、ニーニャマラもうまく世間並みな愛情関係を作れなかったけど、ニーニョブエノを愛していたんだ、と
    そして身体中手術の跡と病気で変わり果てたニーニャマラを受け入れるニーニョブエノ
    娯楽風に展開してくけど、最後ので深い愛の話になる

  • リョサにして珍しいほどのシンプルな小説。悪い娘=ニーニャ・マラがいわゆるファム・ファタールで、主人公は一生をかけて彼女を愛し続ける。ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」のテーマも長年の純愛だし、この手のロマンチックな男性像は南米の伝統芸なのだろうか。
    主人公は「パリに住むだけで満足、仕事も収入も平凡な男」なのだが、非凡な女性を致命的に愛しながら、家族や親友などの持てる絆を全て失い、彼女の周りにいる異常な人々とも対峙する、孤独で特異な人生を歩む。
    単純な恋愛小説に留まらないリョサとして、舞台はペルー、パリ、ロンドン、東京、マドリードに及び、60年代に始まるペルーの政変から40年に及び、ヒッピー文化など時代が生き生きと描かれる。日本のくだりがグロテスクで興味深かった。

  • 何十年にも渡る壮大な恋愛小説。さんざん浮気されて搾り取られて馬鹿にされた主人公だけど不思議と明るく幸せそうに感じた。

    友人がぽろぽろと死にすぎるのがちょっといただけないけど死因がそれぞれの時代を象徴する死に方だったりもする。

    恋愛大河。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      文庫になるのを待っているのだが、、、その気配無し。その代わり?「継母礼讃」が中公文庫に入るそうなので、そちらを先に読みます。。。
      文庫になるのを待っているのだが、、、その気配無し。その代わり?「継母礼讃」が中公文庫に入るそうなので、そちらを先に読みます。。。
      2012/07/24
    • 美希さん
      >nyancomaruさん☆

      これ面白かったですよ~。私は図書館から借りました。文庫だったら「密林の語り部」とかかな、今あるのは。チボ...
      >nyancomaruさん☆

      これ面白かったですよ~。私は図書館から借りました。文庫だったら「密林の語り部」とかかな、今あるのは。チボ~も借りて読んでみようと思います。
      2012/07/25
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「文庫だったら「密林の語り部」」
      そう!岩波文庫に入りましたね、読み忘れている。
      こちらが先になるな。
      「文庫だったら「密林の語り部」」
      そう!岩波文庫に入りましたね、読み忘れている。
      こちらが先になるな。
      2012/07/27
  • 1950年代初頭、ミラフローレスはペレス・プラード楽団の演奏するマンボが人々を熱狂させていた。そんな時代、「僕」はチリからやってきた少女に恋をしてしまう。蜂蜜色の瞳にくびれた腰、マンボを踊らせたら誰にも負けないリリー。しかし、三度にわたる求愛も見事にはねつけられ、あえなく失恋。その後、チリから来たというのは嘘で裕福なミラフローレスには不似合いな貧民街の生まれであることが発覚し、少女は姿を消してしまう。

    60年代初頭、今はパリで暮らす「僕」の目の前に大人になったリリーが現れる。今度は女ゲリラ兵となってキューバに向かうという。再び夢中になる僕をしり目に、この悪い娘(ニーニャ・マラ)は、またもや姿を消す。もうお分かりだと思うが、この後、60年代後半のロンドン、70年代終盤の東京、再びパリ、そして最後のマドリッドと、忘れたかと思うと別の女性になって姿を現し僕を眩惑して虜にしては姿を消す。

    「僕」にとってニーニャ・マラは生涯たった一人の恋人である。何度裏切られても、「僕」は彼女を思いきることができない。一方、貧しい家に生まれた女は、いくら愛されようが、ユネスコで働くしがない通訳と一生添い遂げる気などない。金と力のある男を見つけると鞍替えすることを何とも思っていない。裏切り続ける悪女とそれでも愛し続ける人のいい男の一風変わった恋愛を、60年代パリを皮切りに時代の風俗をからませて描くという洒落た趣向の物語である。

    リョサといえば、『緑の家』や『世界終末戦争』に代表されるような、いくつもの時間や場所を緻密に組み立てた構成や、複数の話者を配した多視点による語りといった一筋縄ではいかない作風で描かれた重厚でスケールの大きい作品群が知られている。しかし、最近では『フリアとシナリオライター』に見られるようなユーモアを配した作品も発表しており、この『悪い娘の悪戯』も、その流れの作品である。

    一人の女に対しては情熱を抱けるのに、同時代の世界に対して傍観者的態度をとり続ける主人公と対称的に、60年代初頭のパリではカストロの革命を奉じて帰国しゲリラとして殺される友人、ヒッピー・ムーブメント真っ最中のロンドンではフリー・セックスでエイズに感染死する友人と、それぞれの時代を反映する男友達の活躍と悲劇的な最期が物語に陰影をつけている。

    注目に値するのは、舞台となる諸都市の中で唯一リョサが住んだことのない東京に対する作家の視線である。シャト-・メグル(目黒エンペラーのことか)というラブホテルが象徴する当時の東京は、セックスのためにかくまでも精緻を極め、贅を凝らした場所があろうかという驚異的な都市として描かれている。ヒロインを徹底的にいたぶる愛人フクダのサディストぶりといい、日本人の性意識に対する独特の思い入れが感じられ複雑な気持ちになる。

    「ロマンチック小説を書くなんて、老いた証拠かもしれないな」と作家自身が自嘲気味に語るほど、主人公リカルドの一途な愛が謳い上げられる恋愛小説である。その一方で作家リョサが自分の生きてきた20世紀後半に秘かに捧げるオマージュでもあり、あれほど愛しながらも結局は異邦人につれなかったパリという街への嘆き節でもあろう。アポリネールの『ミラボー橋』の引用が泣かせる。

    報われぬ愛に悩んだことのある人、それとは逆に、心底人を愛することができない人、どちらの人にも読んでほしい。衒いをかなぐり捨てたマリオ・バルガス=リョサ畢生の純愛小説である。

  • ノーベル賞作家による、世界を駆ける最高の「ファム・ファタール」もの。とにかく楽しくて切なくて愛おしい話。大人のおとぎ話、とでも言うのか。図書館で借りて感動(?)して、文庫本になったら買おうと思ってるのに全くその気配なし。単行本で買うしかないのか。

  • 一生をかけて続くラブストーリー。最後は泣ける。

  • 官能小説という前評判があったとのことだけど、確かに性的な表現はかなり露骨なものの、それ以上に四十年に渡り一人の女性を愛し、振り回されながらも待ち続ける主人公の一途さや、ペルー、フランス、日本、スペインと世界各国を舞台にしたストーリーに惹かれる作品。
    南米モノのわかりづらさもなく、シンプルなストーリーは、らしくないと言えばらしくないが、登場人物のキャラの強烈さは魅力的。
    ここ最近読んだ本の中では、さすがノーベル文学賞作家、秀逸で久しぶりの五ツ星。
    ただのラブストーリーに留まらない作品、是非。

  • 「君のことを永遠に愛しているよ、ニーニャ・マラ(悪い娘)」
    「そのキザな台詞は嫌いじゃないわ、でも私は誰も愛さないのよ、ニーニョ・ブエノ(よい子ちゃん)」

    各章は、時代の風俗や流行および当地でできた友人、ニーニャ・マラとの再会、唐突な別れ、の3部構成。
    ファム・ファタール一本で貫きつつも、国や時代や社会やがおかずとして描かれる。
    「緑の家」や「密林の語り部」ほど超絶技巧ではない、「継母礼賛」「官能の夢ドン・リゴベルトの手帖」ほど夢心地ではない、小説としてはシンプルでゆったりとしてバランスのとれた良作。

    ところで彼女はクンニリングスが好き。腕で顔を隠して快楽に沈む。
    これって自己愛に浸りながら性対象について無限に夢想を巡らせているということで、セックスの真理だよね。

    ♪Wind is blowing from the Aegean 女は海 好きな男の腕の中でも ちがう男の 夢を見る UhーAhーUhーAhー 私の中でお眠りなさい

  • 生真面目なペルー青年が40年もの間ひとりの悪女を愛し続けて翻弄されまくるという所謂ファム・ファタール小説。べらぼうに読み易くアッという間に読了。もちろん面白さゆえにページをめくる手が止まらなかったからでもあるけれど、その引っ掛かりのなさが物足りなくもある。それにこの女性、そんな魅力的じゃあない。ファム・ファタールものならエリクソンの『Xのアーチ』の方がアクロバットな展開で頭がこんがらかりながらスリリングな興奮を味わえる。なんていやらしい感想になってしまったけれど、頭を消耗しないで楽しむ読書もたまにはいい。

    常にペルーの情勢を憂うアタウルフォおじさんがいちばん好き。主人公の二人の男女はそれぞれ全く別の人格として描かれているけれど、結局は祖国から逃げ目を逸らして生き続けたことで同じ穴の狢だ。この対比でリョサが言いたかったことは何なんだろう?と読了後の今になって考えている。

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