天地有情の農学

  • 10人登録
  • 4.00評価
    • (2)
    • (0)
    • (2)
    • (0)
    • (0)
  • 1レビュー
著者 : 宇根豊
  • コモンズ (2007年7月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861870361

天地有情の農学の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 福岡県農業改良普及員として活動したのち、1978年に「減農薬」を提唱して運動を長く率いた著者が、大学院在学時に論文としてまとめたものを改筆、修正した独自の農学論集。

    農業の近代化は、あらゆる農地を一般化して「普遍的な技術」を一様に適用することで、就農者の「身体的負荷の軽減」と「安定的な食糧生産」を確保することを目標に推進された。

    その結果、輸送に適した品質・サイズの揃った農作物を安定供給することに成功。その一方、肥料や農薬はもちろん、農業資材や化石燃料の過投与が進行し、害虫/雑草駆除という一側面からのアプローチに偏った防除技法は、旧来の生態系のバランスを崩した。

    確かに機械化、農薬の使用によって農業労働の負荷は少なくなり、収量は安定したように見える。ただ化成肥料の過投与によって窒素過多となった野菜は、化成肥料が用いられる以前に比べて栄養成分が半分になったともいわれる。

    なにより化成肥料の生成には化石燃料が必要で、大量生産によって流通コストは下がっても環境負荷は大きい。いずれにせよ域内での自給的な消費をまかなう以上の農生産は、その分だけ外からの有機物の投与を必要とし、化石燃料への依存を強めるしかない。

    そして「農家は食えない」。これが近代農業普及のなれの果てである。

    経済的な側面からこれからの専業農家の形を想定するならば、換金率の高い商品作物を作るか、ひたすら大規模化して生産効率を高めるしかない。しかし、農業の価値は「経済的価値」それだけに留まるものだろうか。

    著者はこの点を、繰り返し問う。

    田んぼには、農耕文化が始まって約2400年守られてきた「田んぼの生態系」を維持する機能がある。農村の風景には人間性を思い出させる情緒が存在する。農作業に携わって自然との接点を保つことで、人間が環境を統御できるという幻想は消える。カネにならない価値がそこには存在しているが、これを見出す手段がない。

    農業を近代化し、植物工場で必要なカロリーや栄養素を賄う日が来たとして、余った時間で人類は何をするだろう。化石燃料や地下資源の地理的な偏在があらゆる紛争の引き金になっている現実が、ひたすら継続していくだけだ。

    資本主義的な経済活動においては、特にドラスティックな変化の段階で大規模な人間疎外が起こる。変化の激しい時代にこそ、生業としての農業の「情緒」が、人間性を回復する手段として必要とされるし、それは物理的な環境を守る意味でも必要であろう。これが本書の主張の解釈のひとつであろう。

    「カネにならない価値」を補助金で賄うだけではなく、生態系を守ることに対しての金銭的補償が、農に携わるすべての人にとって誇れるような形で行われていくことが将来的には必要だ。著者はドイツのデ・カップリング政策を例に挙げて必要性を主張している。ただ、本書は2007年刊行なので、詳しいところはまた調べねばならない。

    著者は思考停止状態で近代化/合理化を目指すことを、一貫して批判している。工業ではさほど問題にはならないことも、自然を相手にする農業では大きな問題となる。

    「生産」のみを第一に考えるのではなくて、生態系全体を見渡したうえで、低投与の環境保全型の営農を目指す。そのために一般化された農法や技術にもむやみに飛びつかない。あえて短期的な合理性は捨てるといった、非合理的な判断も時には必要だろう。

    仕事と労働。生業と就業。金銭的価値と情緒的価値。その価値のバランス/重心は、結局のところ自分自身が決定する問題だ。

    p.288
    「宮沢賢治はウィリアム・モリスを引用して述べる。仕事と言わずに労働と言っているのが賢治の限界ではあるが、気持ちは伝わってくる。

    「芸術の回復は、労働に於ける悦びの回復でなければならぬ。労働は本能である。労働は常に苦痛ではない。労働は常に創造である。想像は常に享楽である。人間を犠牲にして、生産に仕ふるとき苦痛となる」

    また九州を代表する農本主義者にして「土の行者」であった松田喜一はこう言う。松田は決して労働という言葉は使用しなかった。

    「いくら秀でた学理や機械化農業の道が開けても、また所得を増し、生活水準を引き上げてもらっても、この滔々たる世流の誘惑には、百姓嫌いになるのが人間である。百姓を好きで楽しむ人間になれば、仕事が道楽になる。働きが道楽なら、『労働時間の短縮』などは大迷惑な話だ」

    そして、山下惣一だ。

    「早い話がよ。百姓はつくるときに楽しく、売るときに腹が立つ。したがって売らない農業が最高だ。楽しく売るのがその次。カネを稼ぐ目的でやるのが最低、とまあこうなるわけさ」

    仕事と労働を論じなければならない。いつの間にか農業論の中心が生産論になっているが、ほんとうは仕事論(労働論)ではなかったのか。国民の食糧を生産する(供給する)よりもはるかに前から存在し、はるかに深い土台になっているものは、「生きる」ということではなかったのか。その生きる時間を支えたのが仕事であった。決して労働ではない」

全1件中 1 - 1件を表示

天地有情の農学を本棚に「読みたい」で登録しているひと

天地有情の農学を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

天地有情の農学を本棚に「積読」で登録しているひと

天地有情の農学はこんな本です

ツイートする