愛という勇気―自己間関係理論による精神療法の原理と実践

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制作 : Stephen Gilligan  崎尾 英子 
  • 言叢社 (2009年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784862090270

愛という勇気―自己間関係理論による精神療法の原理と実践の感想・レビュー・書評

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  • 闇雲な苦しみは破滅を招くだけだ。けれど目的を持った苦しみは、よく生きる知恵を授けてくれる。平たく言うと、苦しみから生産性を引きだす方法も存在する。
    よく生きるための目的を持つにはどうしたらいいんだ?

    自分自身よりも偉大な存在があるという信念が愛なのか?

    母性愛は人生の始まりに与えられる愛。無条件に自分自身の存在をただ肯定してくれる祝福。「ある」か「ない」かでしかない愛だ。それが与えられないと、人生に深刻な影響をもたらす。生後の3年間に母親ないし特定の保護者から愛情を与えられないと、人は自分自身の中心の実感を失い、自分を取り巻く世界との繋がりの持ち方を学べずに孤立する。
    つまり、私に必要なのは自分自身の中心の実感だ。禅でもするか?ひたすら呼吸に集中。

    私がどれだけ本に助けられて生きてきたか、驚いている。本は読めば読むだけ、もっと読みたくなる。

  • ・呼吸や心拍などのように無条件で与えられる存在が意味するものは、生命がどのような状況下に置かれようとも、それらは存在する、ということである。特定の条件下で現れる感情や行動や思考とは異なる。ここで提起しているのは、「無条件に存在するものは条件下において存在するものよりも力強い」ということである。いいかえれば、無条件に存在するものとのつながりを維持しさえできれば、条件下に現れる現象は、それがもたらす否定的要素を失う、ということである。

    ・旅の目的は慈悲にある。対立する両極を超越できたときに慈悲に到達するのである。

    ・暗殺の直前にガンディーは孫のアルンに「七つの過誤」が彫られたお守りを与えた。ガンディーはこれらの誤りをおかすことから、暴力が生まれ世界を汚染するのだと考えたのだ。
    それらの誤りは:

    〇労働を伴わない富
    〇良心を伴わない喜び
    〇個性を伴わない知識
    〇倫理観を欠いた売買
    〇人間性を欠いた科学
    〇犠牲を伴わない崇拝
    〇原則のない政治

    である。ガンディーはこれらの不均衡を「受動的な暴力」と呼び、受動的な暴力がもととなって、世界にあふれる能動的な暴力を生むと主張した。

    ・アイルランド系のカトリック信者であり、アル中の父を持つ家庭に育った私は、少年時代終始トラブルを起こしていた。その度に父親は怒って私を問い詰めた(そして酩酊の)あげくに、“いったいおまえは自分を何様だと思っているのだ?”と問いかけた。父のこの質問は年月を経た今でも私の内部に深く食い込み、いくつかの答えをもたらし、この質問をどう受け取るかの異なるアプローチを育ててきた。
    アイデンティティを問う質問は、精神療法では中心的意義を持つ。クライエントとは、外部で起こる様々な困難や自分の内部で起こる共鳴と、なにかかみ合わない形でこの疑問に答えざるを得ないために、持続する苦悩を抱え込んでいる人間である。

    ・マリドマ・ソーメはイエズス教団に拾われ、僧として育てられたアフリカ人であるが、10代後半に教団から逃亡し、本来所属する民族に戻った。彼の文化では必須とされる通過儀礼を経験していなかったため、彼が部族に再び受け入れてもらえるかどうかはわからなかった。しかしやがて彼は年少の少年たちに混じって儀礼を通過する許可を得た。ソーメは儀礼の指導者によって与えられた最初の指示を以下のように述べている。

    どういうわけか彼のいったことは奇妙に聞こえなかった。後でわかったことだが、だれにとってもそうだったようだ。彼が言葉にしていたのは、われわれがすでに知っていたことであり、疑問を呈することも、言葉にすることもできない何かだったのだ。
    彼が行ったのは次のようなことだった。彼が立っている場所が中心だった。われわれの一人一人には中心があるのだが、われわれは誕生まもなく中心から遠ざかる。生まれることは、中心との接触を失うことであり、子どもから大人へと成長することは、さらにそれから遠ざかることなのだ。「中心は内部にも外部にもある。それはどこにでもある。大事なことはその存在を認識し、ともにいることだ。中心とともにいないと、われわれは自分がだれであるかがわからなくなり、どこから来たのかもどこに行くのかもわからなくなる」。

    ・リラックスしながら注意関心を示す絞り込む基本技法のうちで、意識的呼吸法は最も重要である。呼吸ほど意識に影響を及ぼすものはない。一言でいうと、呼吸なくして生命はない。貴重な賜物として与えられる生命はひと息生気を「吸い込む」ごとに生まれ、呼気ごとに「吐き出し」死ぬ。ストレスにさらされると、われわれは知らず知らず呼吸することを忘れてしまう。呼吸は浅く硬く、不規則になり、経験を己のものとして取り入れ、勝つ適応的に処理することができなくなる。意識は呼吸に根差し、呼吸によって創造性に富んだ者ではなくなり、筋緊張に制限を受けた拘束的なものとなる。そして筋緊張によって制限された思考は、このうえなく保守的になりやすい。

    ・われわれの関心を中心に降ろしていくという方法やその補助的方法は、われわれの関心を関係の場に開いていく。普通、症状行動があるときにはわれわれの関心は収斂し、ストレスをかけてくる相手に固定しやすい。この点に関連した合気道の原則では、「決して攻撃に焦点を当てるな」となる。合気道の創始者であった植芝盛平は次のように述べている。

    〇敵の目を注視するな:催眠にかからないためである。
    〇敵の刀に視線を固定するな:恐怖を抱かないためである。
    〇敵の姿全体に視線を合わせるな:相手に生気を奪われないためである。

    修練の真髄は、敵をこちらの世界に連れ込むことである。そうすれば、こちらは居たい場所に立つことができる。

    ・場に根ざした注意関心を獲得するための簡略な方法は、私が三点に向けられた注意と名付けたものである。クライエントにはこれを「不安への対抗」テクニックと説明している。われわれは何事かを心配しているときには、目を緊張させ、ランダムにあちこち眺め回す。
    (そのため伝統的な催眠導入法ではリラックスし、どこか一点に気持ちを集中するように被験者に指示するのである)

    ・アル中匿名者会で用いるキーワードがHALTであることは興味深い。HALTとはhungry(飢え)―angry(怒り)―lonely(孤独)―tired(疲れた)に対応する。そこにある考え方は、もしもこれらの状態が生じた際に、それらが適切に名付けられず、認められなければ、―そしてそれらはわれわれ誰にでも定期的に起こるわけだが、―その人間は薬物やアルコールなどを自分で自分に処方するほかはない。薬、アルコール、その他の破壊的習慣は「いないことにされた自分」への偽の後見人となる。

    ・伝統的な精神療法では、関心はふつうクライエントが問題としているアイデンティティの周囲に集中的に向けられる。この伝統に最近修正を加えつつあるのが、エリクソン流の精神療法、解決志向の技法やナラティブ治療である。それらで基本となる考え方は、問題が持続するのは、その人間が「いないことにされた自分」の内部に閉じ込められているからで、もしもその人間の能力や活用しうる資源をも含む他のアイデンティティとつながるコミュニケーションが可能となれば、解決が見えるというものである。
    この好例はミルトン・エリクソンの「ミルウォーキーのアフリカスミレの女王」の症例に見られる。裕福で独身の52歳の女性がミルウォーキーの大きな邸宅に一人で暮らしていた。彼女は非常に孤独感が強く、うつに落ち込んでもおり、唯一外出するのは教会の礼拝に出かける時のみであった。やがて彼女のうつ状態は悪化し、エリクソンの治療を受けていた彼女の甥の内界は、おばは自殺してしまうのではないかと恐れるところまで進んだ。この甥はエリクソンに、ミルウォーキーに出かけるついでにおばのところに寄ってくれるように頼んだ。
    エリクソンは彼女の家を訪れ、彼女と語り、家を見てまわるうちに、彼女の持つ三つの異なるアイデンティティに気付いた。一つ目のアイデンティティは本当にうつ状態で孤立しており、受け身の姿勢に終始していた。二つ目は非常に信仰篤く、教会に献身的であった(そのことを他人に語ったことはなかったが)。彼女の三番目のアイデンティティは温室ですばらしいアフリカスミレを育てる自分であった。
    一つ目は、われわれが問題として定義した支配的なアイデンティティと呼ぶものだ。伝統的な精神療法ではまずこのアイデンティティを中心にクライエントが理解され、コミュニケーションが起こる。しかしエリクソンはそれ以外の二つのアイデンティティに気付いた―彼女がうつ状態にいないとき(あるいはうつ状態以外の彼女)に何をしていたかに、である。エリクソンはこれらの補完的アイデンティティを通じてどのような新しいパターンが生じるかに興味をもち、その女性にもっと多くのアフリカスミレの株を育てることを薦めた。また教会の信者たちの誰かが人生の大きな転回点―誕生、死、結婚、卒業、退職など―を通過しているときには、その人に記念としてアフリカスミレの蜂を贈ることも指示した。
    この女性はうつ状態にとどまるには忙しくなってしまった。そればかりでなく周囲の人々が彼女の存在に気づきはじめ、その大切さを知り、彼女を訪問するようになった。彼女は地域社会で活動的な存在となり多くの人に愛された。彼女は20年後に亡くなったが、「ミルウォーキーのアフリカスミレの女王」の死を悼むために何百人もの葬列者が葬儀に訪れた。
    原理は明らかである。問題が起こってくるのは、数あるアイデンティティのうちの一つが孤立する場合である。それらのアイデンティティ間のつながりが回復されるにつれて解決が生じる。治療者が、常時クライエントが示すアイデンティティ以外に、どういうアイデンティティがあるのかに好奇心を持ち続ける意義はここにある。

    ・われわれが生きている限り、生命の大河は日ごとさまざまな経験をもたらす。われわれは日ごとに人類に知られたあらゆる感情に触れられることになる。幸福感、悲しみ、怒り、興奮、嫌悪などである。生命は遅かれ早かれ自分を捕まえると理解できていれば、その認識は正しい。そこで問われるのは生命がわれわれに求めるものは何か、ということである。

  • 催眠誘導のあり方を根底から変えてしまった天才、ミルトン・エリクソン。その晩年の弟子だったギリガンが、そのエッセンスを瞑想、合気道、イメージワークと結びつけて作り上げた「自己関係療法」。

    エリクソンのお弟子さんは、それぞれ自分らしい理論や技法の展開を見せていて、エリクソンがいかに良い教師なのかがわかります。

    本自体は難解ですが、本来言葉にできない領域のことを言葉にした味わいがあります。

  • スティーブン・ギリガン博士の名著。自己間関係論にはエリクソン両方、合気道、仏教、瞑想や表現芸術などの統合が行なわれている。

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