- Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861825460
作品紹介・あらすじ
これぞリディア・デイヴィスの真骨頂!
強靭な知性と鋭敏な感覚が生み出す、摩訶不思議な56の短編。
感想・レビュー・書評
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いろんなことが上手にできない(でもだからといって世界から排除されるほど無能なわけでもない)語り手が、うまくできなさ、器の小ささを執拗に語る、そこが上手なんだと思う。けれど、自分はどうも同じような自らの器の小ささに日々苛立ちを感じながら生きているので、楽しみのために読む本で、現実に頭の中をぐるぐるしている言葉を目にしたいかというとあまりそうではないのだった。家族があって夫も自分も仕事があって、だから日々100%幸せというわけでもないのはわかる、でも要求がずいぶん多くないですか、という気持ち。比べることじゃないのはわかっているのだが。
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『だって、もし甲状腺の薬をもたずにジャングルで迷子になったらどうすればいいの、と私は言った。私は自分がいつかジャングルで迷子になるにちがいないと昔から信じているところがあるのだーー最近ではもうジャングルとは呼ばないらしいし、どちらにせよ地上から消えつつあるので「ジャングル」という言葉はもはや観念にすぎなくなっているのだけれど。彼女は言った、だいじょうぶ、きっと薬が切れて困る前にジャングルから出られますから』ー『甲状腺日記』
リディア・デイヴィスの頭の中の思考の回転の周波数に妙に共鳴する。一つのことに集中できないことに対して苛立つ感触も他人事とは思えない程に身に覚えがある。それ故、少々身につまされる思いを感じながら読み進める。
それは今回に限ったことではなかったようにも思えるけれど「ほとんど記憶のない女」や「話の終わり」ではその周波数の共鳴を面白がるのみだった。その変化は五年、十年という時間のもたらす脳の経年劣化なのか。あるいは今回の作品にやたらと登場する老いの印象が強いる感情なのか。
以前はこの作家の短く言い放たれたような文章にアフォリズムの響きを聞き取っていたのだ。その言い放たれた言葉が爽快だった。しかし長短入り混ざった「サミュエル・ジョンソンが怒っている」において、その短い言葉は哀愁を呼び覚ます。あとがきで解説されるように、これらの言葉には、作家が一瞬一瞬に感じた感情を頭の中から外へ持ち出すために書き付けておきたいという気持ちが滲み出ている。そう思ってしまうと、長目の文章の印象も大きく変わってしまう。余り深く考えてみなかった前二作の表題も、実は常に色々な感情や考えに囚われて、頭の中を整理整頓することが出来ない作家自身のことを表明していたのかとも見えてくる。
リディア・デイヴィスは短い文章が印象的なのでそれがこの作家のスタイルだと思いがちだが、実は様々なスタイルで文章を綴るのは本書でも相変わらず。 自分自身の頭の中の鳥り散り様と比較して言うのも気が引けるけれど、作家の頭の中のを想像してみると、そのことが作家にとって自然であることも判るような気がする。単純に一つの刺激が一つの出力しか引き出さないこともあるし、急に次々と連鎖を生むような時もある。それを他人は感情の起伏が激しいと捉えるかも知れないけれど、本人にとっては常に必死で返しているだけのことに過ぎない。ああ、よく解る。
とは言え共鳴が必ずしも共感に繋がるわけではないのもまた事実。もし、この女性が身近にいたとしたら大層刺激的ではあるとは思うけれど、一時も休まることはないだろうとも思う。完全な共鳴は濁った音を生まないけれど、ほんの僅かな周波数の違いは唸りを生む。それが鳴り続けると疎ましい気分になることもある。ポール・オースターもひょっとしてそんな気分だったのか、と詰まらないことを想像してしまう。 -
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表題作を読んだ時の衝撃! 広がる情景!!
小説という定義をあっさり飛び越えてしまったこの本はほんとすごかった。 -
文学
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小説のネタ帳のような、メモのような、文章がちりばめられている。たった1行の文章から何かが広がる予感。
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初めて読んだけど、すごく面白かった。
短いのは1行(!)、長くても10ページぐらいの短編集。
どれも頓知がきいている。
他の作品も読んでみよう。 -
数行から1行しかないもの。悪文なキュリー夫人の伝記など、ほんとうにこれは1人の作家が書いたものなのだろうか、といぶかるような短編集。
だいぶアクが強くなっているので、お気をつけください。 -
いろいろな短編の集まり。驚くほど多様な中身だ。
著者の姿が見え隠れする作品も。すれ違う夫婦、老いる親、思い通りにいかない子育てなどの話が、ドライなようで現実味に溢れている。日常と誠実に向き合っているから、このように書けるのだろう。